“ヘヴィ・メタル”は全世界のカルチャーに、どのようなインパクトを与えたのか?
前作、2年前の夏『メタル ヘッドバンガーズ・ジャーニー』で、“何故、ヘヴィ・メタルは人々に毛嫌いされるのか?”という疑問を、メタルの起源や、ファンの心境に迫り解明、メタルはアンダーグラウンド・ミュージックであるという事を改めて捉えた。
全世界のメタルファンたちから大絶賛された事をきっかけに、決まった今回の作品のテーマは“メタルがグローバル化と出会った時、何が起こるのか?”。
取材の先々で出会う、5つの大陸、3つの宗教、1つの種族。驚くべきグローバルな広がりを見せるメタルは、まるで植物のごとく、それぞれの国の文化に合わせて多用に変化する。
舞台の一つとして日本も選ばれ、YOSHIKI(X-JAPAN)も登場。アイアン・メイデン、メタリカ、スレイヤーなど大御所アーティストから、インドや中国などのメタルバンドまで登場し、まさしくグローバル・メタルを体感する事ができる。

前作同様、サム・ダン監督とスコット・マクフェイデン監督に単独インタビュー。
日本のメタルシーンなど、メタルを巡るディープなお話を伺った。





——サム・ダン監督とスコット・マクフェイデン監督の元々の出会いは何だったのでしょうか?

スコット :「15年前、ヴィクトリア島というカナダの小さな島で熱帯雨林のためのチャリティー・コンサートのスタッフをやっていた時に、色んなバンドが来てくれた中で、サムがベースをつとめていた“サム・バンド・ブラック”というバンドも来て、そこで出会ったのが始まりだね。
そこから僕は引っ越して映画の仕事をする事になった。サムは大学で人類学の勉強をしにトロントの大学へ来ていて、そこで再会した。サムがその時、“ヘヴィ・メタルについての本を書こうと思っている”という話をしたので、僕が“どうせだったら映画にしてはどうだろう”と言って作ったのが前作の『メタル ヘッドバンガーズ・ジャーニー』という訳だ。」

——今回の『グローバル・メタル』を作る事になったきっかけは?

サム :「以前からブラジル、そして前作のプロモーションで来て日本にメタルがあるというのは知っていた。映画公開後に世界各国から反響があって、色々な国のメタル・アーティストたちからもコンタクトがあったんだ。それから、スコットが台湾の映画祭に行って、この映画にも出てくる唐朝(タン・ダイナスティ)というバンドを知ったり、少しずつ色々な国の情報が入ってきたのがきっかけだったと思う。」

——前作同様、共同で制作・脚本を行っていますが、具体的な役割分担は?

サム :「この作品はインタビューがメインなので、インタビューをする人がいなければならない。一作目で僕がインタビューをして、スコットが撮影するという事が大体決まっていたので、そこは分けて作業をしていたけど、その後の編集作業は一緒にやっているよ。」

——映画の中で、マーティン・フリードマンが日本のヘヴィ・メタルシーンを指して“日本にはタブーがない”とおっしゃっていますが、“タブー”というのは宗教的な事だけではなく、「デスパンダ」という面白いキャラクターが登場してしまうような、発想とミックスの仕方が自由という事でしょうか?

スコット :「言い換えるとしたら、制限がないという事なのではないかな。例えば、西洋だと、これはメタルで、これはメタルじゃないというのがはっきりしている。日本の場合はそれがなくて、ちょっとした要素が含まれていればメタルになる。」

——海外では、そのようなミックスはタブーなのでしょうか?

サム :「多分海外ではないだろうね(笑)思い付く人もいないんじゃないかな。
それは何故かと言うと、制限やルールが違うからなんだ。逆に、それが日本独特で面白いと思うよ。マーティンも同じように思ったのだろうね。映画の中ではX-JAPANもフューチャーされているけど、このバンドも独特で色々なスタイルがミックスされ、一部ではメタルとも言われている。日本のメタル・シーンはとてもフリーダムでなんでもあり、それが特徴的だなと思うよ。」

——ヴィジュアル系ファンとヘヴィ・メタルファンは、音楽に求めているのは同じでしょうか、それとも別でしょうか

サム :「ヴィジュアル系についてはそこまで詳しくはないので、受けた印象と聞いた話になるけれど、ヴィジュアル系のファンとメタルファンは違うという事を感じたね。
聞いた話だと、日本のヘヴィ・メタルファンのおよそ8割が国内のメタル音楽のファンで、残りが海外のファンという事だった。彼らが同じものを見出しているかはわからないね。」

スコット :「グラム・メタルというのがメタルの歴史の中にあって、これは化粧をしたりヴィジュアルに凝ったメタルなんだ。これの究極の形が、日本のヴィジュアル系で、共通したものがあるのではないかと思う。それは音楽よりもヴィジュアル重視になってしまうけれど、本当のメタルファンはヴィジュアルよりも音楽を重視するので、そこに違いがあるのではないかな。」

サム :「一番の大きな違いというのは、ヴィジュアル系には圧倒的に女性のファンが多いという点だね(笑)80年代のグラム・メタルというのも女性ファンが多かったし、そこにも共通点はあるね。」

スコット :「この映画でフューチャーされる日本以外の国というのは、宗教や政治や社会から色々な抑圧があって、メタルを聴いている人たちの中には反体制のようなものがあるけれど、日本には特にそういうものはなくて。のほほんとしているよね。だからこそ、ヴィジュアル系というエンターティメント要素の強いものが生まれたのだと思うな。」

——ヘヴィ・メタル音楽というのは、宗教や社会など、戦うものが多くなるほど強くなり、ファンの結束も固くなるものなのでしょうか?

サム :「イエスかノーかという事は言えないのだけれど、というのもインドネシアではメタルというのが非常に政治的な音楽として捉えられていて、ツールのように使われていたりする。ブラジルでもそうだし、抑圧されていたり、制限が多いところはそうなりやすいけれども、それによってメタルファンの結束が強くなるかというのは、ありうるかもしれないけれど、わからないね。」

——日本では、ヘヴィ・メタルを題材にした漫画が人気を博して映画化されるなど、一般的にも受け入れられていますが、海外ではそのような動きはありますか?

スコット :「カナダから見て、メタルが一般にも受け入れられてポピュラーになるという事は何度かあったね。でも、そうなると今度は本当のコアなメタルファンたちが皆と同じでいたくないと言ってエクストリーム・メタルのようなもっと激しい方向に行ってしまうので、ポピュラーになる一方で、ジャンルが細分化されたりという事はあるね。」

——前作同様、メタルの持つパワーや熱狂を伝えつつ、それぞれの国やバンドに対してちょうどいい視点で作られていると思いますが、制作の上で心がけた事はありますか?

サム :「確かに距離感というのは自然にできたものもあると思うけれど、まず第一に、90分間観る人を楽しませるというのが目的なんだ。あまりにもディティールに凝りすぎてしまうと、観ている人が置いてきぼりになってしまう。そこが編集の段階で一番苦労したよ。
今回は登場する国も多いし、撮った素材もとても多かったので、それをどのレベルでカットして、入れるかという事を考えるのが大変だったし、気を付けたね。」

——次回作の予定は?

スコット :「現在は、アイアン・メイデンのツアー・ドキュメンタリーを制作しているよ。典型的な音楽ドキュメンタリーとして、コンサートの裏側でも彼らにずっと密着しているという作品になる予定だ。その次に、ラッシュのドキュメンタリーに取り掛かる予定だね。ラッシュは、カナダが誇る唯一無人のメタルバンドで、バンドとしての影響をどんなところにどのように与えたかを撮っていけたらなと思っているよ。」

執筆者

池田祐里枝

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