今から10年前、その恐怖の歴史は清水崇監督によるビデオ版『呪怨』から始まった。
あまりの怖さから瞬く間に口コミで評判となり、ビデオ版『呪怨2』、『呪怨 劇場版』、『呪怨2 劇場版』と続々と続編が製作され、劇場版はそれぞれ興行収入5億、11億という大ヒットを記録。
遂には2004年に清水監督自身の手によりハリウッドで『THE JUON/呪怨』としてリメイクされ、全米興行収入1位を獲得。次いで2006年には清水監督による『呪怨 パンデミック』で、再度全米1位に輝いた。

そして2009年、新たな伝説の幕開けとして『呪怨 白い老女』(監督・脚本:三宅隆太)『呪怨 黒い少女』(監督・脚本:安里麻里)が2作同時上映される事となった。

『呪怨 白い老女』——ある一軒家で、息子が家族5人を次々と惨殺する事件が起きた。息子も首を吊って自殺し、その最中に録音したカセットテープには、「行きます、すぐ行きます・・・」という彼の声以外に、少女の声が録音されていた。
その声の主は、高校生のあかね(南明奈)が小学生の時に親友だった少女・未来。
未来は、一家惨殺事件の被害者だった。霊感の強いあかねの前に、黄色い帽子をかぶり赤いランドセルを背負った未来が姿を現し・・・。

原案・監修:清水崇、プロデューサー:一瀬隆重というビデオ版から一連の作品を育んできた2人によって、数10名の候補者の中から5名の監督候補が選ばれ、脚本作りを行う過程で、最終的に今、最も『呪怨』にふさわしい監督2名が選ばれた。
『呪怨 白い老女』の三宅隆太監督は、『ほんとにあった怖い話』シリーズ、『怪談新耳袋』シリーズなど数多くのホラー作品の監督・脚本を手掛ける若手監督である。

Jホラーの創始者・鶴田法男との共同作品も多く、Jホラーの真髄DNAを引き継ぐ三宅監督が新たに仕掛ける“ネオ・呪怨”の世界とはいかなるものなのか?
三宅隆太監督にお話を伺った。





——“白い老女”と“黒い少女”という2本立て上映という事ですが、この白と黒という2本の組み合わせになるのは元々決まっていたのですか?

「元から決まっていたのではなく、おのずとそうなっていった感じですね。
ある段階まではどちらも別の仮タイトルで進めていました。
そもそも、ぼくと安里さんの個性があまりにも違うので(笑)シナリオを書いていても、内容面・ビジュアル面ともに被ることはないんです。でも、二本立て興行ということを考えると、二作品の違いをさらに「白黒ハッキリ」させたくなったんじゃないでしょうか?(笑)。最終的にはプロデューサーの一瀬さんの発案で、今のタイトルに決まりました。」

——プロデューサーである一瀬さんは、製作発表時に“もう一度ビデオ版の怖さが出せたら”と発言していました。三宅監督は99年のビデオ版から『呪怨』をリアルタイムで観ていたとの事ですが、ビデオ版の怖さをもう一度出すという事については、どう考えていますか?

「映画に限らず、「最初に作られたもの」にはある種の「念」が籠もるものです。
清水監督にとっては、単なる再生産に留まらず、いかに拡大再生産にしていくかという、闘いの10年だったと思います。
その結果、どの『呪怨』もそれぞれ違う怖さを勝ち取っていった。本当に感服します。ただ、それでもやはり「原初ならではの怖さ」というのは、ビデオ版にのみ籠っているのは確かです。今回、続編でもリメイクでもない、“ネオ・呪怨”をどうやったら作れるだろうかというのが、最初に与えられた試練でした。
「ビデオ版の怖さをもう一度出す」というのは、これまでの『呪怨』の連鎖を断ち切って、新しい『呪怨』の流れを作っていくという事だと結果的に解釈したんです。」

——『呪怨』の生みの親である清水監督自身も、以前“『呪怨』は自分が越えなければならない最大の壁である”と発言していますし、新しいものを踏み出して作る上でプレッシャーは感じましたか?

「まったく感じなかったと言えば嘘になりますが、正直あまり感じませんでした。
そもそも、清水監督の真似をしても仕方がないですし、真似なんてできないと思うんです。よくホラー映画の企画に呼ばれると、プロデューサーの方から“『呪怨』みたいにしたいんだけど”と言われることがあります。
ところが、よくよく話を聴いてみると“伽椰子が階段を這ってくるシーン怖いよね”といった、表層的な捉え方をしているひとがほとんどです。失礼な話ですよね。『呪怨』の本質をまったく見ていない。そんな状態で、“『呪怨』みたいにしたい”なんてよく言えるな、と(笑)。
たしかに、清水さんの『呪怨』は怖いし、笑えるところもある。でも、最大の特徴は、人が人を呪う、怨むという事の本質をきちんと描いている点だと思うんです。それを描くには、腹をくくって「作り手の死生観」をさらけ出さなければならない。清水さんは『呪怨』のために、真っ裸になっていると僕は思うんです。そこが数多のJホラーとは一線を画している部分でしょうね。
ですから今回、自分が『呪怨』を監督する事になって、まずなにより“三宅の『呪怨』”にしなければいけないし、そうして欲しいという依頼でもあったので、ぼく自身の死生観を信じて作っていったという感じですね。そうしないと清水版『呪怨』へのリスペクトにはならないと思います」

——『怪談新耳袋 劇場版』(04)の中の『姿見』という三宅監督の作品では、この“白い老女”に登場する老女とよく似た老女が登場しますが、これは監督のトレードマーク的キャラクターなのでしょうか?

「今回の『呪怨 白い老女』は『怪談新耳袋 姿見』のプリクエル(前章)にあたります。
ですから、ふたりの老女は似ているのではなく、同一人物なんです(笑)。
実際、演じている方も同じですしね。プロデューサーの一瀬さんから、“あなたの『呪怨』にして下さい”と言われたと同時に“(一連の『呪怨』作品に登場する)伽耶子は出さないで下さい”とも言われました。
つまり、キー・ビジュアルとなる新しいメイン・キャラクターを作る必要があったわけです。そこで、一瀬さんに“『姿見』のバスケ婆さんの生前の姿を描くのはアリですか?”とお尋ねしたところ、「それは面白い!」という話になったんです。」 

——今回、家族が家を見学に来るシーンで、おばあちゃんはまだ生きているにも関わらず背後に白い老女が通りますが、この辺りの因果関係は?

「確かに、不思議な印象を受けると思います。
まだ生きているのに、死後の姿が出てくるワケですからね。同じく、姪っ子の「未来」はまだ生きているにもかかわらず、カセットテープに「死後の彼女の声」が入っていたりするのも、本来ならおかしなことです。殺した後でないと起こり得ない事ですからね。
実は、現場が混乱するとマズイので、スタッフやキャストには言わなかったのですが、あの時すでに篤は死んでるんです。
よく「飛び降り自殺をしたひとは、自分が死んだことに気づかずに延々と同じ場所で飛び降り続ける」という話がありますよね。
ようするに「無限地獄」に堕ちる、と。篤はまさに「無限地獄の住人」なんです。篤が初登場するのは、家を見上げているシーンですが、それ以前のシーンは何故ないのか?理由は簡単です。一家惨殺を終えて首を吊ったあと、彼はまたあの家の前に戻っているからなんですよ。
つまり、初登場の段階からすでに、篤は家族を殺して、首を吊って、また家に戻るという事を何万回も繰り返した結果なんです。あの家には、我々の住む三次元的な時間軸とは違う、霊的な時制の狂いが生じているワケです。
そういう意味では、今回の『呪怨 白い老女』は現在と7年前のエピソードがカットバックしながら進む構成ですが、実は7年前のシーンなんかない。
今は空き家になっているあの家で、人知れず連日連夜、同じことが延々と繰り返されている、現在のエピソードなんです。要するに「時間怪談」なんですよね。姪っ子の名前を「未来」と名付けたのは、そのためのヒントです。
ですから、クリスマスケーキを配達に来た青年(文哉)が、のちに恋人・千穂を殺しますが、あれもあのままだと何百回、何千回と殺さなければならなくなる。
さきほど、ぼくの死生観をさらけ出すという話をしましたが、殺人を犯した人間が罪悪感のループに入り込む、というのもそのひとつです。ただし、ラストで「未来」だけは、無限地獄から脱することができた。それがこの映画の唯一の救いかもしれませんね」

——本作が映画初主演となる南明奈さんはホラーが苦手だそうですが、撮影現場の雰囲気はいかがでしたか?

「とても和んだ雰囲気の、微笑ましい現場でした(笑)。
僕は、ホラー映画というのは、観客に対する「おもてなし」だと思っています。「怖い思い」を家まで持ち帰ってもらって、シャワーを浴びている時に背後を振り返るのが怖くなるくらいじゃないと。それがホラーを作る際の「おもてなし」だと思うんです。映画を見終わって、すぐに忘れてしまうようなホラー映画は、良質のホラーとはいえない。
ですから、現場ではスタッフやキャストのサービス精神や、おもてなしのいたずら心が入る余地を残しておくよう心掛けています。ピリピリした現場で作っても、怖いホラーにはなりません。冗談が飛び交う和やかな現場でなければダメなんです。今回も楽しい現場でした。アッキーナが怖くて泣いたというのは現場ではなく、シナリオを最初に読んだときの話です。彼女自身はご家族と大変仲が良いと伺っているので、後半の展開が相当ショックだったんじゃないでしょうか。」

——殺人犯と化してしまう長男・篤は、一体いつから家の念に祟られてしまったのでしょうか

「彼は家の前に来た時点で、すでに「何らかの異変」に気付いています。繊細な男ですからね。かつて殺人のあった家の「残留思念」を感じとってしまうんです。
そういう意味で、タイミングとしては「はじめから」ということになりますが……。
実は彼は「家の念」に祟られたワケではないんです。和室に置かれた姿見に手を伸ばすと、中からもうひとりの篤の手が出てきて、引っ張られますけども、別に何かに取り憑かれて暴力的になったのではなく、長年貯め込んだ怒りや哀しみが、暴力性として目覚めてしまったんですね。
敏感な感性を持ったキャラクターなので、あの家に越したことで、心に「魔」が「差した」ワケです。僕は「生きている人の心が見えない人間には、死んだ人の姿も見えない」と考えています。
つまり、「霊の存在を感じるかどうか」は「霊能力の有無」ではなく「想像力の有無」だと思うのです。あの家族の中で、篤はもっともデリカシーのある、繊細で優しい人物です。ただ、「想い」を外に出すコミュニケーション能力が足りない。気を遣いすぎて、あれこれ考えているうちに、言葉にするタイミングを逸してしまう。自意識過剰ともいえます。
だから、端から見ると「ただ黙っているひと」にしか見えない。何も考えていないように見えるわけです。ただし、姪っ子の未来にだけは、素直になれる。精神的に身構えなくていい相手だからですよね。バットで殴り殺される父親(健太郎)は、息子の繊細な個性に気づく感性を残念ながら持ち併せていない。
だから、普段は「お前ならできる」みたいなことを言っているクセに、いざとなったら「こんなにバカだとは思わなかった」なんて言葉が平気で出てくるワケです。あの一家は、日頃からもうちょっと本音を言いあうべきでしたね。
そうすれば、あんな事件は起きなかったかもしれない。篤もためこまないで、もっともっと父親に刃向かって喧嘩すべきだった。姿見から延びたもうひとりの篤の手は、彼の心の奥深くにある願望。もっと正直になりたい、でも、できない、というジレンマかもしれませんね。」

——客観的に見て、『案山子/KAKASHI』などで何度も一緒に仕事をしている鶴田法男監督と、『呪怨』の生みの親である清水崇監督と、三宅監督ご自身のテイストの違いはどこでしょうか

「自分自身のことなので、なかなか「客観的」にはなれませんが(笑)。
本質的な部分で三者ともまったく違うテイストだと思いますよ。まぁ、でもテイストというのは、各作品の狙いによってもある程度変わってくるものですし、シナリオが欲しているものをどう撮るか、という点でも違ってきますしね。でも絶対に変わらない部分もあるし。う〜ん……難しい質問ですねぇ(笑)。
ぼくがいくら言葉を並べても、「心霊ホラー」とひとくくりにされたら、同じに見える人には同じに見えるでしょうし、違うとしても、幽霊が立っているのか、近づいてくるのか、近づいてくる場合はゆっくりなのか早いのか、そういう表層的な話になってしまう気がしますしね。
ぼくの言い方では、「死生観」の違いとしか言いようがないですけどね(笑)。あとは、女性の描き方に三者三様の個性の違いがかなり出てる気はしますけど……あ、でもそれも突き詰めれば死生観の違いのような気がするなぁ(笑)」

——ちなみに、ホラーといっても本当に様々な種類がありますが、三宅監督自身が初めて怖いと思ったホラーは何ですか?

「TVドラマの『あなたの知らない世界』(日本テレビ)です。視聴者の恐怖体験を再現ドラマ化する、心霊実話テイストの元祖的な番組でした。世代的には特殊メイクブームや、アメリカのスラッシャー映画が氾濫していた時期に思春期を迎えていましたけど、活劇的なホラーよりは、日常生活と地続きのホラーに恐怖心を抱いていたような気がします。」

——“白い老女”は今回の『呪怨』でも、オリジナルの『姿見』でも、アグレッシブな動き方をしているのが印象的ですが、どのような意図があるのでしょうか

「さっきのおもてなしの話と通じてくるのですが、ぼくは「ある種」のホラー映画には「茶目っ気」が必要と考えています。
そういう意味では、ホラーとコントは紙一重だと思うんです。自分が『呪怨』を作る時には、清水監督が持っていた「いたずら心」や「サービス精神」は絶対に引き継がなければならないと思い、結果的に今回の老女も「走る」ことになりました。そういったアプローチが『姿見』の際にも、『呪怨』の際にも必要だと考えたからです。でも、だからといってすべてのホラー映画に茶目っ気が必要とは思いません。おもてなしの方法にも色々ありますからね。」

——次回作の予定を教えて下さい

「すでに放送が始まっているものでは、NHK教育の道徳ドラマ『時々迷々』に脚本家として参加しています。7月4日からはBS-TBSで『ケータイ刑事』の新シリーズ『銭形命』がスタートします。これも脚本家として参加しています。
7月8日にはキングレコードから『怪談新耳袋絶叫編まえ・すごい顔』『怪談新耳袋絶叫編うしろ・記憶』の二本がDVDで発売されます。どちらも脚本を書いています。『すごい顔』は90年代初頭に作られていたJホラー創生期のテイストを総括したメタ的な内容です。『記憶』はヨーロピアンテイストのニューロティックホラーで、題材としては「時間怪談」に挑んでいます。オーディオコメンタリーも担当していて、ホラーのシナリオづくりや演出についても語っているので、ご興味おありの方は是非聴いてみてください。
7月17日からは、NHKのワンセグドラマ『404 NOT FOUND』が始まります。これは「幽霊が登場しない都市伝説」を題材にしたオムニバスドラマで、ぼくが全エピソードの脚本を担当。その内何本かでは監督もしています。
8月にはフジテレビの『ほん怖』が帰ってきますし、秋になると某局で変身美少女モノの特撮ドラマがスタートします。まだタイトルやキャストは発表できないんですけど、かなり個性的な番組なので話題になると思います。ぼくは脚本と監督の両方で参加していて、現在、撮影真っ最中です(笑)。あとは映画を何本か。自分が監督する作品もありますし、脚本のみ担当のものや、スクリプトドクターとして参加しているものなど、複数本の企画を進めています。ジャンルも予算も幅広く(笑)、相変わらず節操なくやってますね。」

執筆者

池田祐里枝

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