芥川賞作家、吉田修一が自身の処女小説を映画化した短編映画が『Water』だ。監督の故郷である長崎を舞台に、水泳部の少年たちの繊細な心模様を描いている。

撮影には『スイミングプール』のヨリック・ル・ソー、音楽に『インティマシー/親密』のエリック・ヌヴーが参加。静かな作品世界に清冽な彩りを与えることに貢献している。

そこで初監督作を完成させた吉田修一監督にお話を伺う事にした。



◆もともとフランスの監督が撮るはずだった

原作をそのまま撮れば90分くらいの映画になったと思うんですが、最初から短編にしようという狙いがあったんでしょうか?

「いえ、もともとフランスの監督が撮る長編映画ということで話は進んでいたんです。そこでそのフランスの方たちに長崎とはどういう街か紹介しましょうという話になって。
 その時ちょうど、僕がたまたま長崎に帰る予定になっていたので、『じゃ写真を撮ってきますよ』『それならビデオを回してきてくださいよ』という話が、『プロのカメラマンをつけんで、短編を撮ってみませんか』という流れになって。あれよあれよという間に僕が監督になったというわけなんです。
 でも短編ですからね。撮ってる最中も、これが国内で上映されるなんて思ってませんでした。あわよくば海外の短編映画祭に出せればいいなという気持ちがあったくらいですね」

あれよあれよという感じだったわけなんですね。初監督ということで、映画のスタッフが脇を固めたと思うんですけど、彼らに支えてもらった点、逆に映画の現場の洗礼を受けた点というものはありましたか?

「とにかくスタッフの皆さんには支えられっぱなしですね。現場の言葉ひとつとっても教えてもらわないと分からないですから。そういう意味では、100%皆さんに支えてもらってます。ただ、映画の人たちは厳しいですからね。支えてはくれるけど、あまり優しく支えてくれるというわけではない(笑)。
 文芸の方でぬるま湯につかっていたせいか。いや、実際にはそんなにぬるま湯というわけではないですけど(笑)、とにかく最初は戸惑いましたね。でも、映画業界には映画業界の支え方というものがあるんだな、ということに気付いたら、気分が楽になりましたね」

よく聞かれている質問だと思いますが、映像と文章における表現方法の違いはどういうものなのでしょうか?

「小説では自分で作り上げた登場人物をわりと自由にしてるんですよ。ただ映画の場合は、生身の人間を動かさなくてはいけない。
 単純に文章で「〇〇が笑った」と書けば済むところも、生身の人間にやってもらうと、とても難しくて。
 理想というのがいいという意味ではないですが、理想と現実という言葉をあえて使うとするならば、小説は自分の理想のイメージに近づけていくのが簡単なんですよ。
 ただ、僕は素人監督なので、出てくれた生身の俳優さんたちを自分のイメージしたキャラクターに固定するというよりも、自分の作りだしたキャラクターをいかにふたりの俳優さんに近づけるというような作業だったですね」

俳優さんに合わせたキャラクターを新たに作るということですね。そこが原作と映画の内容が違った理由だったわけですね。

「そうですね。脚本も急きょ書き換えました。原作では、主人公の男の子がわりと素朴な感じなんですよ。でも主演の滝口さんという俳優さんは、素朴というよりかは、もうすこし王子様キャラという感じだったので、いるだけで人が集まってくる感じなんですよ。
 実際に長崎の高校で撮影していると、そこに通っている女子高生たちがすっと寄ってきたりするんですよね。別に彼が何をやるわけでもないんですけど。そういうオーラというか、魅力はありましたね。
 川口くんに関して言うと逆で、もうちょっと滝口くんよりは大人な感じでした。ちょっと目を離すと、その辺に座ってボーっとしていたりするような。
 だからそういう彼らのキャラクターを矯正するのではなく、彼らに近づけちゃえと思って。僕は演出に比べれば脚本の方が得意ですから(笑)」

その直す作業というのはどれくらいかかったんですか?

「実際この映画の撮影は5日間あったんです。でも初日の撮影が終わった夜に違和感を感じたので、一晩かけて書き換えたんです。最初の脚本がほとんど晴れたプールで、という感じにしていたんですけど、天気予報を見てたら、だいたい5日中、4日間くらいは曇りか雨だったんで。そういうのもあって、脚本を変えました」

#◆原作者として映画を撮っていなかった

フランソワ・オゾンの『スイミングプール』を手がけたヨリックさんがカメラマンとして参加してますが、吉田さんはフランソワ・オゾンなど、彼の手がけた作品は見ていたんですか?

「もちろん見てました。だから来てもらえると決まった時は嬉しかったですね」

同じプールを題材にしているという点で、『スイミングプール』を意識した部分はありますか?

「結局カットしたんですけど、長崎の映画館のシーンでは、壁に全部『スイミングプール』のポスターを貼りましたね」

ちなみにカットされたシーンというのは?

「圭一郎が住んでいるマンションの1階2階部分が映画館なんですよ。そのマンションは変わったマンションで、映画館を抜けてから、部屋に入る作りなんですね。そういう場面がありました。
 でも、最後の方に階段のシーンがありますよね。3人が出てきて、キスをするシーン。あそこはその映画館なんですよ。あそこの壁にポスターを貼ったというわけですね」

ヨリックさんの撮影スタイルというのはどうでしたか?

「逆にヨリックしか知らないんで、他の方と比べられないんですが、わりといろんなアイディアを試してみるタイプのカメラマンだと思いますね。今こう撮ったから、今度はこうしてみようか、といった感じで」

オープニングのカルキが幻想的で素晴らしい画面だったと思うんですが、どうやって写したんですか?

「この映画には現役の高校生たちも出てくれているんですけど、その中のひとりに潜って撮ってもらったんです」

え、撮ってもらったんですか?

「そうなんです。最初はヨリックが撮ると言ってたんですけど、近づいていくのに泳いで行かなきゃいけないじゃないですか。ヨリックだと遅くなっちゃうんですよね(笑)。だから高校生にフィンを付けてもらって、撮ってもらいました。そうするとカメラが浮くんですよ、きっちり押さえてないと。その子も要領が分かってないんで、カメラが逆さになってしまったりとかスイッチ入ってなかったり、何度もやり直しましたね」

幻想的な映像だったんで、まさか素人が撮っているとは思っていませんでした(笑)。ところで、音楽はエリック・ヌヴーが参加してますが、彼にリクエストはしたんですか?

「一応パリのスタジオまでは行ったんですよ。もう本編は出来あがってたんで、それを見ながら、ここはこういう感じで、とリクエストは一応しましたけど、それが伝わったかどうか(笑)。向こうには向こうの感じ方もあるでしょうし、今回はほとんどそうですね。変に自分の価値観を押しつけるのではなく、プロの人に任せるところは任せるというやり方をしてますね」

「見てから読むか、読んでから見るか」というキャッチコピーがありますけど、吉田さんとしては映画と原作、どちらを先に見て欲しいんだという気持ちはありますか?

「今考えると、原作者として映画を撮ってないんですね。だから本当に映画の監督としては、原作者に悪いなという気持ちがあります。逆に原作者としては、こんなに内容を変えちゃって、といった気持ちもありますね。どっちも自分なんですけどね(笑)。
 原作を既に読んでいる方がこの映画を見ると、あまりにも違うので、それが申し訳ないなという気持ちはあるんですよね。その辺は覚悟して欲しいというか、別物だということを理解した上で見て欲しいと思いますね」

これからも監督をやっていこうという気持ちはありますか?

「わりと今、本業が忙しくなってきてるんで、それとの兼ねあいですね。もちろんやれるならやりたいという気持ちはありますけどね」

桜井亜美さんとか、作家の方が映画を監督するケースが増えていますからね。

「でも僕のはもうちょっと泥臭いですからね(笑)。汗にまみれてましたから。辻仁成さんとか、ああいう華々しい感じではないですよ」

でも吉田さんの映画ではその汗を感じさせないですよね。吉田さんの新作を楽しみにしています!

執筆者

壬生智裕

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