今回の映画『宮本武蔵』のテーマについてですが、日本人なら誰でも知っている宮本武蔵を、取り上げた理由から教えてください。

$red 押井 $
そもそもの始まりは、海外のある会社から発注があったんです。侍の番組を作るんだけれど、何をやればいいのかそれを含めて考えてくれという話だった。そこで宮本武蔵でいいかという話から始まったんです。
それが回り回って、今回の映画になったわけです。僕個人は、昔から宮本武蔵に興味があった。今回の企画が通ったので、これまで自分なりに集めてきたものや、読んできたものをまとめてやってみようと思ったんです。




押井監督は、世間は宮本武蔵の真実を誤解していると話されていますが、誤解というのは、具体的にはどういうことなのでしょうか。

押井
実際に歴史上に存在した宮本武蔵という人間は、基本的に違うもので、そちらの方に興味があった。
剣なら剣の道、一芸に秀でることで精神的な高みに立ったとか、一芸を究めることで宗教性を帯びているとか、僕はないと思っている。
僕が武蔵に興味を持ったのはその逆なんですよ。あの人は一種の万能人だったと僕は思っている。

今回、押井監督は原案と脚本だけで、監督は西久保監督に任せています。西久保監督に、そこに期待するものは何ですか。

押井
ちゃんと作ってくれということでしょう。ちゃんとクオリティーも分かってくれる。絶対にいい映画を作るはずだと。映画としてちゃんとしたものに仕上げてくれるという、信頼感がある。そんな監督はなかなかいない。
他人の手に渡すということは伝わらない部分は当然あるけれども、自分が考えなかったことも入ってくる。監督の仕事はそれが必要なんだよね。

西久保監督は、最初に貰った脚本が既に決定稿だったのですごく驚いたそうですが。

押井
原稿用紙に決定稿って書いちゃえばいいんだよ。なぜ決定稿と書くかと言ったら、直したくないから。初稿なんて書いたら、じゃあ、2稿、3稿を書いてよという話になるじゃない。決定稿と書いた以上は直さないということを表明しているだけだよ。
実際にその通りにやるかどうかは監督の問題、プロデューサーの問題だから。

本当に脚本、原案を書かれただけで、あとはノータッチで今日まで来ているということですね。

押井
相談されたこともない。
西久保は相談するような男じゃない。だから任せられる。いちいち聞いてくるような監督だったら組まない。
西久保がどういうふうに映画化したのか、僕もこれから見るところ。楽しみにしています。非常に力のある監督だから、映画としてはたぶんちゃんと作ったと思うのでね。

押井監督の持っている宮本武蔵のイメージはどのようなものですか。

押井
おそらく知的な人だったと思う。ただ、闘争本能の固まり。知性的な人間であることとは矛盾しないもん。僕はたぶんそうだったと思う。絶対に頭のいい人だし。
友達になりたいかというと、ちょっとそれは分からないね。

今回の作品は『立喰師』に連なる虚構の歴史にも見えますが、こういったスタイルはこれからもまだ続けられるのですか?

押井
映画監督って基本的に嘘をつくのが商売で、どうやって騙そうか、いつも考えているわけだよね。嘘をつくのは大好きだしさ、これってどこまで本当なんだろうという話ができれば最高だと思っている。
僕は、いつも言うんだけど、冗談を言っているときってわりと本気なんだよって。まじめな顔をしているときは、だいたい嘘をついているはずだよって。
これからもいろいろなことを言おうと思っているよ。
 
ただ宮本武蔵に関しては、嘘をつく必要がなかったんだよね。なぜかといったら、嘘のほうが世間で信用されているから。本当のことを言えばたぶん、嘘のように見えるんです。その素材によるんです。
『宮本武蔵』の場合は、かたちは似ているかもしれないけど逆だよ。あの中で言っていることはほとんど本当のことです。本当のことが嘘のように聞こえるとしたら、それは世間に流布されていることに、要するにだまされている。

執筆者

Yasuhiro Togawa

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