”お客様第一!”のガンコ親父と三人姉妹が織り成す、心が温まる物語『幸福のスイッチ』。主人公は21歳の不機嫌な女の子・稲田怜。イラストレーターになるために父親とケンカまでして実家の和歌山から東京に出てきたが、理想と現実のギャップに反発して仕事を辞めてしまう。ひょんなことから実家の電器店”イナデン”に戻った怜は相変わらず父親と衝突するが、これまで見えなかった父親の一面を発見する・・・。

本作を監督したのは、関西で映画を撮り続けている安田真奈。これまでにも等身大の姿を描いた作品でたくさんの人々の心を捉えてきた監督には本作に特別な思い入れがあるようでした。
OL監督として知られていたのには理由があったのです。そうして電機メーカー店で働きながら映画を撮り続けてきたことで得たものが活かされた本作は、決して大きな事件はないけれど、観る人の心に響かせるものがある映画になりました。”家族”と”仕事”というテーマを取り上げ、優しい眼差しで私たちに大切なことを教えてくれた安田監督にお話を伺いました。




——どうして作品の舞台を和歌山の田辺にしたんですか?
「関西でロケ地をさがしてたんですけど、田辺って山や田んぼの緑が美しいだけじゃなくて、みかんがたくさん成っているんですね。60種類ぐらいあるみたいで、それも一年中あるんですよ。そのみかんのオレンジ色がとても綺麗で、加えて2月になると梅林の白い花が咲くんですね。そうするとみかんと梅の花の彩りの組み合わせに素朴な華があったんです。それに海も山も近いので、ロケーション的な組み合わせがしやすかったというのもありますね。」

——海はもしかして白浜ですか?
「夜に2人の姉妹が歩いているのは田辺から白浜へ行くまでにある”江津良浜”というところで、樹里ちゃんがひっくり返っているところは田辺駅近くの”扇ヶ浜”というところです。」

——監督は大阪在住の方ですよね。和歌山弁と大阪弁との違いは感じますか?
「”やにこう”とか”なっとうした”とかは今回始めて知りました。和歌山は関西の中でも方言が濃いですよね。この映画の出演者は皆関西出身なんですが、樹里ちゃんが兵庫、本上さんが大阪・・というように和歌山ではないところが出身地なんです。方言のCDを聞いた時には初めて聞く言い回しだとか、意外と標準語に近いイントネーションで発音されてる言葉があったりして、発見が多かったですね。関西弁であってもやっぱりちょっと特殊に感じました。」

——方言はどのように勉強されたんですか?
「方言指導の先生についていただきました。台本を先生に読んで頂いて、そのCDを聞きながら、本番前にセリフの読み合わせ会を何度か行ないました。”今日は田辺弁勉強会です!”みたいな感じで(笑)。」

——結構苦労されてました?
「私は当初から出演者全員が関西出身じゃないと嫌だって言ってたんです。関西弁の映画を撮るのに関西出身の人間がやらなきゃインチキくさくなるじゃないですか。ストーリーどうこうより、言葉を聞いたとたんに嫌になる映画にはしたくなくて。それで関西出身者にこだわらせてもらったんですが、皆自分のベースの関西弁と比較して違いや共通点を見つけていました。そういう点ではやりやすかったみたいですね。」

——関西にこだわっていらっしゃいますよね。
「関西の人間関係にある柔らかい空気とか関西弁のナチュラルな感じを映画にしたいので、これからもずっと関西で撮り続けたいと思ってるんです。東京のオシャレなドラマは東京の人に任せておこう!という感じです。私は関西担当で!(笑)」

——上野樹里さん演じる主人公の怜ちゃんが、年のわりに幼い感じがしましたが。
「今回は脚本を書くために電器屋さんにたくさん取材させてもらいました。それと同時に三姉妹のいる方や女姉妹のいる方、イラストレーターになりたての方やその業界の方に話を聞かせてもらいました。そしたら入社して1〜2年くらいのイラストレーターで会社を辞める子が多いそうなんです。例えば賞なんかももらってる子はすごくプライドが高くて、仕事はプライドとかアート性だけじゃやっていけないということに折り合いがつかなくて辞めるパターンが多いらしいです。そういう取材をふまえて、割とハッキリわかりやすい子、に設定しています。不機嫌パワー炸裂だった子の心が徐々にほどけていく物語にしたかったので、しょうがないけどこんな子もいるかもしれない……という感じにしてますね。」

——近所のおじさんが集まってくる感じも、田舎出身の私としては懐かしかったです(笑)。
「妙に馴れ馴れしいけど、実は優しい。でもちょっとめんどうな時もあるっていう(笑)。人間関係の微妙な距離感って東京と関西では違いますよね。『オーライ』で昔の友達をいきなり訪ねるっていうシーンがあったんですけど、東京の観客の方々に”ああいう風にアポイントなしで旧友を急に訪ねることができるっていうのは関西だけよね、羨ましい!”って言われました。その人間関係の壁の微妙な高さ低さがありますよね。どっちがいいとは言えないですけど。おじさんたちが集まってきて、主人公にやんやんいうのは、なんか田舎っぽいし、関西的かも。」

——最初はあのおじさん達は現地の方だと思ったんですが、違うんですよね。
「芦屋小雁さんを始めとする常連客は、関西のベテランの俳優さん達に演じてもらってますね。野村のおばあちゃんは新屋英子さんです。でもお客さんの中にも現地のエキストラの方もいますし、結構混ざってるんですよ。割と芝居が必要なものは関西の役者さんたちに大阪から来ていただいたりしました。ちなみに現地のエキストラは180人の応募があって、オーディションを受けていただきました。現地もすごく盛り上がって一緒に作ってくれて。クランクインパーティを開催してもらったんですが、有料にも関わらず800人来られたんですよ!その歓迎ムードのまま撮影をずっと皆さんで応援してくださって。景色も人も素朴で嘘のない暖かな土地柄だったので、ホントに暖かな映画がリアルに撮れたと思ってます。」

——関西のベテランの俳優さんは関東ではわかりずらいのでは?その辺は悩みませんでしたか?
「そこはあまり気にしませんでした。それよりも映画の空気感を自然に出せる方が出てくださることの方が重要なので。東京の若い方は沢田研二さんや樹里ちゃんみたいな俳優さんしかわからないかもしれないけど、観終わった後に”なんかあのおじちゃん、おもしろかったなぁ”みたいに思ってもらえるといいなと考えてました。」

——電器屋さんで餅つき機が出てくると思いませんでした。このアイディアは?
「脚本を書いてから撮影までに3年かかったんですが、それよりもだいぶ前から電器屋を舞台に家族物語という構想はあったんです。実は構想は10年ぐらいなんですよ。結構初期の頃から、餅つき機は入れようと思ってました。私は電機メーカーで会社員をやってたんですが、社員って不況の時に社内製品を買わなきゃいけなかったんですよ。でもだんだん買うものがなくなってきて先輩がついに、「なんもないから餅つき買ったわ。」って言われたんです。最初は餅つき機!?って思ってたんですけど、しばらくしてその先輩が「あれなあ、おもろいで。ポ〜ンって蒸しあがってフタが開いてな、そっから10分くらいのうちにみるみるもち米がまとまって餅が出来ていくんが何かおもろいねん。皆で頭つき合わせて”お〜”って言いながらずーっと見ててん。」って言ってたんですね。それを聞いた時に広い部屋で大人が頭つき合わせて餅つき機を覗き込んでる画もおもしろいって思ったし、それって単なる機械によって皆が集って何か暖かみが生まれるっていう、無機質なものから有機的な歓びやつながりが生まれる瞬間だと思ったんです。昔の一家に一台のテレビの役割ですね。機械なのになんで暖かいんだろうって。それにバラバラのもち米が一つになっていくっていうのも象徴的ですし、ドラマに入れたいなって思いました。」

——時代設定は曖昧にしたんですか?古い電器製品も置いてましたよね。
「時代設定は現代です。田舎に行くと、結構古い看板を未だに掲げているお店は多いんですよ。都会に住んでいる人から見れば時代が曖昧に見えるかもしれませんが、日本の田舎にはこういうところがまだまだ残ってると想像できるのえは。実際、故郷に帰ってちょっと路地に入ればこんな感じのお店はありますしね。30年くらい前に開店したけどお父さんが外回りばっかりでお店の改装をほったらかしてたという設定なんで、時代に取り残された外観です。でもその中でも人間関係は非常に生き生きとしているので、今時こんな店があると癒されるかもって思ってもらえたら嬉しいですね。また、郷愁を感じていただければ。それにしても、全国統一規格の電器製品を売っているのに、店主の人柄によってお客さんへの届き方、生活への響き方が大きく違うということは、とても不思議で興味深いものです。」

——あのお店はいろんなところを回られてみつけたものなんですか?
「空き店舗を改装して作ったんですよ。今回はまず田辺の村の風景が気に入って、そこから空き店舗を探して、あとは退職してからの3年間でいろいろ調べたお店の内装や外装や家族構成なんかをふまえた上で、こういう設えにしようと決めたんです。」

——仕事をされながら映画を撮られていた時の雑誌の記事に”好きを仕事にしない”と書いてあったんですが、どういう意味なんでしょうか?
「もしも芸大とか映像学校に入ってたら最初から映像業界に入ってたかもしれないし、大掛かりなものを撮りたければそうしていたかもしれない。でも私は社会の大事件よりも、ドラマの中にある個人の大事件を撮りたいと思ってたんです。例えば今日誰かに会って明日元気になったら、新聞には載らないけど、個人にとっては大事件じゃないですか。そういう心の移り変わりを撮りたいと思ってたので、無理やり映像業界に行って頭が凝り固まってしまうよりも一般企業で働いて、観客に近い目線で個人の大事件を撮っていこうと思ったんです。そして、年に1本は撮ろうと決めました。もしもそれで上手くいったらシフトすればいいし、反対に映画を途中で辞めてしまったらそこまでの情熱だったっていうことだし。自分の場合は映画が好きだからって、その”好き”を仕事にしてしまうと視野が狭くなると思ったんです。そうやっていろいろ考えた結果、”好き”を仕事にしませんでした。今から考えると、観客目線でいつづけたということが身近な目線の映画を撮りたいという目標にはプラスになっていると思います。」

——”笑い”も”泣き”も入ってますが、そのバランスには注意されたんですか?
「”泣き”ってすごく難しくて。すごくドラマチックな状況に追い込まれて、決め台詞があって、音楽が盛り上がって・・っていう、泣きの場面をわざわざ作ってる映画って多いですよね。わざとらしいのにその場面で泣けてくるのは、そのシーンまでの積み重ねの中でいかに登場人物に共感できてるか、その台詞の中に共感できる部分があるか、なんですよね。あからさまに狙わなくても共感できるポイントを作っていけば、ささやかなシーンであっても心に染みたりするんじゃないかなって思ったんです。撮ることができてすごく幸せだったのが、樹里ちゃんと沢田さんが車の中で2人で会話をしているシーンです。会話の内容は文字にすれば淡々としているんですが、そこまでの親子の隔たりとか、その場面での微妙な沈黙が自然に心に響くものになったんじゃないかなと思います。台詞が終わった後に静かな音楽を入れてるんですが、録音作業の時に音量をおさえないいままにしてもらいました。そこで盛り上げるよりも、この映画のラストに至るまでの布石としたかったからなんです。」

——今年の湯布院映画祭に行かれて、その時に『幸福のスイッチ』も上映されたんですよね。どんな感じでしたか?
「そこも笑うか??っていうところでウケてましたね(笑)。樹里ちゃんが文句を言う台詞もおもしろいみたいで。沢田さんとの絡みのシーンで感動してくださった方も多かったみたいでした。上映後にいろんな言葉をもらいましたよ。ご苦労された方は、よりご自分の仕事や家族を重ね合わせて見ているようでした。」

——厳しい質問とかされました?
「シンポジウムの場はおもしろくなければハッキリ言う場だったので、”よかった”って言う人も”淡々としてつまらなかった”って言う人もいらっしゃいましたよ。こまかな点を質問される方もいましたね。お客さん同士で反論があったりとおもしろかったです。」

執筆者

Umemoto

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