『黄色い星の子供たち』ローズ・ボッシュ監督 オフィシャルインタビュー
歴史の陰に隠された、史上 最大のユダヤ人一斉検挙。
家族と引き裂かれながらも過酷な運命 を懸命に生きた子供たちの真実の物語
「子供たちに、もう一度生命を与えたい」
祈りにも似た願いから生まれた真実の物語
50年もの間、公式に認められなかった事件がある。1942年にフランス政府の手によって行われた、史上最大のユダヤ人一斉検挙だ。1995年にジャック・シラク大統領がフランス政府の果たした役割を認めるまで、事件はナチスドイツのユダヤ人迫害のひとつとして捉えられていた。誰もが知っている歴史の陰に、知られざるもうひとつの暴挙が隠されていたのだ。いったいフランスは、何をしたのか? 何と引き換えに、何を目的に、罪のない尊い命を差し出したのか──?
その事件の全貌を、初めて詳細に追いかけた映画『黄色い星の子供たち』が誕生した。
Q1.実際に起きた衝撃的な過去である一斉検挙を描くにあたり、気を付けたことはなんですか?
“倫理的”な答え方をすると、誠実さです。私の誠実さであり、私とこの人間的な冒険を分かち合った俳優たちやスタッフの誠実さです。“芸術的”な答えとしては、苦しんでいる5歳の子供を撮影するために“遊び”を使い、全ての子供たちが撮影を軽い気持ちで、とても無邪気に取り組める様にしました。ノノの“一つの”役を演じる小さな双子の子供には、これがホロコーストであること、どこへ列車が出発するかを説明しませんでした。彼らは“捕虜”であることを知っていましたが、既に幼稚園でそうやって遊んでいましたので、私たちも“遊んだ”のです。私も含めて。私たちは役を“演じる”ために、一緒に叫んで泣きました。双子たちは“ノノはこうして、こうやった”と言っていました。彼らが決して自分たちがノノだと思っていなかった証拠です。そして、観客自身が物語を体験しているように演出をしました。彼らも屈辱を受け、嫌がらせを受け、突き飛ばされたと感じるように。観客が常に“感情移入”をできるようにしたのです。
Q2.具体的にはどういう演出をされたのですか?
まずカメラを生き生きとしたものにしました。カメラが呼吸をしているのです。3人の撮影助手にルポルタージュのように撮影する様に頼みました。だからと言って全く “ありのまま”に撮影するのではなく。カメラを前にした俳優たちと彼らの周りを“踊る”3つのカメラという二つの振り付けを行ったのです。
さらにユダヤ人の家族たちの日常生活を描く様に気をつかいました。彼らの生活が他の家族と同じであることを明らかにするためにです!食事時には冗談を言い合い、良い成績を取ると満足し、暖を取ります…私はこのコミュニティーをありのままに描きました。誰も脅かさず、文句を言う事もなく、社会的な混乱を起こすことなく辛い仕事をし、フランスを敬愛している、とても質素な生活をしている人たちです。エキストラたちも決して“受け身”ではないように、と決めました。強制収容所の抑留者の行列はいつも受け身で従順に描かれています。子供たちに銃口を向けられていたら反抗することができないということを理解できるようにしたかったのです。
Q3.あなたのジャーナリストとしての活動が、映画製作に生かされたと感じましたか?
“その話を知らない人が、繰り返し語らなければならない”。この言葉を誰が言ったのか思い出せませんが、ジャーナリストとして旅をしてきた際に、この格言が本当であると何度も思いました。なので“未来”のために作ったのです。私たちは子供たちに服従することを教えますが、“非服従の義務”についても話さなければなりません。命令が“非倫理的”であった時、「ノー」を言う事を覚えなければなりません。この作品の中では、メラニー・ロランが演じた看護師アネット・モノの役にこの言葉を言わせました。「反抗しなさい、辞職しなさい。」と彼女は憲兵に言います。歴史学者はフランス人全員が力を合わせてこの一斉検挙の実行を拒否していたら、起きえなかっただろうと言っています。
Q4.今回、名優ジャン・レノに今まであまり演じたことのない役を与えましたね?
彼のことはかなり前から知っており、大好きな人です。ですが私が彼を知っているから出演を受けてくれたのではないことがわかっていました…その前に、他の企画のために断られていたのですから!私にとってはジャン・レノがシェインバウム医師でした。彼は素晴らしい穏やかさと人間性を放っています。それに多くの産科医や小児科医のように、ジャンはとても大きな手をしています!彼には何をしてもつきまとう高貴さのようなものがあり、それは『おかしなおかしな訪問者』(92/ジャン=マリー・ポワレ監督)の中でもそうでした。私にとってユダヤ人の騎士のような役なので、彼以外には考えられませんでした。
Q5.どのようにしてメラニー・ロランの役に取り組みましたか?
彼女の役のモデルとなったアネット・モノ自身の思い出によってです。私が集めた思い出です。撮影を始めてすぐにメラニーは何度もリハーサルをすることが好きではないと説明してきました。彼女は直感的なのですが、私もそうなので、丁度よかったと思います。私は“辛苦”が好きではありません。もし自分にとって簡単だと思えるのであれば、それは自分に合っているからです。無用な苦しみは信じておらず、最高の演技を引き出すために俳優を拷問するのは無駄だと思っています。メラニーは“ダイレクト”なので、一緒に仕事をするのが大好きでした。もし自分の演技がうまくいかないと、自分ですぐにそう言うんです。彼女を“私の落下傘兵”と呼んでいました。「塹壕から出るわよ!」と言うと、最初に飛び出して来るのはいつも彼女でした。彼女は我慢強く、勇気があり、とても知的で、驚くほどシンプルな人です。わがままとは正反対なのです。私にとっての天の恵みとなりました。
Q6.今回重要な役割を果たした少年ジョーを演じる子役はどのように選出したのですか?
主役には200人、その他の役には100人ぐらいの子供に会わなければなりませんでした。ジョゼフ役は撮影6週間前になっても見つからず、決して見つからないのではと思っていました!きっとこの役を頭の中で想像しすぎていたのでしょう…。何人かに演技をさせ、コーチに託した子供もいたのですが、うまく行きませんでした。彼らは脇役には十分いいのですが、ジョー役は40日間もの撮影があるのです!そして最後に会った子供たちの中に、11歳の男の子で感受性がとても高く、人間味に溢れた瞳をしたユーゴがいました。扉の向こうの隣の部屋で仕事をしていた人たちも、この子が難しい場面を演じているのを聞いて、彼には心を揺さぶられると言いに来たほどでした!この年齢にしては成熟した男の子で、しっかりと自己規律ができ、確固とした意志があり、働くのが大好きでした。
執筆者
Yasuhiro Togawa