ロシア映画界の鬼才、アレクサンドル・ソクーロフの新作「モレク神」が2001年春、ついに日本公開となる。若き愛人エヴァ・ブラウンに翻弄されるアドルフ・ヒトラーを描いた本作はカンヌでも大絶賛を浴び、脚本賞を受賞した。ソクーロフ監督は「独裁者ではなく、ただの人間としての彼を撮りたかった」と語る。「映画に課された役割は人々に忘れ去られてしまう可能性のあるものを、連れ戻し、記憶させていくことだ」。ヒトラー、スターリンに続き、現在昭和天皇の物語を構想中とのこと。プロモーションと事前取材を兼ね12月半ばの東京を訪れた監督、本インタビューは多忙のさなか、「モレク神」上映館となるラピュタ阿佐ヶ谷でお答え頂いたものである。


——「モレク神」ではヒトラーとエヴァ・ブラウンのとある数日間が描かれています。人物が人物だけにキャスティングは難航したのでは。
実際のところ、並大抵のことではなかった。キャスティングから演技指導まで全てにおいてだ。こういう作品はとても危険なところがある。ヒトラーは皆が知っている人物だけど、実際に会ったことはない。自分の頭のなかにいる人物像を役者に当てこんでいくのは非常に難しいことだよ。探し回った結果、ペテルブルグの俳優たちにお願いすることにしたんだけど、まずリハーサルに3ヶ月を費やした。台詞はロシア語ではなく、ドイツ語でね。言葉が違うと口の動きが変わってくるからだ。本作で気がついたんだが、言語というのは性格も動きも変えてしまうものなんだね。

——演技指導はどのように?
カメラの横に立って、ヒトラーならどうやって歩くのか、どんな風にハンカチを持つのか、自分の直感に従うしかなかった。俳優に『なぜ?』と聞かれても『聞かないでくれ』と言いたくなった。全て直感だったよ。

——政治的な圧力を感じたことは。
  間接的な形ではあった。それは何を意味するのかと言うと…ナチズムは消えたわけではない、ということだ。1930年代にあったものは、いまだにドイツに潜んでいる。ウィルスのようにね。わたしたち人類にとって不幸なのは、存在していたものが完全に消え去ることはないということだろう。
「モレク神」を始めた時、方々から脅されたよ。一方ではナチズムに殺されるぞ、もう一方ではユダヤの秘密警察に殺されるぞ、とね。実際にロシアのナチストには脅された。
でも、歴史的な不幸に立ち向かう時、人は深く考えて掘り下げていくしかない。ある境界線を越えるためには政治や思想だけでは解決しない。芸術だけがその解答を与えるんだ。


——今回あらゆるヒトラーの記録映像に目を通したそうですが、ここでの発見は作品に何らかの変化をもたらしましたか。
いいえ。私が語ろうとしていた未来の映像(劇中のヒトラー)と違うことはなかった。この映像での確認はとても喜ばしいことだったね。自分の直感というのは正しいと確信したよ(笑)。こうした作品の場合、間違った解釈、過ちを冒すことは許されない。でも、作品の在り方を見誤ることはないなと確信したね(笑)。

——本作に続き、スターリンを描いた「牡牛座」、昭和天皇を描いた「ヒロヒト(仮題)」が控えているそうですが。歴史上の人物に焦点を当てた理由を。
映画に課された役割は人々に忘れ去られてしまう可能性のあるものを、連れ戻し、記憶させていくこと。そもそもロシア人というのは基本的に歴史が好きな民族だし、私自身、歴史というコンテクストなしに物事を考えられないように思う。世界を見る第一歩は大学の歴史学科で培われたからね。歴史と個人的な生活とは全く無関係に思えるが、実は深い結びつきがあるんだよ。

——ヒトラー、スターリン、ヒロヒト、この3人を選んだのは。
20世紀で最も悲劇的な人物だからだ。彼らの周辺には死や戦争といったさまざまな罪が渦巻いている。そんな彼らだが、映画の中ではただの人間になってもらおうと思った。権力の頂点にあった男も私たちと同じ人間なのだと伝えたかったんだ。


——昭和天皇を描く「ヒロヒト」は日本語?
  もちろん。1945年秋のとある2日間を描いた作品になるだろう。今回の来日で周辺取材もしていくつもりだが、日本からの資金援助がないと難しい企画だ。だから、右翼の天皇崇拝の人々は安心していい(笑)。今のところ、実現のチャンスは少ないから。私としては当然、ヒロヒトを賞賛したり、逆に批判的に捉えるつもりは全くないんだけどね。

——以前、ロシア雑誌のインタビューで「日本という国は民族全体が疲れきっているように見える」と答えていました。そう感じたのはなぜ?
そういう風に見えたんだよ(笑)。よくインタビューで『黒い犬をあそこで登場させたのはなぜ?』なんてことを聞かれるけど、本当のところ“たまたま犬が通ったから。なんとなく撮ってみた”としか言いようがない(笑)。それと同じだよ。……うーん、疲れているように見える、そう、見えたんですよ。その理由は日本人の方がよく知っているんじゃないかな。もし、疲れてないならそうじゃないと教えて欲しい(笑)。

——インターネットであなたの名前を検索すると日本語のHPがたくさん出てきます。あなたを神のように崇めるファンもいるんです。そんなファンにメッセージを。
まず、第一に心から感謝します。この世の中で生きていくのは簡単なことではないし、そもそも人生は短すぎる。私のために人生の時間を割いてくれることを嬉しく思います。 
世の中には埋もれてしまいそうなほど、たくさんのインフォメーションがある。今は娯楽が発達しているけど、テレビやビデオを観る以上に、本をもっと、もっとたくさん堪能して欲しい。私は日本に何度も来ているし、この国がとても好きです。だからこそ、より強くお願いしたいですね。

執筆者

寺島まりこ