エスマは、一人娘のサラとサラエボのグルバヴィッツアで静かに暮らしている。
ボスニア紛争から12年が経過し、街は一見落ち着きを取り戻したかのように見えるが、この地に暮らす人々の心の中にはいまも戦争の癒えない傷が残っている。
エスマはサラの学校の旅行費用を賄うために、ナイトクラブで働くようになる。
父親は殉教したシャヒ—ドであると聞かされていたサラは、旅費が免除になるシャヒードの証明書を提出するようエスマに伝えるが、エスマは父親について多くを語ろうとしない。

紛争当時ティーンエージャーであったヤスミラ・ジュバニッチ監督が、繊細なタッチで、母と子の日常をカメラで捕らえる。監督が自ら、「愛についての映画」と形容するように、何気ない会話や視線の先に、深い愛情を感じさせる作品である。

2006年ベルリン国際映画祭で金熊賞、エキュメニカル賞、平和映画賞を受賞。




● この映画は監督ご自身が母親であるからこそ撮ることのできた映画であると思われますか?

 そうですね。私自身の女性としての経験から言っても、他の女性たちをとくに戦時中見ていて思うんですが、女性というのは、なにもないところからちゃんと毎日違うメニューで食事を作ることが出来るのです。それは本当にクリエイティブな行為ですよ。女性には破壊的な状況や困難な状況にうまく対応して、混沌とした状況のなかから新しいものを生み出していける力があると思います。

● ボスニア紛争時暴力を受けた女性たちは今も癒えない傷と向き合っていらっしゃると思いますが、実際に被害者の方へのケアはどうなっているのでしょう?

 私たちの社会は彼女たちに対して適切な対応をしていなかったと言わねばなりません。それは彼女たちにとっては一種のトラウマなのです。社会から救済されることもなく、被害者として認定されることもなかったのですから。残念なことに私たちの社会ではなく、国際的な機関が彼女たちをサポートしました。
映画を撮った後に、女性のための機関が力をあわせて観客に署名活動を行い、議会に提出して、やっと女性たちが被害者として認められるようになったのです。
  

● 撮影が行われたボスニアでは、機材やスタッフの不足でずいぶんご苦労をされたようですが、実際にそういった場所での撮影はいかがでしたか?

 紛争で機材がなかったため機材は他の国からすべて輸入しなければなりませんでした。映画に従事していた人たちが他国へ行ってしまったり、職業を変えてしまったりと、スタッフの確保も容易ではありませんでした。機材もスタッフも借りてきたので、後からシーンの撮り直しをするということもできませんでした。2つのテレビ局と、4つの国の協力、EUの資金を得てこの作品を作ることが出来たのです。彼らとの連絡やミーティングに時間がかかり、そういったことでプリプロダクションも長くなりました。

●今回はキャスティングが非常にぴったりだったと思いますが、キャスティングはどのようにされたのでしょうか?

 ボスニア内でなかなかぴったりの役者を見つけられなかったので、セルビア・クロアチアまで行って探しました。エスマを演じるために、相反する感情を表現できる役者を探していたのですが、たまたまボスニアに演劇で訪れていたミリャナがこの役にぴったりでした。彼女はすばらしい人で私も彼女から多くを学びました。
 サラについては、オーディションで、2000人から30人まで候補者を絞りました。ルナのことは最初から見込みがあると思っていたのですが、彼女は次々とテストにパスしていきました。そして、自分が出ていないシーンでも、現場のいろんなことに興味を示して知りたがり、積極的な態度で現場に臨んでいました。
 そういえば、ルナが、脚本の中で髪を切らなければならないシーンがあることを知って泣き出してしまったことがありました。彼女は家に帰って彼女の母と相談して、翌日私に手紙をくれたのです。手紙には、「私は多くの悲しみをかかえた女の子たちを体現するサラという役を演じるのに、そんな大事な役を私にくれるというのに、私はもっと彼女たちのことを考えるべきでした。自分勝手なわがままを言ってしまってごめんなさい。」と書いてあったんです。私はびっくりしてしまいました。彼女はまだ13歳かそこらなのに、もうこんな理解力があるのね!と。実際ミリャナに私もルナもずいぶん助けられました。

●監督自身10代の頃にボスニア紛争を経験されていますが、この映画をつくるにあたって、ご自身との葛藤というのは、どのようなところにあったのでしょうか?

 紛争で性的暴行を受けた女性の証言の本を読んでいくうちにわき上がってくる怒りの感情から離れるのが大変でした。自身に内在していたことを自分でも知らなかった感情と、私は向き合わねばなりませんでした。また今回はボスニア、セルビア、クロアチアなど、いろいろな国から異なった形で戦争を経験したキャスト、クルーが参加しています。この映画というのは戦争を体験した人たちにとってある意味カタルシスのようなものだと思います。

●サラは、サラエボの未来を象徴するような存在ですが、サラのキャラクターづけについては、どのようにお決めになられたのでしょうか?

 まず、女性に対するレイプのほとんどは、92年に行われたものだったので、基本的にサラの年齢は13歳くらいであることはわかっていました。サラは、強いキャラクター性を持ちながらも、観客の皆さんからの共感を得られる存在にしたかったのです。彼女のことを可哀想だとは思ってほしくありませんでした。サラは未来に対し開かれている存在であり、彼女自身の人生を好きに歩むことが出来るのです。
 サラは、言葉にはできないけれども、何か大きな嘘をつかれているのだということを察しているのです。国のいい面と悪い面の両方を背負っているような存在なのですね。そういったことを私自身が理解することが大切でした。サラはボスニアの新しい世代で、これから新しい時代の監督たちが彼女のストーリーを描いていくと思います。
私自身は戦争を体験したことにおいて、エスマにより近い存在だと感じています。

●実際にエスマと同じ経験をなさっている女性に会われたのですか?

 私自身がまず紛争当時女性に対して行われたことに関連する本をたくさん読みました。実際にエスマと同じ体験をした女性にも会いましたが、彼女はエスマとはまったく違う人でした。紛争のことには固く口を閉ざしていましたが、私が尋ねていってたわいのない話をすることは歓迎してくれました。私には、彼女と彼女の娘さんと同じ時間を共有し、親子関係を肌で感じることが、とても勉強になったのです。

●監督の制作されたドキュメンタリーの内容を観ると、母と子の関係を描いているものが多いですが、監督自身が表現するテーマとしてそういうものを持っていらっしゃるのでしょうか?

 同じことを他のジャーナリストの人にも言われたことがありますが、私自身は今までも今回の作品を作るときも自覚していませんでした。確かに私の作品には母と子を描いたものが多いですから、私の中にそのような題材を作る要因があったのかもしれません。ですから、これからもそういう母と子を題材にしたものを作っていくのかもしれませんね。

執筆者

Akiko INAGAKI

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