母を訪ね、35歳のニートは生後2ヶ月のマメシバに導かれ、人生初の旅に出る—。

35歳、無職の芝二郎(佐藤二朗)は生まれてこのかた半径3キロ以内から一歩も外に出ずに実家で暮らしていた。突然の父(笹野高史)の死に相次ぎ、母(藤田弓子)が家出してしまう。
そこへ現れたのは、一匹のいたいけな生後2ヶ月のマメシバ。世話なんて無理!と二朗は言うが、実はマメシバは母が自分を探しに外の世界に出させる為の存在だったと知り、犬の里親探しで出会った可蓮(安達祐美)や幼なじみの洋介(高橋洋)たちから背中を押され、ついにマメシバと共に二朗は人生初の旅に出る事に———。

主演をつとめるのは、個性派俳優としてTVドラマ『ごくせん3』(08)『33分探偵』(08)『医龍2』(07)などで、一度見たら忘れない個性爆発のキャラクターを演じている逸材・佐藤二朗。本作品が初主演となり、外の世界に出ていこうとしない頑固さと、独特の早口のぼやきが相まって、中年引きこもりという役どころでありながらもユーモラスかつ観客が思わず応援したくなる好演ぶりを発揮している。
脇を固めるのは、笹野高史、藤田弓子、渡辺哲、佐藤仁美、安達祐美といったベテラン勢。
また、旅の途中で出会う謎の男として、亀井監督も大ファンという笑い飯の西田幸治が出演。
『心中エレジー』(05)では数々の国際映画賞を受賞し、『ネコナデ』(08)やTV版『幼獣マメシバ』などで、情感細かい人間ドラマを描いてきた亀井亨監督にお話を伺った。









——はじめに、主人公・二朗を母探しの旅へと家から連れ出すマメシバは、どういう経緯でマメシバという犬種に決まったのでしょうか?

「以前、TV版の『ネコナデ』の監督をやった時に、ペットショップのシーンの撮影で、ショーケースの中にマメシバがちょうどいいポジションにいたんです。
そこで注目が集まって、“次はマメシバがいいね”という事になりました。あの可愛さには誰もが負けちゃいますよね。」

——犬も猫も両方とも題材にしていらっしゃいますが監督は犬派・猫派どちらですか?

「実家にいると猫だらけだったので猫派でしたが、都会で猫を飼うとなるとなかなか大変なので、今は犬派ですね。」

—— 一般的に、猫は気ままな性格で、犬は主人に忠実という印象がありますが、その違いが『ネコナデ』『幼獣マメシバ』の両主人公の男性の性格にはそれぞれ影響を与えていますか?

「猫っていうのは、よくそう言われると思いますが、女性らしいと思うんですね。
一方で犬は男性っぽいイメージが多いと思うんです。『ネコナデ』の場合は、男性がネコに翻弄されていくという、まさに男女の交際ですよね。
『マメシバ』の場合は、男性をマメシバが引っ張っていくという、言わば友達のような感覚なんです。ですから、存在が女性であるか異性であるかという点で、付き合い方が変わっていくのだと思います。」

——2009年1月から放映されていたTV版の方では、毎回二朗とマメシバが少しずつ母探しの為に問題をクリアしていくという内容でしたが、映画版では過度な演出もなく、雰囲気はそのままに構成されていると思いました

「犬の成長過程は2ヶ月ですから、子犬はどんどん大きくなる訳ですし、映画とドラマではわんちゃんは入れ替わっているんです。
この作品に出ているぐらいお大きさは生後2ヶ月ですが、あと1週間撮影を遅らせると成犬に近い体つきになってしまうんですね。ですから、この作品に出てくるのは最も旬でギリギリの状態なんです。」

——映画の方は、1号2号というふうに2匹のマメシバが1役を演じているそうですね

「ドラマもダブルスタンバイですね。2ヶ月目なので、人間の赤ちゃんと同じようなものですぐに撮影中に眠ってしまうんですよ。
片方が眠ってしまったら、もう片方のわんちゃんに出てもらうようにしました。
あと、それぞれに行動の得意・不得意があるんです。
2ヶ月目というのは歩くかあるかないかという時期で、お散歩が早いうちにできるようになった方と、だっこされるのが早い方がいるので、下に置いて撮影するシーンは歩く方の出番になります。歩く方は、抱っこされると嫌がるんですよ。」

——マメシバ自ら川を泳いで渡るシーンがありますが

「あれは歩く方のわんちゃんですね。特訓したのではなくて、生後2ヶ月頃というのは、これからまだ毛が抜け変わるという時期なので、毛が水を吸い込んでしまって泳げないんですよ。
ですから、あのシーンは実は下からマメシバを持ち上げて撮っているんです。」

——川以外にも、樹海や富士山など様々なロケ地が登場しますが、一番苦労した場所は?

「一番苦労したのは富士山ですね。機材を抱えて上らないといけませんし、犬の事に関しても高度が高いところに行って大丈夫なのかという不安もありましたから。
富士山の引き絵のシーンをよく見ると、一郎が隅の方でおしっこしてるんですよね(笑)」

——佐藤二朗さんはあまり犬が得意ではないと伺いましたが、撮影では最初と最後での芯密度に変化はありましたか?

「全然それは問題なかったですね。役柄上、佐藤さん演じる二朗はあまり犬が好きすぎてもいけないので、距離を置いた中で一郎がどんどん引っ張っていくという構図になっていていいのではないかと思います。」

——ドラマ版、映画版両方で佐藤二朗さんが主演をつとめていますが、佐藤さんへのこだわりは何でしょうか

「脚本を書いた永森裕二さんが、佐藤さんと仲が良くて、どうやったら佐藤さんを上手く主人公に持っていけるのかというのを考えた上での当て書きでしたね。」

——二朗という役は、中年の引きこもりニートという聞こえからエキセントトリックな第一印象を抱きがちですが、佐藤さんは偏らすぎずに独特の口癖がユーモラスな感じすら与えていますよね。愛すべきキャラクター造詣に至るまで、佐藤さんとはどのうようなやり取りをしましたか?

「最初に佐藤さんと話し合ったのは、あまり行き過ぎてもいけないだろうという事でした。観客が引いてしまわないようなギリギリのラインというものがあると思うので、そこを越えたら僕が佐藤さんに言うという感じでしたね。
客観的な視点を持ちながらバランスを見るという事をやればいいと思うので、キャラクター作りに関してはバランスだと思うんですね。どこか出てしまったら、どこかを引かなければならないですし、他のキャラクターでも同じですが、その調節をするのが監督としての作業だと思いますね。」

——ドラマ版とテレビ版の二朗のキャラクターに差はありますか?

「基本的には同じですね。ですが、映画版の方は、少しだけ大人の人が見るようにしているんです。ドラマの方はもう少し気楽に見れるようにしていて、映画の方はもう少し心が苦しくなるようにしています。」

——冒頭に、少年時代の二朗が母親を探す長回しのシーンがありますが、あれだけで二朗の幼少期や性格が汲み取れるという集約されたものになっていると思いました

「映画版は、ドラマを見た人も観に来ると思いますが、映画だけ観に来る人もいるので、双方にわからる必要がありました。
そうすると、あのシーンがなかったとすると、二朗が出てきて親戚一同に憎まれ口を叩いて、自分の部屋にひきこもっていくところから観始めて、お客さんは話にスッと入っていけるのだろうかと疑問だったんですね。いきなり拒絶から始まるのは嫌だなと思いました。
二朗がどういう感覚で生きてきたのかを理解する為にも、あの尺が無いのとあるのでは決定的に違うと思うんですね。」

——二朗は父親による“外は怖いんだぞ”という教えによって35年間、ごく近所までしか出た事がないという引きこもりですが、彼にとって外の世界というのはどのようなものなのでしょうか

「割かし日本人の男性に多いと思うのですが、恋愛においても何においても、まず第一に自分が傷つきたくないというのが凄く大きくて、外に出るのも恋愛も、人を傷つけたり傷ついたりする訳ですよね。それをやめているという事は、僕はあまり好きではないんです。
傷つくけれど、何か得るものがあるから外に出て行くという事を言いたかったですね。
一歩踏み込んで、後悔する事もあるけれど、もっと得るものがあるという構図になればいいなと思いました。」

——二朗の父親、母親、そして唯一の親友である洋介というのは、それぞれどんな存在なのでしょうか

「二朗にとっては、彼らは自分を傷つけない存在ですね。親友の洋介は絶対二朗を傷つけませんし、だから側にいるんです。
安達さん演じる可蓮という役は、二朗をどんどん外へ引っ張っていく存在で、一郎と同じ役割ですね。
二朗が外に出る事で、途中で半ばあきらめた状態になっても、それを飲みこんで噛み砕いていき、最後にはおのずと自分から足を出せるようになっていくという役割ですね。」

——可蓮はしばらく実家に帰っていなくて、実家に帰れば家族から非難の声を浴びせられます。二朗が外に出て行くという行為は、可蓮にとっては家に帰るという行為に近いものがありますよね

「そうですね、傷つく事は可憐自身も味わっているので、二朗の気持ちがわかる訳なんです。
でも、それではいけないから、教えるのではなくて、自分も一歩出るために相手も一緒に引きずっていくという、引きずる能力が高いんですね。
一郎のように、犬が持っている無垢な引きずる能力とリンクしているところがありますね。」

——つまり、一郎と可蓮は共通している部分があるという事ですね

「可蓮と二朗は異性同士ですが、この物語は異性という面では進行していなくて、同類という面が大きいです。二朗が無理だと思う事も、可蓮はぐいぐい行くという存在なんですね。
一郎は、考えなしに母に操られながら、引っ張っていく。人か犬かという違いはありますが、存在としては変わりはないですね。
可蓮は自分が持ちえた傷があるから、そこをお互いに上手く補えればと思っていて、そこへたまたま二朗がやってきたので接触したくなったという事ですね。」

——二朗のお母さんは、失踪して一郎を送り込んで自分を探させるという行動から、内向的な性格があるのではとおもいましたが

「二朗の母は、やはり自分を責めているんですね。
僕自身は母親になる事はないですし、そのへんは藤田さんとも話したんですが、どうしても負い目がある存在だと思うんですね。
母親が息子を嫌いな訳はなく、でも離れなければならないという状況に追い込むというのは、自分に相当負い目があります。普通の人に育てられなかったという負い目を、この映画ではコメディータッチに描いていますが、“うまく育てきれなかった”という負い目を持った人と言うのは実際に結構いると思っているんです。
前にやれなかった事を今やるという作業はかなり過酷なものだと思います。
今まで、二朗の為にやってきた事が全部裏目に出てしまった訳ですから、通常物腰がやわらかいように見えるけれども物凄い覚悟の中にいる訳です。
その中の思いが、二朗に伝わればというのが伝わればいいなと思っています。」

——笑い飯の西田さんがドラマ版にも同じ役どころで登場しますが、どういったきっかけでの出演なのでしょうか

「僕が笑い飯のファンで、M-1グランプリに出ていた時も見ていたのですが、二朗と西田さんとの掛け合いが笑い飯の漫才と近い感覚なんですね。
元々、時代劇に似合う顔だなと思っていて、どうにか一緒に仕事ができたらと思っていました。」

——初の演技ですが、何か監督からアドバイスなどは

「西田さんは緊張しいなので、それを言うとダメなんですね。凄く真面目な方で、二朗の台詞は滅茶苦茶多いけれど佐藤さんは一字一句間違えないというのを傍らで西田さんは見ているので、これは自分も間違えられないなと思っていたらしく、控え室で台詞を確認していました。
さすがプロだなと思ったのは、台詞の間違いは一切なくて、ニュアンスの問題で何テイクかやるというのはありましたが、NGというNGはありませんでした。
心情的な部分はもちろんの事、この映画の面白いところは会話だと思うんですね。
言葉に対して何を返すというやり取りが西田さんは長けていて、漫才で人と喋る事には慣れていたので、それに関して安心でした。
ですから、西田さんに対しては漫才の時の感覚で来て下さいと言っていました。」

——西田さんは、二朗に対して人生におけるアドバイスを与える存在ですが、人生の一番の師匠であるべき二朗の父親は、子供の頃に引きこもりのきっかけを作るようなトラウマ発言をしていますよね

「お父さんの持ついい加減さというのは、家族を支えているものでもあるんです。
お父さんが神経質だったら成立しませんし、二朗が家から出られなかったかもしれない。
“そんな事はいいんじゃない”と言い切る父親がいて、いいバランスがあるのではないかと思います。」

——かくして二朗はこの長旅で何を得たのでしょうか

「二朗はやっとこれでハイハイができるようになったところですね。
子育てとして、立たせたというところで、自分で歩く目的を探して自分で歩くようになったという事ですね。凄く成長が遅いんじゃないかという話ですが(笑)
子供の過程ではありますが、今の現代社会ではどこに行っても自分で決められない人が多いと思います。ニートもそうですし、自分で何かを決められないとか、どこにも行けないとか、やらないという事が特に男性を中心に多くなってきていると感じるので、そんな中でいい薬になればいいと思います。」

執筆者

池田祐里枝

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