開催中の第23回東京国際映画祭アジアの風−アジア中東パノラマ部門で注目を集める韓国映画『虹』。映画製作に悪戦苦闘する四十路の女性監督が、家族との関係に軋轢を生みながらも、進むべき道を模索していく姿をコミカルかつリズミカルに描いた意欲作で、全州国際映画祭の韓国長編映画部門でグランプリを受賞するなど評価は高い。メガホンを取ったのは、シン・スウォン監督。映画の主人公との類似性をはじめ、彼女の経歴を語る上で欠かせない“シナリオ”に対する意識や姿勢を中心に、作品の本質に迫っていきたい。



Q:映画は、撮影にGOサインが出るまでの道程が長く険しいですね。『虹』は、そんな映画の裏側にスポットを当てた映画ですが、やはり監督の経験が反映されていますか?
スウォン監督:もちろん。この映画を撮る前に音楽映画を9年がかりで準備していたのですが、それがボツになってしまったのです。そこから新しく考えたのが、決して作られることのない、完成することのない映画のメイキング映像を作ってしまおうという発想。それを起点に、『虹』の製作に取り掛かりました。

Q:作中で論争になる映画の商業性や大衆性という観点は、やはり監督にとって避けては通れないものなのでしょうか。
スウォン監督:商業映画界で仕事をした経験も踏まえて、私はシナリオを書くときに、これは商業的な映画にしようとか、アート系の映画にしようとか、そういうことは考えないで書きます。とにかく、自分が映画にしたいこと、語りたいこと、楽しみたいこと、面白いと思えること、をシナリオに書いていくようにしているので、商業性とか大衆性は念頭に置かず、本当に気の向くままに書いています。映画の方向性は、出資してくれる人がシナリオを読んでから決めれば良いと思っています。あと、『虹』が、11月18日に韓国で上映されるのですが、有名なスターは出演していないし、上映する映画館の数もそれほど多くはないので、何人の人に観てもらえるかはわかりませんが、監督である以上、沢山の人、大衆に観て欲しいという気持ちはあって、それを願っています。

Q:主人公の隣室で仕事をする筋トレ好きの男性監督がいますよね。彼は、面白いキャラクターですし、琴線に触れる台詞も言います。特に「シナリオは直すな!」「新人監督にとって大事なのは自分の色!」。これらの警告じみた発言は、監督ご自身の信条を代弁させたと考えてよろしいですか?
スウォン監督:その通りです(笑)。

Q:あと、筋トレ監督が着ていたTシャツはウィットに富んでいました。産まれる予定の胎内の赤ん坊の超音波写真をTシャツにプリントするという発想はどこから?
スウォン監督:あのTシャツにプリントされた写真には、時間経過をわからせる目的があります。超音波写真の赤ん坊が産まれてくるまでの時間は、シナリオが生みだされるまでの時間とリンクしているのです。生産という意味では、赤ん坊もシナリオも同じ。それを利用して、クランクインまでの時間を説明しています。筋トレ監督の台詞にもありますよね。「自分の子供みたいなシナリオをなぜ捨てる?」って。その台詞にも意味を込めていたのです。大抵の映画では季節などを見せることによって時間経過が説明されますが、もしかするとTシャツでもそれを説明できるのではないかと考えて、実行しました。

Q:プリンターからシナリオが出てくるカットがある一方で、シュレッダーでシナリオが裁断されるカットがあります。明暗が分かれるそれらのカットからも感じたのですが、シナリオを捨てるというのは、我が子を捨てるように、心が痛むものなのですか?
スウォン監督:本当に、シナリオというのは自分の子供みたいなものですよ。私も作中と同様、シナリオをシュレッダーにかけて粉々にして捨てた経験があります。映画の制作会社の中でプロジェクトを進めていたのですが、それがボツになり、山のように溜まったシナリオを処理する必要が生じました。仕方なくそれらをシュレッダーにかけたら大量のゴミが出たので、大きなビニール袋に入れて路傍のゴミ置き場に捨てたのです。その翌日に、同じ制作会社で作品を準備していた監督さんが撮影の初日を迎えたので、撮影前の行事に参加したところ、捨てたシナリオのゴミがまだ回収されずに置かれたままだったのを目にしてしまったのです。本当にアイロニーで、シナリオが実現して撮影を迎える監督と同じ空間に、私のようなゴミ置き場にシナリオを捨てなければならなかった監督が一緒にいる。その時は、さすがに心が痛かったです。

Q:『虹』のシナリオは、何回書き直されたのですか?
スウォン監督:他のシナリオは何度も何度も直した経験があるのですが、『虹』に関しては、初稿が完成するまでが2週間で、その後は3回しか直していません。

Q:主人公がPCでシナリオをタイピングしている時、カーソルが蟻に変化して、画面から大量に発生してくるシーンがありましたね。あの映像にはどのような意図が?
スウォン監督:ある作家の方が言っていた「時々カーソルが自分を睨んでいるように感じる」という言葉がヒントになりました。確かに、カーソルをクローズアップしてみると、睨まれていると錯覚するのは理解できます。そこに蟻の要素を加えたのは、勤勉さの象徴とされる蟻を用いることで、勤勉で一生懸命働いているにも関わらず、それが逆に自分を苦しめているという矛盾を表現したかったのです。

Q:主人公が、後輩の監督が撮影する映画に、エキストラとして出演する羽目になってしまうシーンがありますね。近づいてきた俳優に「おばさん、どこに行くんだ?」と質問され、「わかりません」と彼女が答えたら、思いっきりビンタされた挙句、監督から「カット!NG!」と、ダメ押しされる。そして、この一連の動作を十回以上繰り返します。このシーンは、主人公の置かれている閉塞的な状況を端的に表していますね。とても印象的です。
スウォン監督:このシーンでは、主人公を、ある1つの状況に追い詰めてみたら、彼女はどのようなリアクションを取るのか試してみたかったのです。最初の段階では、彼女を殴るのは通行人ではなく、彼女が自分の映画に起用したかったトップスターという少し皮肉な設定でした。しかし、思うようなキャスティングができなかったので、結局シナリオを変えて、通行人が通行人を殴るという今の設定になりました。「おばさん、どこに行くんだ?」という台詞は、撮影の1週間前に考えたのです。このシーンは、シナリオを書く上で一番難しかったのですが、今となっては、一番気に入っているシーンです。

Q:そろそろシナリオから離れて、『虹』の特性でもある歌について質問したいと思います。主人公のシナリオが基になって誕生した歌「通行人3」は、とても心地の良い曲で、歌詞にも心を揺さ振る力があります。どのような経緯で誕生したのですか?
スウォン監督:元々、音楽監督の人が作ってくれた曲があったのですが、それがどうも私の期待していたものとは違うので、その曲は使わないと彼に言ったのです。そうしたら、彼は怒って音楽監督を辞めてしまい、当初の計画は頓挫。それでも、大切なシーンで使われる大切な曲ということだけは譲りたくありませんでした。音楽の全体的なプロデューシングを担当するようになった時、前から知っていたエブリシングルデイというバンドの存在を思い出して、彼らに作曲をお願いすることにしたのです。2週間という期限を伝えたところ、メンバーの1人が以前作った楽曲があるので、そこから選んでみては勧められ、8曲ほど聴くことに。その曲の1つに、行進曲のような、私の映画のイメージにピッタリの曲があったので、それに決定したのです。歌詞は、私とそのバンドのメンバーが協働で書きあげました。そのようにして完成した歌です。

Q:「通行人3」に、“どこにでも行けるさ!”という魅力的な歌詞がありますが、監督はこれからどこに行きたいと思っていますか? 抽象的な質問で申し訳ないですが。
スウォン監督:どこに行くかはわからないですね。さっき話題に挙がった「おばさん、どこに行くんだ?」という台詞がありましたが、実は、それに対して答える形で候補に挙がっていた台詞があったんです。「あんた達は、自分がどこに行くのかわかってんの?」。結局この台詞は使いませんでしたが、どこに行くのかと質問されても、人は最終的には、どこに行くのかわからないものだと思います。ただ、それを逆手にとって答えるならば、歌詞のように、どこにでも行きたいと、私は答えたいですね。

Q:なるほど。今日は、お忙しいところ、本当にありがとうございました。
スウォン監督:こちらこそ、ありがとうございました。

執筆者

渡部公揮

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