ずっと孤独を抱え社会に馴染めず生きてきたファニーは、兄とその妻と一緒に暮らしているが、うまく関係を築くことができない。
そんな彼女が一大決心をして国境を越え、深い森を抜け、初めて優しい愛に出逢う。

フランスの村が舞台の第一部とドイツの森の第二部。同じ言語を使ってもコミュニケーションを図ることが出来ない前半と言葉が通じない国で体を使って解かり合える後半の対比を通して、我々にコミュニケーションとは何か?と疑問を投げかけてくる。

主演のファニーを演じたナタリー・ブトゥフは、ジェローム・ボネル監督が短編を撮り始めた頃からコラボレーションを重ね、パトリス・シェロー監督『ソン・フレール 兄との約束』、アルノー・デプレシャン監督『キングス&クイーン』、諏訪敦彦監督『不完全なふたり』など、作家性の強い作品に出演する個性派女優。木こりのオスカーを演じたラルス・ルドルフは、ドイツ出身のミュージシャンで95年に映画デビューし、キャリアを積み重ねている実力派俳優であり、今回がフランス映画初出演となる。

フランス映画祭横浜2005で上映された本作が遂に劇場公開を迎える。来日から二年経過し、確実に進化をし続けるジェローム・ボネル監督にお話を伺った。今後の活躍に目を離せない若手監督の一人であることは間違いないだろう。





——『明るい瞳』は、ジャンヴィゴ賞受賞や、ベルリン国際映画祭にも出品されていますが、この作品は監督にとってどのような変化をもたらしましたか?
受賞したことはもちろん栄誉でありますが、そのことで自分が変わったことはないですね。それぞれの作品が自分の中身を差し出すような作業ですから、撮り終えたとき、なんらかの形で進化しているというのは毎回思います。もっと違う映画を作りたい、失敗したこと、良かったことを糧にして次の作品に関して立ち向かおうと思うわけです。映画を撮り終えるごとに自分にとってプラスになっているんだなと思いますね。

——主演のファニーを演じたナタリー・ブトゥフとはどのように役柄を作り上げていったのでしょうか?
この作品はナタリーを考えながら描いた人物だったんです。その方が私にとっては簡単だということもありますし、ナタリーがいなければこの映画は存在しなかったともいえるし、彼女でなければ全く違うものができていました。どのような交流があったかというと、映画のことや他のことも話し、笑いながら飲みながら、それを通して、私がどのように彼女を見ているかの視線にも気付かせられ、発見やサプライズの源にもなります。私は俳優には自由を与えるタイプの監督です。彼らがどういう風にサプライズや発見をもたらすか、私は最初の観客だと思って楽しんでいます。他の俳優も同じことですが、ナタリーとは常に親密な仲間意識がありますから、強い形で出ていましたね。

——登場人物の不満を前面に押し出したストーリーだと思いますが、日常的に描かれる不満を描こうとしたきっかけは?
欲求不満ということは私の中では他人や自分との葛藤の現われだと思うんですね。それが無ければフィクションとして始まらないと思います。映画を作るときに興味があるテーマとして、たくさんの人がいる中での各人の孤独にとても興味があります。彼らは孤独を抱えながら幸せをどこかで求めている。それがああいう風な満足できていない状態として現われます。このことは興味があることなのでこれからも私の作品で常に出てくるテーマだと思います。

——なぜ、「孤独」にこだわるのでしょうか?
私のどの作品にもやはり孤独のテーマが常に現われていて、それは意識をしていないのに、まるで孤独をテーマにしようと思うくらい色濃く出ています。無意識なので答えづらいのですが、あえて言えば、登場人物に対して人生に対してセンチメンタルな視線を持っているからだと思います。ナイーブな言い方かもしれませんが、そういうセンチメンタルな感情を含めた視線がなければ人生の意味なんかどこにあるんだろうかと思うくらいですね。

——この作品の中ではメルヘンロマンの形を取った理由は?
実は選んだわけではなくて、シナリオにして撮影中にアレンジしている間に、童話に近いテーマが浮き彫りにされてきました。そこから意識的に掘り下げたわけですが、シナリオの中の要素に気付いたのは後からでした。孤独や幸せとは童話の中に常に描かれ、特に私自身興味があるテーマです。第一作目、第三作目にも同じようなテーマがありますが、『明るい瞳』ではそれが如実に現われています。付け加えるなら、子供の頃本当にたくさんの童話を読み、今も読み続けているんですね。童話は尽きることのないインスピレーションの源ですね。

——ストーリーの前半では言葉が通じるのに伝わらない気持ちを、後半では言葉が通じないのに伝わる気持ちの対比が際立っていますが、監督自身が重要とされる他人とコミュニケーションを取る上で大切にしているものは?
私にとっては映画です。人生においてコミュニケーションに大事なのは肉体じゃないでしょうか。言葉は嘘をつきますけども、肉体はどのような状況においても、どの国であっても世界中で絶対嘘をつかない一番大切なコミュニケーションツールだと思います。

——言葉が通じないもの同士の会話がない劇を演出する上で気をつけた部分は?
会話がないことは俳優にとって、とても大変だと思います。順撮りだったので、ナタリーはフランスの部分が終わっている段階でした。第一部で自分を体感し、セリフがなくなることによる問題もなく演技を楽しんでくれていたようです。サイレントムービーの良さというのは体を使った演技であって、本当に映画の演技の一番純粋な部分であると思います。オスカー役のラルスはもっと大変でした。一つか二つしかセリフがありませんから。セリフの無い演技が楽なのではと思われがちですが、言葉を隠れ蓑にしてしまって、カメラの前で自分をさらけ出さなければならない、それは少し恥ずかしいことでもあります。そういう中でラルスは勇気を持って画期的な演技をしてくれたと思います。演出に関してはよく分かりませんが、信頼があったし、彼らが素晴らしい演技をしたので楽しかったといえます。

——チャップリンの影響を受けているそうですね。
サイレントムービーは好きですが、その中でもチャップリンは特別ですね。映画を発見させてくれたのはチャップリンですし、彼の天才性を賛美していますし、今でも何回も見直しています。なぜ私がチャップリンを好きかというと、子供的、幼児性との接点がとても大事なテーマで、チャップリンはそれが如実だということです。

——カットの無駄のなさにも感動したのですが、フランス映画祭で来日された時にも編集に苦労したとおっしゃっていました。編集上でこだわった点、苦労した点を教えてください。
編集の段階で大変なのは構成です。というのも私のシナリオというのは第一部、第二部でベーシックなものしかできあがっていなくて、特に第一部でちゃんとしたストーリー構成を見つけるのがとても難しかったんですね。私の場合、シナリオどおりに編集するとうまくいかないというのがあり、もう一つは第二作目ということで経験不足もありました。もちろん編集者はいるんですが、編集室で毎日指示しながら作業を進めるんです。俳優には自由にさせますが、編集者には自由にさせないというのが私のやりかたなんです。アクションを辿るのではなく、登場人物の交差が紡いでいく感じなので、選択の自由はすごくたくさんあるんだけど、一番良いストーリー構成は一つしかないはずだから、一番良いものを見つけるのが難しかったですね。

執筆者

Miwako NIBE

関連作品

http://data.cinematopics.com/?p=45580