アラン・J・パクラ監督の『パララックス・ビュー』(74)は、ウォーレン・ベイティ演じる新聞記者が、次期大統領候補の上院議員の射殺事件をきっかけに謎の暗殺組織“パララックス”に迫る。高層ビルを崩そうとする“蟻”のごとく微力な個人の姿を非情に描いた名作だ。

企業の形態をとる“パララックス”に属する個人の“顔”は見えて来ないが、野火明監督の『蟻が空を飛ぶ日』は、企業に属する側も“蟻”の集まりとして描いている。

普通の生活を送ってきた人間が、殺人を仕事とすることを余儀なくされたら?淡々とした描写の中に狂気の行為を織り交ぜて、愛し合う男と女の運命がクライマックスへと収斂されていく。

野火明監督は、1992年『ダイヤモンドの月』で、ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭 オフシアター部門でグランプリを受賞。1995年には商業映画『シークレットワルツ』(主演/伊藤充則・石堂夏央・堤真一)を監督した。

そんな野火監督が15年ぶりにメガホンを取ったのが『蟻が空を飛ぶ日』だ。インターネット上で全脚本を公開し、役者、スタッフを募集して作り上げた意欲作だ。

4月に行われた「ひろしま映像展2011」では、グランプリを獲得。ヒューストン国際インデペンデント映画祭で金賞を受賞し、今も様々な映画祭に挑戦し続けている。















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■■15年のブランクとネットを活用した制作体制■■
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——前作であり商業映画『シークレットワルツ』から15年ぶりの新作とのことですが、この間は本業であるフォトグラファーのお仕事に専念しておられたんでしょうか。

野火:仕事を続けながら商業映画をやろうと頑張ったんですけど厳しかったですね。コンスタントな仕事になればうまく回り始めるんでしょうけど、一生懸命脚本を書いても、映画って中々動きませんし、当然ながら動かないとギャラは入りません。2、3年はがんばってみたんですが、どんどんお金がなくなっていくばかりなので、しばらくは映画から遠ざかっていました。本業の側ら脚本をコツコツ書いて。やっと納得のいくものができたのでよし撮ろう!ってことで。後、ハイビジョンで撮れるようになったのもの大きいですね。自主映画で撮った映像も、35ミリで撮った映画と遜色ない。大劇場でかけられるクオリティになったということで、今回はハイビジョンカメラで撮影しました。

——商業映画『シークレットワルツ』での経験は、野火監督にとってどういったものでしたか。ビデオのジャケットにはツイ・ハーク監督とストーリーを練り上げたと書かれていますが。

野火:それは…宣伝の1つですね(笑)。商業映画は予算が何千万円もあって、有名な役者が使えますが、どうしてもプロデューサー主導になってしまいますので、中々思うようにいかなかったというのが正直なところです。出来た作品もヒットするには至らなかったというのがありまして。自分で基本的なところをコントロール出来るやり方で作った方がいいのかなって思いました。

——野火監督のHPを拝見すると、『蟻が空を飛ぶ日』のシナリオを丸ごと掲載されているのに驚きました。これは中々珍しいことではないでしょうか。反響はありましたでしょうか。

野火:長いブランクがあるので、スタッフや役者、全部あてのない所から始めたんです。出来るだけ脚本を気に入ってやりたいという人に来て欲しかったので、こういった形を取りました。

——役者のみなさんがはまり役で、主人公の健二役に黒田耕平さん、ヒロイン・真紀役に焼広怜美さん、凄腕の殺し屋・大道寺役に近藤善揮さんと理想的なキャスティングだったと思います。

野火:黒田耕平くんはTVの制作をやっている人の紹介だったんですが、一目見て「こいつしかいない!」と思いました。大道寺役の近藤さんはネットから応募してくれました。ヒロイン・真紀役で新人の焼広怜美さんは近藤さんの紹介。このキャスティングは核になる部分ですので、選ぶのが大変でしたね。真紀は親の敵を平気で殺すような力強い目を持った女で、イメージは『バベル』の菊池凜子さん。同時に子供っぽい純真なところを併せ持っているような女優さんということで選びました。他は全部ネットから応募してくれた人ばかりです。

——特に脚本にこだわったとのことですが、犯罪を扱った作品にも関わらず、汚い言葉が一切出てこないし、作品全体は非常に淡々とした雰囲気です。日常の中に殺人がある異常な描写が生み出す緊張感がたまらない作品です。人が人に手を下す後味の悪さが容赦なく表現されていて、非常に魅力的でした。

野火:今回は、普通の人間が殺し屋に仕立てられたらどうなるか。主人公たちの価値観が大きく変わる様子を心で感じてもらったり、そういった人達の恋愛がどういうものになるのか味わえるようにしたかったんです。僕の映画はバイオレンスを描いているんですけど、メインテーマはそこではない。そんな状況の中に芽生えた、小さな愛の芽のようなものを描くことが大きなテーマなんです。例えば小さな宝石を引き立たせるためには、真っ黒なビロードの上に置くと、その光が際立ちますよね。それと同じことです。基本的にはひねくれていない、まっすぐな映画だと自負しています。だから僕の作品はマニアにはウケが良くなくて、支持してくれるのは普通の人が多いですね。

——翻弄される“蟻”たちとは対照的に、さりげなく美しい画面構成の揺ぎ無さも印象的でした。フォトグラファーならではの美的感覚でしょうか。

野火:基本的に映像には凝らない、スナップショットのような映像が好きなんです。わざわざ景色のいい所に出向くのではなくて、何でもないごく普通の東京の街を撮って、その中でもいい画があったりするんです。

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■■映画、漫画、写真に夢中だった高校時代から現在へ■■
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—元々フォトグラファーになりたいと思ったのは何故ですか?

野火:高校生の頃、写真部で本格的に写真を始めて、一番好きだったスナップ写真を主に撮っていた。浅井慎平の『海流の中の島々』(77)や土門拳の『筑豊のこどもたち』(60)といった写真集が好きで、影響を受けましたね。

当時影響を受けた映画は『青春の殺人者』『タクシードライバー』『2001年宇宙の旅』です。ATGの映画やアメリカのニューシネマが好きでした。キネマ旬報やいろんな監督が書いた本、脚本集なんかを夢中で読んだり。
漫画も好きで、小学校の頃の楽書き程度から始まって、高校生の頃は本格的に漫画を描くようになって、短編を2本ほど広島の同人誌で掲載してもらったことがあります。ジャンル的にはガロっぽい感じ。つげ義春とか少年マガジン、永島慎二も好きで、『漫画家残酷物語』に憧れましたね。
本当は映画監督や漫画家になりたかったんですよ。でもそれで食っていくのは夢のような話だなと思っていたんで、僕にとってはフォトグラファーが現実的な選択でしたね。高校を卒業してフォトグラファーとして修行を始めてからは、そっちにのめり込んであまり映画は見ていなかったんです。
その頃好きで影響を受けたのは『地獄の黙示録』や『レイダース』。スタンリー・キューブリックやマーティン・スコセッシ、スティーブン・スピルバーグ、黒澤明。実際に映画を撮り始めたのは30歳くらいからなんです。

——写真と映画の魅力の違いは、どういったところに感じていらっしゃいますか。

野火:映画は物語を伝えるということが大前提。写真にはいわゆる普通の物語というのはないので、そこが大きな違いですね。コンテストで自分がある程度評価されたのが映画で、写真は作品を評価されるところまで行かなかったんです。映画はストーリーを作って構成して映像化するという行為がミックスされたジャンルなので、自分に向いてるのかなって思います。

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■■商業映画へのステップではない自主映画として■■
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——この作品は土日や休日を中心に撮影し、再撮も入れて34日程かかったとのことですが、差し支えなければ予算を教えてください。

野火:ポスプロも入れて、大体400万円くらいですね。この映画の中で登場する家やホテルはハウススタジオを使っていて、その費用が結構かかりました。主人公の健ニの家が1日15万。安いところで真紀の部屋が5万円くらい。ターゲットの金田の豪邸が一瞬写りますが、あれもレンタルです。

——自主映画では制作費削減のために知り合いの家を借りて、ということも結構あると思うんですが、ハウススタジオにこだわった訳は?

野火:それをすると、合ってないのに無理矢理設定したような、いかにも自主映画っぽい感じになるじゃないですか。実際知り合いに当たってみたんですが、そんな豪邸を持っているヤツはいなかった(笑)

——ゆうばりファンタにいらっしゃったのはグランプリを獲った92年以来ですか。

野火:99年にオフシアターの審査員として来て以来ですね。思ったより変わっていないので安心しました。「高校生の頃、野火さんの作品観てました」とか「あなたが伝説の野火さんですか」って言われたり(笑)。
一番笑ったのが、中川究矢監督の『進化』という作品の中でインタビューを受けていたのが、僕が審査員を務めた頃にオフシアターで出てきた村上賢司監督。「今の若い監督は」って話をしてるんだけど、彼がそんな歳になったんだってびっくりしましたね(笑)。印象に残った作品は寺内康太郎監督の『ぱんいち夫婦』。あんな奥さんだったら全然いいんじゃないかな。

——では最後に今後の展開を教えてください。

野火:自主映画って、自主映画を好きな人が観て面白い自主映画を作りがちなんですが、ごく一般の人が観ても、普通に違和感なく観られる映画を目指しました。自主映画が商業映画に行くステップではなくて、商業映画として通用するものを作りたかったんです。これからは様々な映画祭に出品して、反応を見ながら公開を目指して動こうと思っています。

執筆者

デューイ松田

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