天才ミュージシャン誕生の陰には、クレイジーなほどに音楽を愛する父親がいた。

ブラジルの田舎町で暮らす9人家族の長男ミロズマルと弟のエミヴァルは、貧しい家族を救うために、父からもらったアコーディオンとギターを片手にバスターミナルで歌い始める。数々の挫折を乗り越え、父の愛情に支えられながら成長を遂げていく息子たち。少年はいつしかCDを2200万枚を売り上げるトップアーティスト“ゼゼ・ヂ・カマルゴ&ルシアーノ”になった。

2005年8月にブラジル公開された本作は9週連続第1位に輝き、527万人以上を動員して歴代興行新記録を樹立。ブラジル映画の歴史を塗り替えた作品としてアカデミー賞外国語映画賞のブラジル代表にも選ばれた話題作だ。優れた音楽とリアリティあふれる映像は、これまでに数多くのドキュメンタリー映画やミュージックビデオを手がけてきた監督だからこそ成し遂げられたものだろう。今作で輝かしい長編デビューを飾りったブレノ・シウヴェイラ監督に真実の物語の誕生秘話を聞いた。






——映画化の経緯について
最初にレコード会社を通して、ゼゼ・ヂ・カマルゴ&ルシアーノのコマーシャルのような映画の監督をしないかというオファーがあったのですが、断ったんです。なぜなら都会で暮らす僕にはあまり馴染みのないタイプの音楽だったし、文化も違って親近感がなかったからです。
ですが、実際のフランシスコに会う機会に恵まれ、彼の話に大変感銘を受け、ゼゼ・ヂ・カマルゴ&ルシアーノのコマーシャル映画ではなく、フランシスコという父親を通してこの真実の物語を撮りたいと思いました。そして彼らの人生に何が起こったかをそのまま描くことで家族の絆を世界に訴えたいと思いました。感動とか泣けるということをあからさまにアピールするのではなく、事実をそのまま伝えることが必要だったんです。

——フランシスコとその妻エレーナについて
フランシスコは今もなお夢追い人。実は生活費を稼いで家計を支えているのは母親・エレーナでした。フランシスコは息子への愛情は人一倍だけど、地代も払えないのに息子にアコーディオンを買い与えるような、家計をかえりみない父親だったんです。本当に街ではクレイジーと呼ばれていました。そんなフランシスコの夢を支え続けたのがエレーナです。今度、「エレーナの10人の息子」という本が出るそうです。

——親の期待でつぶれる子供も多いと思うのですが、ここまで大成功に至った理由は?
私も同感で、親が過剰な期待をかけすぎると危ないと思います。フランシスコの場合は息子に音楽を伝えることができた。子供の夢を自分の夢にできたところが違うんじゃないかな。自分自身、家では押し付けるのではなく、分かってもらえるか試行錯誤している段階で、これもこの映画のお陰だと思っています。

——家族の絆はブラジル人にとって最も核となっているのでしょうか?
ブラジルは心や感情的なものを扱う時に独特な方法があると思います。家族が大事という意識があるし、それを親から受け継いでいます。愛情が強くなくてはいけない。あの人たちは7人兄弟で今でも親しくつきあっていますが、大事にしていないとできることではありません。ゼゼ&ルシアーノの2人にとって父は身近で大きな存在です。家族は時間の都合で離れて暮らすことが多いが、それは良くないことだと思います。

——この映画を撮影するにあたって一番苦労した点は?
子供のキャスティングが大変でそこで苦労しました。300人以上の子供の中からオーディションをして、それでもなかなかいい子が見つからなかったんです。撮り終わってからの編集でも苦労しましたね。

——美しい映像が印象に残ったのですが、映像や色彩についてのこだわりは?
場所自体がすでに非常に美しい場所なんですよ。撮影の時期は乾季なので雨がほとんど降らない。空が自然にああいう色になるんですよ。泥の色やものすごく深い緑色があってコントラストが素晴らしいので、あのような映像になるんですが、私がやったことといえば、感受性を持って見つめていく、ただそれだけだったと思います。

——2人の歌も素晴らしかったのですが、演奏シーンも素晴らしかったですね
サウンドはダイレクトに撮りたいというのがあって、カットや吹き替えは絶対したくなかったんです。実はミロズマル役の子はアコーディオンが弾けなかったんですが、アコーディオンを与えたら一生懸命練習をして、たった20日で弾けるようになりました。才能のある子です。あのシーンでは実際に弾いているし、そのまま撮影をしているんですが、やっぱり撮影は大変でしたね。

——最後のコンサートシーンで現実感が伝わってきて、ご両親も出てきて感動的だったんですが、どうしてあのような演出をしたのでしょうか?
コンサートシーンを一つは入れたいと思っていました。大きなコンサートできっと撮影に良いからと言われて撮りに行ったんですが、ゼゼ・ヂ・カマルゴ&ルシアーノの2人にはお父さんとお母さんが出演することは隠していたんです。予定では曲の前にあるはずのブレイクがなくなってしまい、あのように曲の真ん中でお父さんとお母さんが登場することになってしまったんですが、誰も知らなかったので、どうなるのか想像しながらカメラを散らばして、全てをコントロールできると確信を持っていたんです。
ところが実際、お父さんもゼゼも倒れそうになるし、ゼゼの声が出なくなるしで、まずい状態だということで緞帳が下がって、また上がったりして。「何があってもしょうがないからそのまま撮れ」と言って、その結果があれだったんです。ドキュメンタリーは自分でコントロールできないと思いました。実は、それだけの隠し事をして大騒動を起こしたので、後から楽屋に来るように呼ばれたんですが、恐くて行けなかったんです(笑)。

——子供たちに夢を与える作品ですね
年齢を問わず見てもらえる作品になったと思います。私も温かな家庭で育ったし、今は2人の子供がいるので、自分のことも考えながら撮影しました。撮影後には真っ先に娘に見せましたよ。

——監督はパリで映画を学ばれたそうですが、影響を受けた映画作家は?
フランスに撮影を学びに行きましたけど、実はあんまり勉強していません。というのもすでに現場で働いていたので授業に出たら内容がつまらなかったんです。なので、その時間を利用して映画館に行っては世界中の映画を見ていました。黒澤明やフランソワ・トリュフォー、スタンリー・キューブリックなど、一人や2人ではなく、その頃に見たみんなの影響を受けていると思います。

——次の作品について
脚本を書き終えたばかりなんですが、リオデジャネイロが舞台の愛の物語です。金持ち地区と貧困地区の階層の違う人々の間に生まれる愛、アパルトヘイトのある街で不条理な中での愛。ハッピーエンドとは限らないが、大きな感動が生まれる映画になると思います。
僕は人の人生を描くことに興味があります。音楽にも興味があるが、それを生んだ人のバイオグラフィーの方にもっと興味があるんです。

執筆者

Miwako NIBE

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