よりソリッドな境地へと向かう、若き”表現者”の現在地——『バウムクーヘン』柿本ケンサク監督インタビュー!
東葛国際映画祭2006でこの『バウムクーヘン』が上映され、初めて柿本ケンサクという真摯な表現者の言葉を聞いてから約1年が経ったのだが、彼は以前にも増して、映画を撮ること、映像を撮ること、写真を撮ること、表現することに対して深く、しっかりと向き合っていた。技術は格段に成長し、いろいろな影響にさらされていく中で変わっていくものがあっても、柿本ケンサクの根底に存在するもの、『colors』『バウムクーヘン』の中にしっかりと根をはる大事なものは、何一つ変わっていない。むしろより洗練され、彼の言葉を借りれば”ソリッド”になっている。そしてそれこそが、『バウムクーヘン』という広い世界を繋げていく幸せの種が放つ、ピースな光の源なのだと思う。
同じ映画での2回目のインタビューではあるが、1年前よりもソリッドな世界へと歩を進めていく柿本ケンサクに、『バウムクーヘン』の公開を迎えた今、その現在地を聞いた。”柿本ケンサク”という名前は、今は無名だ。しかし、近い将来このインタビューは、一人の天才の歩みを記録した貴重なテキストになるはずだ。
”底辺にはしっかりとこの『バウムクーヘン』みたいなものがある”
——まず、公開おめでとうございます!どうですか?ちょうど東葛映画祭で上映されてから1年くらいですけど、あれから1年経って公開が決まった今の心境というのは。
「時間かかったなぁって感じですね(笑)。その分嬉しいですけど、どうなっていくのかなぁっていう楽しみと不安が入り混じっている感じです」
——それは観客の方の反応に対して?
「そうですね。まだリアルに(観た人の反応が)伝わってきていないし、この『バウムクーヘン』は1年前の時点のものだから、正直、結構自分で反省している点もあって。でも、嬉しいですよ(笑)」
——結構この1年の間に何度も観返したりしていたんですか?
「いや、それはほとんどなくて。この間、8月の末に久しぶりに観ましたよ」
——今おっしゃっていたように反省点はあると思うんですけど、でもその中でも変わらないものというのもあると思うんですよ。そういった点ではどうですか?
「僕が思うのは、変わらないものは確実にあって。・・・・・(撮影や、東葛国際映画祭が終わってからの)この1年って、人の映画はもちろんたくさん観たし、今2,3本並行して脚本も書いているし」
——ブログで書いていた『ROOTS』とか?
「そうそうそう。それもいい感じにソリッドに仕上がってるし、他にも何個か書いていて。写真も始めてCDジャケットや、デザインとかもやって。あとは、かなりの量のPV(ミュージック・クリップ)だったりCMだったりをやっているんですよ。もともと映画の助監督よりもPVの現場のほうが多かったんですけど、『バウムクーヘン』終わってからくらいに、PVとかの仕事を今まで以上に本格的に始めたんですよ。これ(『バウムクーヘン』)の撮影が終わってから1年半くらいの間に、もう50本近く。・・・・・9月なんか8本くらいやっていたんですけど(笑)。
そうやって本当にいろんなことをやって、これだけ多くの量をやると、やっぱりいろいろ見えてくるんですよね。例えば、女の子の顔をきれいに撮るとか。商品は商品できれいに撮るとか。いろんなルールがあってとか。(『バウムクーヘン』のチラシを指して)こういう宣伝物を作るときはどんなターゲットがいてとか。それは細かいけど、すごく大事なことで。
そうやっていろんなことをわかっていって、その分自信もついてきた今、『colors』(初長編監督作)や、この『バウムクーヘン』とかを振り返ると、なんであんなに変な自信があったんだろうなぁって思うんですよ(笑)。ガキんちょのくせに(笑)。でも、今もまだ全然ペーペーだし、わかってないこともたくさんあるのは百も承知なんだけど、ありがたいことに毎回諸先輩方からもいろいろ教えてもらって。そうやってずっとこなしていくと、やっぱり自分が突き詰めてやりたいことというのが、これ(『バウムクーヘン』)からブラッシュアップされていくんですよね。そして、その中でも底辺にはしっかりと、この『バウムクーヘン』や『colors』がある。今やりたいものがあったとしたらその土台になる部分が。
『colors』は、初めての作品だし、お金はなかったけど、なにか“新しいことをやってやろう”的なものをもっているところに、いろんなお兄ちゃんたちが協力してくれていて、当時の20歳の僕の限界値より20%くらいちょっと上のものができればいいだろうっていう作品だった。一方で『バウムクーヘン』は22歳のときの僕の限界値だとしても、そんなに新しいことをやった作品ではないんです。もともとは3人兄弟のほんわかしたバカな絵が浮かんで、3人とも不細工なんだけど、かわいい子と付き合って、思いっきりハッピーエンドで終わるっていうファンタジー論から始まって。そのときに大林(宣彦)さんのインタビューをたまたま見て・・・・」
——以前のインタビューで言っていた“これからは2つのビルがあったら、それに向かってた飛行機がぶつかって爆発するような映画ではなくて、引き返して何も起こらないような映画を撮っていかなくちゃ”ってやつ?
「そうそう。すごくそれが自分の中でリンクした。僕は中野(裕之)さんの下で(ピース・ブラザーズとして)いろいろ勉強したけど、(映画の中での)広告だったり“商業”という側面のいろんな状況の中で、同じことやっていくわけにもいかないし、あんまピース、ピースって言ってられないところもでてくると思うんですよ。あるときはやっぱり妥協しなきゃいけないところも絶対的に出てくるし。そういう意味で言うと、自分の中でここまでハッピーエンドと言うか、純粋にこれだけバカなファンタジーを作っておくっていうのはすごく大事だった。これを撮ったからこそ今の、よりソリッドな方向にいけたんだと思います」
——この1年くらいを通して見えてきたものの中で、自分も含めた全体を見渡せるようになったという感じですか?
「そうですね。映画っていう観点だけじゃなくて、ライフスタイルでもそうだし。配給・宣伝に関しても細かいところまではわからないけど、どういうマーケットでやろうとしているのかっていうところも変な話、仕事でやってるからだんだんわかってきて。1つのものに対して、いろんな方向、隠れていることが見えるようになってきた。今はそういうことをすぐやりたがるんですけど。そういった中で、じゃあどこをそぎ落としていけば自分っぽいのかとか、もっとソリッドになってもいいのかなっていうのは自分でも思っているんです」
”ミシェル・ゴンドリーは、天才だと思っていて。手法は違うけど、夢とかっていうものに関してはすごく一緒なキーワードをもってる”
——(笑)。ちょっと話ずれちゃいますけど、この1年で結構映画観たっていうのは、例えばどういうのを観たんですか?
「いろいろ、『300』(ザック・スナイダー監督、ジェラルド・バトラー主演)とか(笑)。あと、アフリカのものとか多かったですかね。やっぱり自分が興味あることの映画は結構観ましたよ」
——例えば、柿本監督と同じようにPVとかCMとかをやってる監督って最近素晴らしい映画を撮る方が多いですけど。ミシェル・ゴンドリー(『エターナル・サンシャイン』『恋愛睡眠のすすめ』)だとか、マイク・ミルズ(『サムサッカー』)だとか。そういう人の映画は観ますか?
「うん、観る観る」
——どうですか?
「ミシェル・ゴンドリーは、天才だと思っていて。あの人が(『恋愛睡眠のすすめ』とかで)やっていることとかっていうのも、すごくやっぱりソリッドな世界だし。でも結構ね、手法は違うけど、で考えてるマニアックな変態的な方向というのもちょっと違う方向だと思うんだけど、でも夢とかっていうものに関してはすごく一緒なキーワードをもっていて。夢とかリンクするとか。僕もね、結構同じことを思って『colors』でもそういうことをやってたし、これ(『バウムクーヘン』)もそうで。変な話、予算とか公開の規模とか制約なく作れていたら、本を読んでいるのは白人で、3人兄弟がスリランカの3人兄弟で、古着屋さんはイタリアの古着屋でとかいう話だと思うんですよ」
——それはすごい感じますね。監督の映画を観てて思うのって、まぁワンルーム的な映画だと思うんですよ。だけど、たくさん海外行っていろんなものを見てるというのもあるし、いろんな人と意見を交換することで身についた広い考え方とか、そういうことを含めて映画を観てて感じるのは、もっと広い世界のことを監督って撮れるって思うんですよ。それをワンルームに落とし込めてやっているから、そこからものすごく広い世界が広がっている。そういう意識ってやっぱりあります?
「もう、まさにそうなんです。ミュージック・クリップでもそういった意識はあります。今のスタンスで言うと、例えば東京の渋谷で女子高生が恋愛をして傷ついて、立ち上がるっていうのはあまり興味がない映画で」
——はい(笑)
「(笑)。嫌いかって言うと嫌いじゃない。イヤかって言われてもイヤじゃないし、そういうのが好きな人もいることもわかるからいいんだけど、あんまり僕にはあんまり必要じゃない。どっちかというと、例えばニューヨークにいる友達が見ても、いいじゃんって言ってくれるようなものを作りたいなと思ってますね。それは映画においても、ミュージック・クリップにおいても。だから写真を始めたっていうのは、すごく理由があって。周りにはノリで始めたとかって言ってるんですけど、写真って世界共通じゃないですか。一枚絵で全てを語るっていうか。映画にはシナリオっていう設計図があるから、そこが甘えになるケースがあって。はっきり言っちゃえば、それを撮れば映画になるんですよね。例えば時間がなくても撮りきらなくちゃいけない状況があったら撮るんですよ。でもそれって要は素材撮りにすぎない。わかりやすく言えばCG作品の現場って、ブルーバックで合成だから、結局素材撮りでしかなくて面白くない。それと同じで、実写、つまり生身の人間を撮ってても、物語っていうのがあったらその素材の1個にすぎないわけで。それをたかが素材としての意識で撮るのか。それとも、その1枚の絵で、登場人物の感情や背景とか全てを語るような、魂のこもったほんとの生身の姿を撮るのか。そういう意識が、写真を始めた一番大きな理由なんです。・・・・・これ(『バウムクーヘン』)では正直わかってなかったんですよ。今もできているかって言うとそれに挑戦しようとしているんだけど、それができれば世界に通用すると思うんですよね。アフリカの子供の無邪気な笑顔(柿本監督のブログ「柿本ケンサクのゆるゆる映像日記」で6月25日付けの“ジャマイカ”という日記に掲載されている写真を是非チェックしてほしい)っていうのはやっぱり僕らからすると非日常だし、何か感じるものは千差万別だけど、でも、あの一枚の絵で世界が繋がる。だから映画でも、ワンシーンワンシーンに意味があるっていうことを噛み締めて、魂をこめて撮っていきたいと思っているんです」
”僕がストイックにやりたいことを目指した先に、僕の好きな人たちがいる”
——僕、『colors』のレビューでも書いてるんですけど、柿本監督の映画というのは、映画が忘れちゃったものとか、映画でこそ表現できるものというのを誰よりも大切にしている監督だと思うんです。それが例えば今の写真の話であったり、例えばこの『バウムクーヘン』という映画で言えば海辺で本がたくさん捨てられているシーンでのヒロト(本多章一)の感情みたいに、言葉にできない、そのシーンでこそ表現できるもの。で、そういう点と、“商品”ではなく“メッセージ”として、“作品”として挑んでるっていう点でそういう風に書いたんですけど、どういう映画体験だとか、どういう経験があってこういう確固とした考えに行き着いたのかなっていうのがすごく興味のあるところなんですよ。
「あぁ・・・・・そういう意味で言うと、もちろんいろんな映画からも影響受けてるけど、それってたぶん、映像とか映画とかじゃなくて人間の問題じゃないですか。それを言うと、今いる周りのいろんな人たちに受けた影響だと思いますよ。言ってしまえばですけど、村上淳とか。中野裕之然り。やっぱり日々いろんなことを話すし、映画とは関係ないところで、人としての会話もして。ストイックに頑張っている人たちが周りに多いんですよね。僕がやりたいことをストイックに目指した先に、僕の好きな人たちがいるんですよ。その人たちと会話して高めあっていくのが楽しいし、その影響はすごくでかいですね」
——そう考えると柿本監督の価値基準として、今の状況——村上淳さんがいたり、中野裕之さんがいたりという状況ってとても恵まれてますよね。
「恵まれてると思いますよ、すごく。でも、むしろそれは選ばないようにしてて。今セカンドライフっていうのがあって、その中だけでアーティストがポリゴンになって、いろんな世界を作ったりしてるじゃないですか。実はあの中だけでアーティストに歌を歌わせたりして、PVを撮影するみたいなこともやってるんですよ。実際の人間をバーチャル化して、CDも出すんだけど、歌のシーンは後でCGで合成させたりして。その世界の中だけでエキストラも集めて、演技させて。そういう中で出会った人の中には、日もあたってないような、しゃべり方もちょっとおかしくて僕とは違う話し方をするような人も全然いるし(笑)。そういう人たちみんなの話もちゃんと聞くと面白いんですよね。そういう一個一個を大切にしてます」
”『colors』や、この『バウムクーヘン』があったから、そこに対しての誇りをもってるから、イタリアの映画博物館での体験が根っこの気持ちとリンクした”
——今日、お話伺ってて、1年前とはやっぱり変わってきたものがある中で、映画に対する根底の部分が変わってなくて、むしろ太くなってるなっていうのを確認できたんですけど。
「やっぱね、よりこの(『バウムクーヘン』)とき思っていたものがソリッドになって表れてきたのかなっていうのは感じますよね。アーティストにとっての歌っていうのは、僕にとっての映画なんですよ。だから僕は映画をやりたいっていつも言うんですけど。その歌を例えば誰々プロデュースのアイドルユニット的なところで歌うのか、シンガーソングライターとして歌うのかっていうだけの違いで。自分の中で歌いたいものがあるから、それを歌いたいっていうだけ。例えば人の書いたものでもとても素晴らしくて、歌いたいと思ったら歌うときもあるかもしれないけどっていう様なことですよね。だからその歌いたいものっていうのが、ドッカンドッカンたくさん爆発するようなものではないし、僕に20億あげるから好きなもの撮れって言われても、わかんない、僕は1億ぐらいしか使わないと思う(笑)。今はですよ。20億も使えるんだったら19億宣伝するかみたいな(笑)。1億でできる(笑)。世界を股にかけるって言っても、世界を股にかけて爆発バンバンバンバンさせるようなものはまだもうちょっと先でいいかなとも思うし」
——うん、監督は“僕”と“君”の間の一番大切な1対1の感情、愛情が、隣の人に連鎖して広がっていくっていう映画を撮りますよね。だからこの『バウムクーヘン』でも、さっき言ったような世界の広がり方を見せるし、物理的な問題だけじゃなく精神的な問題で環境とか戦争とかそういったことにも繋がる広がり方を表面では見えないところで感じれるんだと思うんですよ。
「そうですね。あとは一番思うのは、例えばメッセージっていうことに関して言うと、イタリアに行って映画博物館(モーレ・アントネッリアーナという塔の中にある博物館。ダヴィデ・フェラーリオ監督『トリノ、24時からの恋人たち』の舞台にもなった場所)に行ったんですよ。そこでは、自分で回して動く影絵とかがあったり。これはどっかのPVでやろうかなって考えているんですけど、でっかい巨人とマメ(山田)さんみたいなちっちゃいやつが、カチカチした動きで戦う映画があって。で、マメさん(みたいなやつ)は負けてフレームアウトするんだけど、ちょっとでかくなってまた出てきて戦うんですよ。で、またフレームアウトして最終的には同じくらいの大きさになって勝つ、みたいな。それを観たとき、なんかすごくね、ワクワクしたし、そそられたんですよ。他にもでかいスクリーンで白黒の映画を観たり、写真とかもあるんだけどすごいかっこいいんです。いろんなセットとかもあって、とにかくたくさん夢があるんですよ。そこに行って思ったのは、この『バウムクーヘン』という映画に繋がると思うんですけど、そもそも映画ってメッセージとかそういうものは、プラスαの要素なんですよね。さっき僕が一枚の絵で語れるものがいいって言ったけど、それもはっきり言うとプラスαの要素で。散々いろんな映像をやっているし、評論とか評価とかもされて、星とかも付けられるけど、そもそもは大衆娯楽なんですよ、ほんとに。『ニュー・シネマ・パラダイス』みたいにたぶんみんな楽しがって、日曜の昼とかに観に行ったものなんですよ。その博物館に行ったときに、ほんとそういうことを思っちゃって・・・・。なんかそういう気持ちを忘れてたなぁって。『バウムクーヘン』のときはなんかそういう気持ちがちゃんとあったから。それは『colors』も『バウムクーヘン』もほんとに楽しんで撮ってたし。今も楽しんで撮ってますけど、それはこの『バウムクーヘン』があったから、『colors』があったからこそ、そこに対しての誇りっていうのを持ってるからこそ、そういう根っこにあった気持ちとリンクするのかなって思いますね」
”想像力をもってして人間を見せる。それが今の理想ですね”
「あと1個言うと、この話(『バウムクーヘン』)もそうだし、『colors』もそうだし、次のやつもそういうことを描いているんだけど、若い人たちに一番今足りてないなって思うのは、行動力とかいろいろあると思うんですけど、僕はやっぱり想像力だと思うんですよ。夢を持つ人が何かになりたいって言ってなれないのは運命もあると思うけど、やっぱ想像力で。例えばプロのサッカー選手になりたいやつが自分は毎日プロのサッカー選手になってシュート決めてる瞬間を想像して、そのビジョンがちゃんとあったら、必然的に近づくように練習はするだろうし、それで練習して友達ができてお互い高めあっていく。絵描きになりたいやつはそれを想像してクラブでペインティングしてとか。想像するから行動に移るわけで。なんでゴミを捨てちゃいけないかっていう教育は誰もしてないじゃないですか。“捨てちゃダメよ、迷惑がかかるから”って言うだけで。でも本当か嘘かわからないけど、例えばポイ捨てしたゴミを、なんかのバクテリアが食べてそれを虫が食べてうんこして、魚が食べて、その魚を自分が食べてると思ったら、じゃあちゃんと捨てようってなりますよね(笑)。これ(『バウムクーヘン』)だと思いっきりそういうことを描いていて。この世界にはそういう連鎖がちゃんとあって、(幸せの種をキーワードに、本の中の世界の奴、そいつらの噂話をしている奴、その本を読んでる奴、その本を書いてる奴が繋がって)そいつらと距離が近く感じれる程、他人じゃなくなる。その繋がってる感じっていう意味でも、やっぱり“人間”を見せたいんですよ。想像力をもってして人間を見せる。それが今の理想というか、向かっているところ。しばらく、この1年くらいはそういうかもしれないですね」
執筆者
kenji Hayashida