L.A.では街が眠りにつく間、傍受した警察無線からけたたましく音が鳴り響くのをスタート合図に、猛スピードで車を走らせ、いち早く事件・事故現場に駆け付けて被害者にカメラを向ける者たちがいる。通称“ナイトクローラー”。報道スクープ専門の映像パパラッチだ。彼らは、死臭を求めるハイエナの如く貪欲に、刺激的な映像を求めて夜の街を這いまわる。そして、手に入れた映像をテレビ局に売り捌き、カネを得る。本作は、視聴率の為に倫理をも踏み外した映像を欲しがるテレビ業界の裏側と、それを非難しながらも求める現代社会の闇に迫る。

主演は、『ブロークバック・マウンテン』でアカデミー賞®にノミネートされたジェイク・ギレンホール。我々の隣にもいるごく普通の男に潜む底なしの狂気を恐ろしくも見事に演じきり、ロバート・デ・ニーロが演じた『タクシードライバー』のトラヴィスの再来とも言われている。

監督・脚本のダン・ギルロイのオフィシャルインタビューが到着した。






Q:「長いあいだ脚本家としてすばらしい作品を手掛けてきた立場として、『ナイトクローラー』で監督も務めるというのは、大きな意味合いがありましたか?」

DG: 非常に真剣に捉えていたよ。なぜなら僕が描いたのは、ローカルテレビ局ニュースという、人々が日常的に目にしている世界だ。重要なトピックだと感じたし、完全なリアリズム以外の手法は僕にとって考えられなかった。だから途方もない量のリサーチを行った。フェアでありたかったし、報道用語を使えば、「偏り」がないようにしたかった。僕が普段見ている局はいくぶん偏りがあるけどね……(苦笑)。とにかく、題材を正しく描き出すために、リサーチの部分は僕にとって非常に重要だった。

Q:「あなたは脚本家です。お茶を片手にコンピュータの前に座って、という静かな生活を送ることも可能ですが、なぜ監督をやろうと思ったんですか?」

DG: それは自分でも時々疑問に思うよ(笑)。なぜなら、その生活を時折懐かしく思うからね。僕は自分のヴィジョンを自分のやり方で提示する機会が欲しかった。それは脚本家には得られない機会だ。監督の手に渡れば、彼の作品となってしまう。これは自分のヴィジョンを表現する機会だった。

Q:「ストーリーのインスピレーションはどこから得ましたか?」

DG: ストーリーのインスピレーションを得たのは、「ナイトクローラー」の世界を知ったときだ。これは映画にとって非常に面白い背景となると悟った。警察の無線をキャッチしながら、ロサンゼルスを猛スピードで走り回る人々の話だ。その世界を発見してから、様々なキャラクターをそこに埋め込んでいった。ルイスのキャラクターが立ち上がると、全体がうまくまとまったよ。

Q:「ロサンゼルスという街は、数多くの映画の舞台になっており、世界中の人々に知られています。でもこの映画はLAの異なる側面を見せてくれたように思います。「ナイトクローラー」が暗躍する世界や視聴率競争、そういった世界の存在を私は知りませんでした。このローカル文化について何が言えるでしょうか?」

DG: それについては何点か言えると思う。まずローカルテレビ局ニュースというローカル文化は、もちろん取材をして映像を撮影する人々によって成り立っている。だからある意味でその指摘は正しい。僕はこの映画の撮影を通して——つまり夜中のロサンゼルスを経験することで——街の全く異なる側面を知った。そこでは全く異なる種類の人々が動き回り、全く異なるエネルギーが発生する。僕らは、ロサンゼルスという街を、これまでとは違うやり方で——少なくとも通常とは異なるやり方で——見せたかった。つまり、フィジカルな意味合いできわめて美しく、ワイルドで手つかずの自然が広がる風景の中で興味深い人々が活動する街として見せたかった。撮影では、撮影監督のロバート・エルスウィットを中心に、広角レンズを使って被写界深度を深く保つことで、街のフィジカルな美しさを捉えようとしたんだ。普段目にしているのとは異なるLAの姿をね。

Q:「ルイスというキャラクターについて教えてください」

DG: ルイスというキャラクターは、絶望して孤独で、資本主義を自らの宗教としている。なぜならそれだけが彼に慰めと方針を与えてくれるからだ。そして彼は資本主義のいわば原理主義者だ。彼が正気を保つよすがとなる唯一のものが、究極的には彼を狂わせるんだ。

Q:「ルイスのモラルは私とは異なるんですが、それと同時に彼のことを理解し容認できるようにも感じました。なぜそんなことが起こるのでしょう?」

DG: 観客とジェイクのキャラクターの繋がりを保つことが僕たちの狙いだった。道徳的判断は決して下したくなかった。「あいつは社会病質者だ。サイコパスだ」という風なね。キャラクターの中に常に人間性を見つけ出すことに苦心した。ジェイクはルイスを人間らしいキャラクターとすることを常に意識していた。そうすることで、彼の所業にも関わらず、その心の内を理解できるようにしたんだ。

Q:「監督としてのあなたの姿勢は、非常に慎み深いように感じられました。カメラの存在を意識させません。私はまるで目撃者のような気分になって恐怖を感じました。映画だということを忘れしまうんです。どうやってこれを成し遂げたんですか?」

DG: それはなぜかというと、登場人物を含めて映画のあらゆる要素に道徳的判断を下すことを避けようと、早い段階で僕たちが決めたからだと思う。僕たちは観客自身に判断を委ねたかった。だからある種象徴主義的なアプローチを取ったんだ。つまりルイスが野生動物であり、そのドキュメンタリーを撮影しているかのようにね。アイデアは、あらゆる道徳的批判を避けることだった。だから映画手法の話をすれば、劇中では何か悪いことが起きても、画面は決して暗くなったりしない。むしろその逆で、明るくなるんだ。彼は風景の中を動き回る動物だ。キリンの赤ちゃんを殺すライオンを道徳的に批判しないだろう——たとえそれがおぞましい光景だとしても。ありのまま世界を見せるだけだから、道徳的判断は介在しない。それが僕たちが捉えようとした要素だ。できるかぎりリアリスティックに、ほとんどドキュメンタリーに近い形で撮影しようとしたんだ。

Q:「ジェイクの演技は見事でした。非常に幅があり、またいつもとは異なる側面を見せています。彼だと分からないほどでした。彼は本作のプロデューサーでもありますが、共同作業はどのようなものでしたか?」

DG: 彼はこの作品のクリエイティブなパートナーだった。非常に早い段階で、力を合わせて制作すると2人で決めたんだ。彼は脚本に並外れた敬意を払ってくれた。台詞を一言も変えなかったよ。お互いを信頼して、失敗を恐れずに挑戦していった。それは予期せぬ物事を探求し発見していくプロセスだったよ。

Q:「これはグローバルで普遍性のあるストーリーだと思います。舞台はロサンゼルスですが、それに普遍性をもたらしているのはどんな要素でしょう? 視聴率の巡る闘いは世界中で起きていますし、人々は狂ったように争っています。グローバル戦争です。」

DG: グローバルなストーリーだと思う。まず登場人物が経験するのは、世界中で多くの若者たちが経験していることだ。2つめに、僕らは皆同じ人間だ。誰もが露骨でセンセーショナルな映像にチャンネルを合わせて見てしまう。その性向を抑えられない。事故現場で立ち止まって野次馬となってしまう。人間はそのようにできている。それは僕たちのDNAの一部なんだ。観客はそのことに理解を示し、共感すると思う。ローカルニュースというのは、おそらく世界中で似通ったものだと僕は思う。人々はセンセーショナルで露骨な映像を見る。なぜならその傾向は我々の一部であるから。

Q:「観客に持ち帰って欲しいものについて教えてください」

DG: 僕らは答えを与えたくなかった。問題を提起したかったんだ。それが成功したことを願うし、人々が映画館から出た後に自らに質問を投げかけてくれればと思う。

執筆者

Yasuhiro Togawa

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