近年躍動するトルコ映画界の新星ベルマ・バシュ監督にインタビューを敢行。
短編デビュー作『ポイラズ』がカンヌ国際映画祭で正式上映されるなど、その映像美が高く評価されている新進気鋭の彼女が今回監督したのは、現在開催中の第23回東京国際映画祭のコンペティション部門に出品を果たした話題作『ゼフィール』。壮大で美麗な自然に囲まれた丘陵地帯の村を舞台に、母の愛情を希求する少女ゼフィールの複雑で繊細な心の動きが丁寧に描写される本作を通じて、表現したかったテーマや伝えたかったメッセージとは何だったのか。



Q:観客と一緒に『ゼフィール』を鑑賞されていましたが、彼らの反応から手応えを感じることはできましたか? 例えば、コンペティションで賞を狙えそうだ、とか。
バシュ監督:何とも言えません。私がこれまで映画祭に関わった経験から、必ずしも観客の反応だけで考えるのではなく、色々なクライテリア(尺度)から判断するようにしています。コンペティションはくじのようなものなので、まだわかりませんね。

Q:監督にとって、『ゼフィール』が長編映画デビューになるわけですが、その制作過程において、何か苦労したことはありましたか?
バシュ監督:制作のどの段階も大変ですが、特に撮影中の天候ですね。この作品の撮影空間は私のホームタウンだったので、天候の変化とそれに伴う困難は十分に理解していたのですが、イスタンブールから来た撮影チームは慣れていないものですから、とても苦労したようです。私としてはそれが辛かった。雨が降ったり霧が立ち込めたり太陽が出なかったり、自然が主役の映画特有の難しさがありました。あと、撮影期間が長かったことが余計に影響を与えたと思います。作中に出てきたカタツムリのスローテンポな動きも、スケジュールを考えた時に懸念材料の1つでした。

Q:撮影期間を教えてもらえますか?
バシュ監督:7・5週です。あと、撮影チームが帰ってから1週間ほど追加の作業をしました。

Q:作中の雨や霧は、とても示唆的なものに思えましたが…。
バシュ監督:そうですね。悲劇的な結末と結びついている部分はあります。

Q:あの結末からもわかるように、物語の構成、起承転結がしっかりしていますよね。
バシュ監督:最初から布石を散りばめて最後に結び付くようになっていますが、あれほどの悲劇になるとは誰も思っていなかったでしょう。人生の中では、あのような思いも寄らないことが突然起るものなのです。

Q:映画を観た皆さんが異口同音に映像美が優れていると言いますよね。冒頭に出てくる獣の屍にたかっている蠅や蛆でさえどこか美しく、あまり不愉快ではありませんでした。視覚的に汚れたものを美しく撮影するテクニックなどがあるのでしょうか。
バシュ監督:いえ、そういうことは絶対にありません。荒々しいものも恐ろしいものも、私が見たままの、ありのままの姿を撮りました。死というのは、自然の一部分であって、蠅や蛆がたかっているのは自然の1つの姿なのです。都市化して文明的な人間は、それを美しいとか汚いとか勝手に名前を付けているに過ぎません。ありのままの姿です。

Q:今話題に出た“死”は、作品の大きなテーマだと思うのですが、ゼフィールが死に対して行う厳粛で神聖な儀式は、どのような意味があるのでしょう?
バシュ監督:子供なので、死という言葉はわかっていても、死がどのようなものかはわかっていません。心理学の研究では、子供が本当に死を理解できるようになるのは12歳からだと言われています。ゼフィールは、11歳から12歳という、死を理解できるか否かの境目にいるので、まだはっきりとはわかっていません。彼女のおじいさんが、敬意を払って獣の死体を葬っている姿を見て、それが正しいことだと思い模倣しているのです。

Q:全体的に、男の存在感が薄いというか頼りないですよね。ゼフィールに「俺がいる」と豪語してフラれてしまったボーイフレンドがその典型的な例ですが。
バシュ監督:思春期のゼフィールが抱えている問題が、彼女の両性的な服装にも表れています。やはり、性別に対するアイデンティティがまだ確立できていません。女になっていくことの怖さがあるのです。それは、父親を知らずに育ったことや母親が近くにいないことも影響しているのかもしれません。加えて、母親こそが、ゼフィールにとって恋人のような存在。だから、母親以外の人間、例えばボーイフレンド、からの愛情を受けるのが苦手で、拒絶してしまうのです。

Q:歌は、登場人物の気持ちを代弁する重要なツールだと思いました。特に印象的だったのが、ゼフィールが、ボランティアの仕事のために自分を置いて出て行こうとする母親に向かって、言葉で直接言わずに、レコードの歌を流すことによって自分の気持ちを伝えたシーンです。この独創的な演出は、どのようにして生まれたのですか?
バシュ監督:この作品は自伝映画ではないのですが、私が子供の頃に聞いた70年代に流行した有名な歌からインスピレーションを受けている部分もあるので、それを物語の中に挿入しました。トルコ人は、特にそうなのかもしれませんが、日常のことは色々話しても、自分の感情をそのまま話すということはあまりありません。ですから、歌を感情表現の手段として考えました。

Q:あの歌はオリジナルですか?
バシュ監督:あれはスペインの歌で、ロリータ・フローレスの「アモーレアモーレロリータ」という曲です。それを知ったのは最近で、今までずっとトルコの歌だと勘違いしていました(笑)。

Q:とても好きな台詞があります。それは、パンフレットの写真にも使われている、山の中で横になったおばあちゃんが、寄り添うゼフィールの母親とゼフィールに言った「私の娘」「私の娘の娘」という言葉です。映画のテーマの1つに“死”がありましたが、もう1つのテーマは間違いなく“母性”ですよね。自分の子供と孫に言ったこの言葉は、母性を象徴していると思ったのですが、いかがですか?
バシュ監督:私も好きな言葉です。トルコで生産が盛んなヘーゼルナッツについてメタフォリックな表現があるのをご存じですか。ヘーゼルナッツの実を取るには皮を剥く必要があって、そんな皮を自分の子供に置き変えて考えた時、皮を剥く作業が困難で苦労するのと同じように、子供の扱いは難しく、結果として複雑な関係になりがちです。その一方、皮を剥いた実は、まさに孫のようなもので、手間を必要とせず、単純に可愛がるだけでいいのです。私の祖父母も、私という孫に対して、両親が甘やかす以上に甘やかしてくれました。祖母と母の関係・母と私の関係。互いにチェーンのように繋がる三世代の間の関係が、自分が誰なのかというアイデンティティの行方にも繋がっていて、とても大事だと思います。祖母と母の間に、決して解決できないような問題が存在していて、それがやはり、母と自分の関係に反映されてくるのです。もしかするとゼフィールは、自分の母親が彼女の母親、つまり、おばあさんに対してできなかったことを、自分の母親に対してやろうとしているのかもしれません。我々が現在抱えている問題にはルーツがあって、ずっとずっと前、私たちが生まれてくるはるか前から存在しているものなのです。

Q:少し話が早いかもしれませんが、次回作の構想についてお聞かせください。
バシュ監督:実は、『ゼフィール』を撮影する前にすでに脚本を書き始めていました。それは、街を舞台にした話なのですが、前作『ポイラズ』を撮った時に自然の美しさに感銘を受けて、自然をテーマにすることからどうしても離れたくなかったので、今回も、美しい自然に囲まれた村を舞台にした『ゼフィール』を撮影したのです。ですから、物語の着想順としては、次回作の方が過去になりますね。ゼフィールは、少女の階段を上る女の子でしたから、次回作の主人公は、17、8歳の少女とその母親で、私の作品で一貫している“風”を越えて行かせる物語にするつもりです。(ポイラズは、ギリシャ語で北の風を表し、ゼフィールは、優しい西の風を意味する)
Q:監督の作品を東京国際映画祭で再び観られる日を楽しみにしています。今日はありがとうございました。
バシュ監督:(日本語で)ドウモ、アリガトウ。

執筆者

渡部公揮

関連作品

http://data.cinematopics.com/?p=48917