映画美学校の卒業製作の試写会で、学生の映画を酷評した講師・シマザキ。彼は観客の罵声で発狂し、観客42人を惨殺する。偶然難を逃れたなつきは、事件から4年後、大学生となり“究極のホラー映画”制作のため、廃墟となった映画美学校に撮影スタッフと共に足を踏み入れる。

恐ろしい映画である。『死ね!死ね!シネマ』というタイトルも挑発的だが、映画製作に携わったことのある人であれば、思い当たるような悩みや矛盾をさらけ出す台詞の数々も凄まじい。映画製作者は“映画”にどこまで迫ることができるのか。“究極のホラー映画”を突き詰めた先に写るものとは…?篠崎誠監督が全身全霊で映画製作とは何かを全映画製作者に問いかける問題作だ。

映写技師、映画ライターとして活動後、『おかえり』(95)で映画監督デビューした篠崎監督。この作品は、ベルリン国際映画祭 優秀新人監督賞、第20回モントリオール国際映画祭国際批評家連盟賞を始め、たくさんの国際的な評価を受けた。主な作品に『忘れられぬ人々』(00)『殺しのはらわた』(06)『怪談新耳袋 怪奇 ツキモノ/ノゾミ』(10)。昨年は、桐野夏生原作・木村多江主演の『東京島』(10)が話題になった。

『死ね!死ね!シネマ』は、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で36分のバージョンを上映後、7/17にプチョン国際ファンタスティック映画祭にて追撮分を加えた72分のバージョンでアジアンプレミアを行った。
また、映画美学校がプロデュースするオーディトリウム渋谷〜映画冒頭の惨劇シーンの舞台となった劇場にて、7月23日〜8月5日の2週間限定イブニング&レイトショー公開中となっている。










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■■映画美学校で現役監督と学生のコラボで生まれた作品■■
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——『死ね!死ね!シネマ』は映画美学校で学生さんと一緒に撮られたそうですが、企画の成り立ちや、非常に極端な内容になっている訳を教えてください。

篠崎:映画美学校には初等科、高等科があるんですけど、元々、講師が監督として高等科2年目の学生とコラボレーションで、約5日間の撮影で約30分の作品を撮るということを何年も続けていたんですね。それを高等科の1年目からコラボをやろうって話になって、1日で撮影が出来るもの、というのが条件でした。1日だとキツイんで、プラス1日でリハーサルをして正味2日間、内容は問わないってことになったんです。

 映画美学校は銀座の京橋にあったんですが、今年の4月に渋谷に移転したこともあって、撮影場所を映画美学校の中に限定しようと僕が提案したら、事務局側も他の講師の万田邦敏さんや西山洋市さんも乗ってくれて。万田さんは“危機一髪”っていうテーマを学生に投げて、危機的状況に陥った人物を描く。西山さんは古典の戯曲をアレンジしたようです。

 僕はその前に『怪談新耳袋』で5分の短編を2本撮っていて、新耳袋的な話だったら5分や10分で完結できるなって思ったんです。映画学校の学生が映画撮影中に怖い目に合う話を考えていって、学生からもアイディアは一杯出たんですけど、全部小ネタぽくなってしまって。もう少しストーリー性があるものがいいなって時に、自分の中で数年前から温めていたアイディアとリンクしたんです。

—それはどんなアイディアだったんですか。

篠崎:精神的におかしくなった映画監督が究極のホラーを撮ろうとして、最終的に自分が「用意、スタート!」って言った瞬間拳銃で頭を打ち抜いて霊界に行く。助監督がその様子を記録しているととんでもないことが起こるっていうものです。それと今回の企画が結びついたんです。なおかつ美学校の新校舎のお披露目もあるので、美学校を舞台にしてしまえ!と。それならそのまま学生も講師も出られる。実は最初、発狂する講師の役は映画監督の古澤健君にお願いしたかったんです。『making of LOVE』で彼自身が演じていたフルサワ役がとてもよかったんで、ああいう感じで学生の映画を情け容赦なく罵倒してもらおうと。でも、ちょうど新作の準備で彼が無理だったんで、やはり美学校出身で自身も何本も自主映画を撮っている金子裕昌君に監督役をお願いすることになって、シマザキというキャラクターを考えだしました。

——シマザキ監督の代表作が『ただいま』だったり『惚け老人たちのはらわた』『糖尿島』『犬も溶ければ』でしたね(笑)。

篠崎:他の誰かに似た名前にすると差しさわりもあるだろうし、自分を茶化すなら誰にも怒られないだろうと(笑)。ただ、ちょっと今になって失敗したかなって思うのは、シマザキを僕自身と重ねて見られてしまうことですかね。全く架空の名前にすればよかったですね。決して自虐的なパロディにしたかったわけじゃないんです。
 
 映画美学校の話に戻ると、僕ら講師は、普段から学生が撮ってきたものに対してガチで真剣に講評するんです。そこはプロもアマも関係ないから、中には落ち込む学生もいるかなって反省することもあって。逆に彼らが講師に対して言いたいことを、こういう形でぶつけるのも面白いかなって。

 ある人間が追い込まれていって最後に爆発に至る物語ってありますよね。たとえば、映画だったら、池田敏春さんの『人魚伝説』とか。それをクライマックスではなく冒頭に持って来て、その場に居合わせた高校生が偶然殺戮には巻き込まれずにその後映画を作り始め、廃墟になった映画美学校で映画を撮る。そんなストーリーを思い付いたら一気に書き上げて、ほぼ1日でシナリオが出来ました。

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■■自分が“映画”に対して開き直ってないか?
という恐れがどこかにある■■
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——「映画に殺される」「可能性をつんだのはあなた自身」とか「映画やめますか、人間やめますか」とか、映画制作に携わる人なら、必ず響くような台詞が出てきますが、これらはそういった方々への問い掛けでしょうか。

篠崎:自分が実感していることでもあるでしょうけど、さっきも言ったようにシマザキマコトが自分と100%イコールと思われると困るんです(笑)。なつきのような女子高生に批判されたくらいで発狂しませんよ。シマザキは僕よりずっとナイーブです(笑)。映画監督はみんなそうだと思いますが、作った作品は1本1本子供のように大事なもので、興行が延びなかったり批評的に良くなかったり、また自分なりの反省点が多くても、撮ったこと自体を後悔する映画は、もちろん『東京島』を含めて、1本もないです。

 ただ、僕自身も自主映画から始まって映画を作り続けているので、未だにこういうやり方でいいのかって悩むこともあります。なんとなく映画監督としてお金が貰えるようになったけども、学生時代に作っていた頃と比べて今の自分は変な妥協をしていないか、映画ってこんなもん、なんて開き直りをしてないかっていう恐れがどこかにあります。そういった感情は不思議なことにシマザキより、むしろ、ヒロインのナツキっていう女の子に極端な形で言わせている部分があるかもしれないですね。あの人は明快じゃないですか。明快だけど、大いに間違ってますけどね(笑)。僕自身はあんな風に現場で怒鳴ること自体好きじゃないし、まして役者をひっぱたくなんて僕は120%あり得ないですけどね(笑)。キャラクター=自分自身ではないからこそ、自由にやれた部分があるような気がします。だから自分の考え方は、どの部分とか誰の台詞とかに集約されるわけではなくってたぶん映画全体ににじみ出てしまっているんでしょう。

 何人かの美学校の映画監督たちが観て「すごく良く分かるよ」って。最初は『糖尿島』とか言ってるから自虐パロディかと思ったら、そうではなくて、もっとちゃんと映画作りに係る台詞だよね」って言ってくれて。それは何らかの形で映画を作った人でなければ実感できないこともあるかもしれないけど、映画って、全部が全部明確に伝わらなくてもいいじゃないですか。ゲラゲラ笑って観てくれてもいいし。どう観てもらってもいいんです。

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■■映画美学校生との撮影現場■■
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——ご自分に対する問いかけでもあったんですね。では、実際学生さんとの現場はいかがでしたか。

篠崎:中学生の頃、初めて映画を撮ったときの感覚に戻りましたね。当時はシナリオを書く場合もあるんですけど、何も書かずに友達と何時に集合!なんて集まって、何をするかその場で決めて撮っていく。プロってスケジュールを切って、全部段取り良くやることが求められるじゃないですか。それとは違って、とにかくやる気のあるヤツが集まってきて監督、スタッフ関係なくみんながアイディアを出し合って、「いいね!1回やってみよう」って撮っていた感覚に戻りましたね。
 
それはまったく初心に帰るってこととも違うんですが、人間って螺旋状に、ソフトクリームみたいに少しずつ上がっているというか。若さとかエネルギーってどうしたって10代、20代には勝てないんだけど、経験があることでもう少し無責任に、自由になれるんです。
カットが繋がらなくてもいいし、イマジナリーラインなんてどうでもいい!とか、小道具がなくなったっていいよ。こだわるのはそういう所じゃない映画を作ろう!って。撮影は楽しいですね(笑)。

——『怪談新耳袋 怪奇 ノゾミ』のDVDに収録されていたインタビューで、主演の真野恵理菜さんは篠崎監督について「一緒に考えて作ってくださる監督で、考えることでより役に入ることができた」とおっしゃっていましたが、今回の学生さんとの現場でもそのような進め方だったんでしょうか。

篠崎:そうですね。学生たちとも、プロの現場でも変わらずそういうやり方です。最初に『おかえり』って映画を撮ったときには、シナリオが上がって撮影開始まで半年以上かかったんですけど、その分、コミュニケーションをとる時間がありました。主演の上村美穂さんとは自主映画をすでに一緒に何本か撮っていたんで、こちらのやり方はわかっていたと思うんですが、初めて組む寺島君とはよく一緒に飲みましたね。現場で疑問点をぶつけ合うと撮影が止まるんですよ。その前に気にかかるところを演じてみて、違和感があればとことん話し合って。それは楽しくも、しんどくもあったんですけど、そのおかげで現場でもめずにスムーズに進んだって経験が大きかったんです。それ以来、クランクインする前になるべくスタッフと飲みに行くようにして、一度に全員は難しいんで、今日は撮影部と照明部、明日は美術部なんて風に。『東京島』も実家のうなぎ屋に招待したりして(笑)

——少人数でちゃんと話せる状態が大切なんですね。

篠崎:映画の打ち上げは別ですが、やはり少人数がいいですね。5〜10人くらいで。仲良くなりたいということではなく、仕事って、信頼関係じゃないですか。どういう人か全く分からなくていきなり「始めます」「カメラ回します」じゃ、実は僕も緊張します。どんな人なのか、どうして俳優になりたいと思ったのか、どうして映画のスタッフになったのか聞きたいんですよ。

 後、シナリオの読み合わせ、あれもイヤなんです。いきなりテーブルに座って読むなんて恥ずかしい。そういうことよりお酒を飲みながら話をしたりする時間って大事です。今回も学生たちとは打ち合わせを何度もやりました。撮影の前日には役者さんを入れないで美学校生のスタッフだけを集めて、それぞれが自分が演出するつもりでシマザキの役を演じてみたり、シカ男がマスクを叩きつけるシーンをほぼ全員に演じてもらって一言何か言ってもらったり。

——学生さんそれぞれのアイディアが出てくる訳ですね。

篠崎:それもありますし、一度自分の体を使って動いてみると、何をやるか「分かる」んですね。そういう風にリハーサルをしたシーンは、役者さんが来てもカメラ位置がちゃんと分かっているからみんな的確に動くことが出来るんです。これは大事なことで、役者さんはいきなりカメラ前の自分の都合じゃないところに立たされて、勝手に「用意、スタート!」って言われちゃうんです。そういう戸惑いを学生も一度経験しておいた方がいいんです。そうしたら「さっさと戻って」なんて言えないですよ。余裕があるときはそうやって自分たちで一度演じてみるようにしていましたね。

——『死ね!死ね!シネマ』のエキストラ募集をtwitterでされていましたね。

篠崎:最初助監督たちに「どれくらい集まった?」って聞いたら、「5人くらい」「え!?100人超えなきゃ!後1週間ないぞ」ってことになって。それから僕は3日くらい演出考えるどころじゃなくなって(笑)ずっと知り合いに直接電話して4、50人集めたんです。あとは色々な人にtwitterで回してもらって約40人、更に僕美学校生も来て、最終的に約150人くらいで満杯になったんです。ただ、前日にリハーサルをしたにも係らず、学生も自分もテンパってしまって(笑)。撮りこぼしが出た分をもう一度3、40人集めて、ゆうばりに来る直前に追撮したんですよ。2日間で撮り切れなかったシーンもあるので、これから更に追撮をしてちゃんとした形にしようと思っています。

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■■現象をどう見せるかという葛藤■■
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——篠崎監督の作品を拝見していると、『新耳袋』でもそうなんですが、“現象を明確に見せる”ことにてらいがないと言いますか、堂々と見せる演出をされますが、このことについてご自分ではどうお考えですか。

篠崎:実は、そのことは黒沢清さんや高橋洋さんと20年位前から議論していたんです。日本の怪談物のように青い照明でドロドロとあからさまに出るとつまんない。気配や見せないこと、あるいは奥の方に人か何か分からないモノが立っている方が怖いよねって。ある日、小中千昭さん脚本で鶴田法男さん監督の『本当にあった怖い話』の『霊のうごめく家』や、同じく小中千昭さん脚本の『邪願霊』観たら、まさに僕らが議論していたようなことを作品にしていたのに物凄く衝撃を受けて。これ凄いなー、悔しいなっていう思いがあって。今からこれをやると物真似にしかならないし、見せないことで表現することにも限界があるなって思ったところに、今度は清水崇くんが…。

彼は映画美学校の1期生だったんですけど、『呪怨』でバーンと幽霊だか何だかわからない化け物を実に堂々と見せたじゃないですか。白塗りで。これは、もう一度ちゃんと表現してみせることも大事だなと。抑制してヨーロッパ映画のような格調高い雰囲気にするよりも、もう少しやんちゃな方がいいかなって。元々自分はアメリカのB級映画やブルース・リーの映画が好きだったものですから、チープでもいいから、やれることをやった方がいいんじゃないかなって。そういうところに『怪談新耳袋』で『ツキモノ』と『ノゾミ』という対照的な2本のお話をいただいたんです。

——『ノゾミ』は抑制されたトーンでありながら見せる演出でしたし、『ツキモノ』はまさにアメリカのB級ホラーのテイストで、友達と大騒ぎで見たくなるような演出でしたね。

篠崎:物理的な問題や予算や撮影日数の関係で出来なかったんですけど、遠くの校舎の屋上にとり憑かれた女がいて、「やーい!」ってからかっていたら、そいつが屋上から100メートルくらい跳躍して、目の前に着地するっていうのをやりたかったですね。この『死ね!死ね!シネマ』も、まさにおっしゃっていただいたように、ちゃんと見せようと。本当は刺して血を飛ばしたかったんですけど、美学校の中ですから(笑)。改装する前ならよかったんですけど。

——新校舎ですもんね(笑)。

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■■フィルムに写るもの■■
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——『死ね!死ね!シネマ』を拝見して、映画を作るってことは、業が深いのかなって思いました。

篠崎:そうですね。そうかもしれない(笑)。

——それを突き詰めると、その先にフィルムに写るもの…怖いんですけど、そこまで突き詰めると別の世界すら捉えることが出来る。逆に希望のようなものを感じました。

篠崎:そうだったら、本当に嬉しいですね。ついつい映画って画面に写るものが全てだって考えがちなんですけど。フレームの外でやっていることって写るんですよね。フレームの外でみんながギリギリまで一生懸命やっていることが、写るんですよ。例えば撮影で相手の役者さんがその場にいられない場合、カメラ横で「目線こちらにいただきます」って、助監督が拳固を握ったりするんですが、僕はあまり好きじゃなくて。役者さんがいればできるだけその人に立ってもらうんですよ。写らないんですけど、やっぱり拳固を見てるのとは違うんですね。やっていることがちゃんと映像に反映されるし、そういうときに進んで「僕やりますよ」って芝居してくれる人が好きなんです。そういう人となら共犯者になれる。

 カメラもいくら光がキレイでも、カメラ前に照明や機材がたくさんあれば芝居がやりにくいじゃないですか。それだったら、もう少し光は我慢して役者さんがやりやすいようにして欲しい。自分がいい画を撮るれたらいいじゃなくて、いいスタッフは僕が言わなくてもちゃんと考えてくれるんで、そういうスタッフと撮っていると楽しいですね。

——ラストシーンはゾッとさせられました。

篠崎:あの後の展開は、ネットで配信してそれを見た人間がどんどん発狂していく描写もあるので、もうちょっと業が深くなりますよ(笑)。立教大学の学生も交えて物語の周辺を撮っていきます。それと『死ね!死ね!シネマ』を合わせて2本立てで、『映画地獄』っていうタイトルになります。“シネマヘル”ですね(笑)。キャッチコピーは「撮るも地獄、撮らぬも地獄」(笑)。映画監督のアンビバレントな気持ちです。撮ったら撮ったで大変だけど、撮れないことも辛いという(笑)。

——では最後にゆうばりファンタの感想をお願いします。

篠崎:2003年に『犬と歩けば チロリとタムラ』で来て、その後が2006年『霊感のない刑事』で、今回3回目なんですけど、やっぱりいいですね。知った顔が東京に居るより多くて、屋台村に行ったらすぐ横で井口昇くんや西村喜廣さんが飲んでたり。ストーブパーティーでは2人の熱闘風呂も見ましたよ!(笑)

 屋台では入ってきた方とすぐに一緒に飲めたりするし、話すのはひたすら映画のこと。妙に商業的なものはなくて、みんな楽しんで参加しているのが物凄く伝わってくるから、軽くなって東京に帰って行ける感じですね。(笑)
今回は主演のシマザキ役の金子裕昌くんと、ナツキ役の森京子さんを連れて来て、追撮が北海道ロケで出来たし。いいシーンが撮れましたよ。雪の中、僕も一緒になって走り回って転げ回って(笑)。乞うご期待!です。

執筆者

デューイ松田

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