温かくて優しい、大きな愛の物語——『暗いところで待ち合わせ』 天願監督インタビュー
”『暗いところで待ち合わせ』には、他の映画にはない不思議な魅力がある。”
この映画を観れば多くの人がそう感じるだろう。
目の見えないミチルが一人で暮らす家に、ある日警察に追われる男・アキヒロが忍び込む。そうして始まった奇妙な共同生活。しかし2人には心に抱える”孤独”という共通点があった—。
そんな少し変わった設定で始まる乙一原作のこの物語は、2002年に発表されて以来多くの人々を魅了してきた作品。映像化も望まれていた本作が、ようやく最高のスタッフとキャストにより映画として生まれ変わった。
映画ならではの観る者を飽きさせない展開、観客をあっという間に物語に惹き込む俳優達の演技。観客は思う存分この映画を堪能した後、根底に流れる天願監督や原作者・乙一が伝えたかった温かな想いに気づくだろう。
映画版『暗いところで待ち合わせ』について天願監督にお話を伺いました。
——この映画ではいろんな要素がバランス良く映し出されてますが、その為に気を配られたことは何ですか?
「全てを計算したというわけではないです。シナリオの段階で考えたことや現場で考えたこと、編集で考えたことにはズレが出てくるので再考し続けるんです。”サスペンス”などのジャンルに単一されたくはありませんでした。観て頂く人にはそれ以上のものをわかって欲しかったし、きっとわかってくれるだろうと思って作っていました。サスペンスというのは物語を進めるのに重要な筋道ではあるんですが、僕が託したもっと大事なものは別のところにあります。」
——愛情だとか友情などという部分ですね。
「例えばラブストーリーとは言っても、サスペンスのないものはあり得ないと思いますよ。その反対もそうです。大切なものがあるからサスペンスになるんです。結局はお客さんが次に見たいモノを隠すか見せるか、というだけのテクニックですから。どんなジャンルにも欠かせないものなんですよ。」
——原作ではアキヒロは日本人でしたが、わざわざ映画で日本と中国のハーフという設定にしたのは何か理由があったんでしょうか?
「チェンの感じがとても良かったからです。ハーフという設定にしたのも、チェンが日本人だという設定にはできなかったからです。そうすることで逆に狭くなる部分もあるけれども広くなる部分もある、相殺されればむしろメリットは大きいと感じました。」
——アキヒロの持つ孤独感を強く出すということを狙われたわけではないんですね。
「元々アキヒロは”孤独な男”という設定なので、その点に関しては日本人が演じたとしても同じだったかもしれません。でも物語上ハーフにするというのは大きなことなんです。差別だとかいう別のものも入ってくるので、それが影響して現れ方が変わってくることはありますね。」
——チェンさんは日本語に苦労されたそうですね。
「そうですね。でも本当にすごく頑張ってくれました。僕はチェンが出てくれることで映画のプラスになると思ったし、チェンも演りたいと言ってくれました。」
——乙一さんはホラー作家としてのイメージが強いのですが、監督から見た乙一さんの書くラブストーリーの魅力とは何ですか?
「『暗いところで待ち合わせ』はサスペンス小説です。愛というのを”男女の愛”に限定せず、博愛だとか人類愛といった広い意味で使うなら、ここで描かれているのは愛ですね。映画の中でも男女の愛は芽生えません。しかしお互いの存在を認め合うということは、大きく言えば愛ですよね。相手が生きてることを赦す、というのは愛です。そういう意味ではこの作品はラブストーリーです。」
——原作に出会ったときの印象は?
「とても緻密に書かれた小説だと思い、感心しました。ただ映像化するにあたって省かなければならないところもありましたが、小説を読めば誰もが乙一さんは才能ある人だと思うんじゃないでしょうか。ホラー作家というイメージは僕にもありましたが『暗いところで待ち合わせ』は、読んでみて素直におもしろいと思いました。」
——最後のアキヒロのセリフは人間の弱さを認めることでもありますよね。
「人間というか、自分の弱さを認めたということです。抽象的なことなので”人間は”とか”今の若い人は”とか言うと話が大きくなってしまって具体的ではなくなってしまいますよね。私達は一人一人違う問題を抱えていて生きていますが、そういった一人一人のドラマというのは統計には表れません。一人一人のドラマを掘り下げていくことでこそ、最終的に普遍的なものに辿り着けるんです。乙一さんがやろうとしたのもそういうことだと思います。」
執筆者
Umemoto