富と女を貪る若き大富豪が、24 時間にして破滅へ向かう極上のサスペンススリラー『コズモポリス』。監督は、『裸のランチ』や『クラッシュ』をはじめ、近作では『ヒストリー・オブ・バイオレンス』、『イースタン・プロミス』など、独特な世界観の作品を作り続ける鬼才デイヴィッド・クローネンバーグ。主演のロバート・パティンソン(「トワイライト」シリーズ)が、いままで演じた役柄とはまったく違う、ヴァイオレンスと狂気に満ちた男を熱演したことも大きな話題になりました。また本作品は、2012 年カンヌ国際映画祭におきましてコンペティション部門にて正式出品され絶賛を浴びました。







−−−ドン・デリーロの小説をご存じでしたか。
いや、読んだことはなかった。パウロ・ブランコと彼の息子のホアン・パウロがやってきて、映画化を勧めてくれたんだ。パウロが「私の息子は、あなたこそこの映画を作るべき人だと考えている」と言った。デリーロの他の小説は知っていたし、パウロのことは彼が製作した多くのすばらしい映画作品で知っている。そこで読んでみる価値はあると思った。これは僕にとって滅多にないことなんだ。僕は通常、自分のプロジェクトを好むほうだからね。でもこのふたりのために僕は「わかった」と答え、小説を読むことにした。2日後、僕は小説を読み終え、パウロに「いいよ。参加する」と言ったんだ。

−−−自分で脚本を書きたかったのですか。
もちろんだよ。それに僕は6日間で仕上げた。前代未聞だ。事実、僕は小説からすべてのセリフを抜き出して自分のコンピュータにタイピングし始めたんだ。何も変えたり加えたりせずにね。3日かかったよ。それを終えて、僕は「これで一本の映画に十分だろうか? 大丈夫そうだ」と思った。その次の3日間でセリフのギャップを埋めていった。そんな感じで脚本を作ったんだ。それをパウロに送ったら、開口一番「ずいぶん早いな」と言われた。でも結局、彼は脚本を気にいってくれて、船出することになったんだ。

−−−この小説の何が映画になると確信させ、また何が自分で監督したいと思わせたのでしょう。
すばらしいセリフだよ。デリーロはそれが有名だが、「コズモポリス」のセリフは特に見事だった。いくつかのセリフはハロルド・ピンターにあやかって“ピンタレスク”と言われているが、僕たちは“デリリスク”について話すべきだと思う。ピンターは劇作家であり、彼の会話に対する名人芸は明白だが、小説に関して言えば、デリーロの作品には明らかにひときわ優れた表現力がある。

−−−ドン・デリーロの世界観についてのあなたの解釈はどのようなものでしたか。
「リブラ 時の秤」「アンダーワールド」「Running Dog」といったいくつかの本を読んだことがあった。彼の作品はとてもアメリカ的だが、好きな本だ。僕はアメリカ人ではなくてカナダ人だから、とても違う。アメリカ人やヨーロッパ人はカナダ人のことを行儀がよくて、少しだけ洗練されたアメリカ人バージョンのように考えている。でも、それよりはるかに複雑だ。カナダには、革命も、奴隷制度も、内戦もなかった。銃を持つのは警察と軍隊だけだし、武装して暴力を行う民間人と接することもない。僕たちには深い連帯感があるし、全員に最低所得を提供する必要があると感じている。アメリカ人は我々を社会主義的国家とみなしている! デリーロの本とは何となく違うが、僕は彼のアメリカへのビジョンを理解できるし、彼はそれをわかりやすく語っているから共感できるんだ。

−−−小説が書かれた時期と映画が作られた時期には10年の開きがあります。
それは問題でしたか。

問題ではなかった。小説は驚くほど予言的だからね。この映画を作っている間、小説で表現されていたことが起こった。ルパート・マードックが顔にパイを投げつけられた。撮影後にはもちろん“ウォール街を占拠せよ”の抗議運動もあった。現代に即したものにするために、物語を変える必要はほとんどなかったんだ。唯一の違いは、円の代わりに人民元を使ったことくらいだ。デリーロが株式勘定を持っているかどうか僕は知らないが、そうすべきだと思うね。彼には今起こっていることや、物事がどうなっていくのかということに対する驚くべき洞察力がある。だから小説は予言的だが、映画はまさに今を描いているんだ。

−−−先ほどの“セリフの間のギャップを埋める”というのは、どういう意味ですか。
セリフを抜き出した3日後、僕のセリフは“中途半端”な状態だった。リムジンの中でそれを完成させる方法を、僕は見つけ出さねばならなかった。だから僕はリムジンを詳細に表現する必要があったんだ。「エリックはどこに座っているのか? 他の人間はどこにいるのか? ストリートでは何が起こっているのか? クリームパイ襲撃はどんな設定で起こるのか?」といったことだ。ほとんどはセッティングや小道具を選ぶといった実務的なことだが、それが映画を形作るものになる。僕は他の監督のために脚本を書いたことは一度もない。だから僕が書くときは、常に心の中で演出しながら書いている。僕にとって脚本とは、僕のスタッフや俳優のための計画書であり、製作のツールでもある。そのすべてを一度に考えなくてはならない。「どんな情報がセットデザイナー、小道具係、あるいは衣装デザイナーに必要なのか? これとこれを選んだ場合の財政的な結果は?」といったことをね。

−−−どのようにして舞台を選びましたか。
奇妙にもニューヨークの47番ストリートは、トロントのいくつかのストリートと酷似している。我々は純然たるニューヨークの要素をトロントのものと合体させて、映画の空間を創り出した。トロントでは内装を撮影した。映画全体を本物のリムジンの中で撮影することはできない。だからカメラを動かせるようにスタジオでいくつかのシーンを再現しなくてはならなかった。従って車の窓から見える景色は、ほとんどがリアプロジェクションになっている。重要なのはリムジン自体だった。車が精神的な空間になることはほとんどない。リムジンの中にいることはエリック・パッカーの頭の中にいることであり、それが重要だった。

−−−ロバート・パティンソンをすぐに思い浮かべたのですか。
そうだ。特定の枠にはまった感じは否めないが、彼の『トワイライト』シリーズは面白い。それに『天才画家ダリ 愛と激情の青春』も『リメンバー・ミー』も観たし、彼ならエリック・パッカー役をできると確信した。重い役だし、どのショットにも登場する。同じ俳優がフレームから決して外れない映画を、僕は作ったことがないと思う。俳優の選択は直感だ。それについてのルールも教本もない。

−−−俳優たちには、台本に書かれた通りのセリフを言わせたそうですね。
その通りだよ。俳優に即興させるやり方で映画を作ることはできるし、それを成功させる優れた監督たちもいるが、僕は違う見解を持っている。セリフを書くのは俳優の仕事だとは思わない。最初にこの映画を作りたいと思った理由が、ドン・デリーロ自身によるセリフだったからね。それでも俳優には大きな自由があった。トーンもリズムも完全に彼らに任せていた。特にロバートにとっては面白い経験だった。彼のリムジンにはさまざまなキャラクターたちが現れ、まったく異なる俳優たちが演じていたからね。相手役を務める俳優によって彼の演技も違ってくるんだ。

−−−映画を時系列順に撮影しようとしましたか。
できる限りね。ほとんどすべてのシーンがリムジンの中で起こる。ポール・ジアマッティは最後にやってくる。我々が撮影した最後のシーンが、映画の最後のシーンになった。時には実務的な障害もあったが、ほとんどの部分は僕の以前の映画よりも時系列を尊重しようとした。たった1日の中で展開する物語だが、複雑な進化を遂げる。そのやり方のほうが極めて有益だったんだ。

執筆者

Yasuhiro Togawa

関連作品

http://data.cinematopics.com/?p=50253