偶数月の第三金曜日、深夜0時00分に大阪駅を出発する行き先不明の不思議な列車。ロマンチックな車内には、大勢の若い男女や、好奇心いっぱいの中年女性たち。
そこに、それぞれ悩みを抱えた5人の男女も乗り込んでいた。
そして、列車は翌朝、ある田舎町『風町』に到着する。ぽつんと佇む駅舎、歴史が息づく古い町並み、青く穏やかな海、気軽に優しく声をかけてくる町の人々。どこか懐かしく、ゆったりした空気が流れるこの町で、彼らを待ち受けているのは、どんな出会い、出来事なのだろうか。

画面いっぱいに繰り広げられる、広島県・大崎下島、岡山県・真鍋島、島根県・江津市、益田市などの西日本各地の美しい景色の魅力や、今では走る姿をほとんど見られないノスタルジックで貴重な電気機関車EF58-150、一等展望車マイテ49 2の迫力ある走行風景。そして、見る者の心を打つ名曲の数々。中森明菜が唄う主題歌『いい日旅立ち』、徳永英明『時代』、『happiness』、浅倉大介が手がけた『駅』インストロメンタルバージョンが、見る者を感動の世界へと導いていくことだろう。

キャストには『ショムニ』、『美しい罠』などTVドラマで活躍中の櫻井淳子をはじめ、女優・多岐川裕美の娘で映画デビューを果たした多岐川華子、映画初出演となる歌手の徳永英明、漫才でおなじみの大平シロー、大ベテランの大滝秀治、またTV「世界の車窓から」のナレーションで知られる石丸謙二郎が、車掌役で出演するなど、多才な顔ぶれが勢ぞろいしている。

旅に詳しいスタッフ達の“旅への愛”が凝縮された『旅の贈りもの -0:00発』の魅力を、原田昌樹監督に語っていただきました。






——『旅の贈りもの -0:00発』を監督するきっかけは?
企画、原案、プロデュースした竹山さんから、旅をテーマにした映画を作りたいというお話をもらったのがきっかけです。彼は映画の製作部で、いわゆるロケ現場を探している方なんですよ。20年位おつきあいがあるんですが、東映の大泉にある東京撮影所で、映画の製作部と助監督という立場で色々な映画をやっていまして、その時に彼がいろんなロケ現場を見つけていたんですが、当時はヤクザ映画だったんで、「いい場所があってもロケには使えないね。まだまだ日本にはたくさんいいい場所が残っているね。」なんて話をしていたんです。彼が自分で映画を作る段階でそういうものをうまく取り込んだ形でやりたいという話から始まりました。
具体的な話になったのは去年の3月ぐらいです。以前、(株)日本旅行で旅の企画をしていた篠原君がシナリオライターに決まり、僕自身も旅好きで、ふらふらとよく一人旅をしていたんで、「旅の話ならば、お任せください」ということで始まりました。

——今までどういう旅行をしてきましたか?
3日以上空いていたら、どこかへふらっと行っちゃえっていう感じで、目的はあまり持たずに行きますね。遠いところではスペインやドバイまで行きました。

——好きな場所はどこですか?
日本だと、実は瀬戸内が好きなんですよ。静かな海が好きで。目的を持ってどこか行く時は、それこそ北海道や沖縄にも行くんですが、瀬戸内ってそういった意味では見過ごされがちだけど、行ってみると、のんびりしていて、すごくいいところなんです。今回の話があったときは、ぜひ瀬戸内でロケしたいなって思いました。

——何か参考にされた作品は?
旅というだけで色々なイメージを持っていたので、映画的に何かを参考にする気はなかったですね。どちらかというと音楽ですね。旅の音楽といえば何だろう?と、脚本を作っている段階でずいぶん話しあいました。

——音楽がすごく印象的で懐かしい感じがしますね。
狙ってそういう風にしたわけではないんですけど、旅で思い浮かぶ曲を羅列していたんですよ。山口百恵の「いい日旅立ち」、竹内まりあの「駅」、中島みゆきの「時代」とか。そうすると80年代ぐらいまでの割とアコースティック系なサウンドなんですよ。旅っていうと、何となくのんびりゆったりした、デジタル系ではなく、アコースティックな感じだなと。耳に心地良い音楽を使いたいと思っていました。20年経ってもみんなが口ずさんでいる歌は、やっぱりいい歌なんですよね。

——主題歌は中森明菜さんが歌っていますね。
この映画の音楽プロデューサー・ソニーミュージックの内藤さんは、かつて山口百恵さん担当だった方なんです。彼が音楽をきっちりやりたい、フルコーラスで録り直したいという話になって、「中森明菜に歌ってもらえるよ」ということで話が進み、映画用に歌って頂けることになったんです。

——中森明菜さんも山口百恵さんを尊敬していますよね。
そうなんですよね。声質も非常に似ていましたし、本当に百恵さんと同じような感じで歌って頂いたんです。これは個人的な感想なんですが、百恵さんの「いい日旅立ち」は確かに名曲なんですが、彼女は当時19歳で歌っているんです。この歌詞はいろんな経験を積んだ今の明菜さんの方が解釈がうまいですね。そういう意味でとても良かったですね。これは名曲だと思いました。

——徳永英明さんが「happiness」を書き下ろしていますね。
徳永さんには出演者としてお願いしたんですよ。映画の撮影が終わった後、徳永さんから「この映画でインスパイアされた曲を作ったんで、使って頂きたいと思います」と、「happiness」を頂けたんです。聞いたら、なるほどこの映画の雰囲気の曲を、そのまま作って頂けたなと思いました。これも頂けたし、僕の方からお願いしてあった「時代」も使わせて頂きました。浅倉大介さんにも色んな楽曲をお願いしていたんですが、僕らは最初から竹内まりあの『駅』にこだわりがあって、これを使いたいなと思っていたら、彼にインストロメンタルバージョンを作って頂けるということになったんです。ですから音楽的には非常に恵まれたことになったなと思います。

——ではその浅倉さんの音楽についての印象は?
僕らも浅倉大介さんといえばaccessのイメージだったんですが、お会いしたら全然違ったんです。「監督、うるさい音楽と静かな音楽ってあるけど、どっちが好き?」と、本当に率直な言い方をされて、「僕、静かなほうが好きです。」と答えたら、「じゃあ、そっちでやります。僕、本当はそっちが好きなんですよ。仕事でうるさいのやってますけど」って、そういう方だったんです。もともとディズニー映画が好きで映画を愛している方だったので、accessのイメージとは違ったピアノとかで素晴らしい曲を作って頂けたので、うれしかったです。音楽は本当に恵まれましたね。

——列車「EF58 150」、「マイテ49 2」の魅力については?
別にマニア向けにこれにした訳ではないんですが、大阪駅を深夜0:00に出る列車に乗るという基本コンセプトがあったわけですよ。いったい、どんな列車なんだろう?少なくとも新幹線じゃない。ノスタルジックで雰囲気のある列車が欲しい。マイテは昔の展望車で、ロマンチックな車両が存在していたので、これを引っ張るのにふさわしい機関車ということで、JRさんにお願いしました。僕も鉄道マニアじゃなかったので、後からお聞きしたんですが、EF58は日本で動くのがたった2両、マイテも完全に1両しかないという貴重な車両だったんですね。それを撮影のために無理を言って貸し出してもらいました。

——列車の内装はどうでしたか?
乗っただけで素晴らしかったですよ。木造で、本当にシックで、昔の列車は情緒があるんだなあって。実は、台本上では大きな問題だったんですよ。役柄でいえば自殺しようとした華子が電車に乗り遅れ、なぜか、なんとなくこの列車に乗るんですが、そういう説得力のある、妙な魅力のある列車が必要だったんです。本でいくら書いても、彼女が乗る理由っていうのはできなかったんですが、実際にロケーションしてみて、深夜にこれが佇んでたら、乗るかもしれないと思いました。醸しだす雰囲気があるんですよ。ロケーションで華子に聞いたときも、「乗ってみたいと思う」と言っていました。

——映画に社会的なメッセージ性は込めたんですか?
乗る人達のバックボーンにそれぞれ何か悩みを持っているということを一応描いたんですけど、ありますよっていう紹介だけに留めています。こういう列車に乗っている人って何か悩みがあるでしょって。社会性をテーマに持っていくつもりはなかったですね。ただ自分たちの物事の考え方次第で、解決することができるかもしれませんよということは描きました。撮影場所の風町という町を実際に見つけることができて、町は架空なんだけど、作り物ではなく、生きている町で全部本物なんです。風町、キャラクター、いい音楽という良い材料がそろったら、変に手を加えず自然に、料理でいえばポトフのように、なるべく素直に素直に、撮影しようと思いました。俳優さん達にも、実際にどう思うって感じで撮っていきました。

——では、俳優さんたちも自然に演じられていたんですね。
徳永なんかもすっかり町になじんでいましたからね。本当にみんなそのまま「じゃあお疲れさん」って、家に帰っていくような感じでしたね。

——キャスティングは監督が行ったんですか?
僕とプロデューサーの竹山でやりました。キャスティングは非常にスムーズに決まりました。

——映画初出演の多岐川華子さんはどうでしたか?
その映画でデビューして新人を育てることは僕らもやりたいなと思っていることだったので、彼女の映画デビュー作として起用させて頂きました。非常にキャラクターをよく掴んでくれて、彼女に関しては初めてということもあって、撮影前にリハーサルをやって、本人と僕が持っているキャラクターを一致させました。それだけ出来上がってしまったら、あとは本人が華子にどんどん近づいていったんで、そのまま現場に連れて行って、大阪だったら男に声をかけられるところから撮影を始めたんですけど、彼女自身の反応を撮っていく形でした。同世代が撮影現場にいなかったので、変に素に戻ることがなかったからかもしれませんが、撮影の間中はずっと役の華子でいましたからね。そういう意味で血筋のいい子なんだなって思いましたよ。映画ができあがったのを観たら「またやりたくなりました」と言っていて、だから伸びていく子だと思いますよ、
ちなみに彼女は撮影中に17歳になったんですよ。すごく大人びているんでそうは見えないんですけどね。レンズの中ではアンニュイな雰囲気があるんですが、会えばとっても明るい子ですよ。明るい笑顔のいいところのお嬢さんだなって思う子なんですけどね。映画の中で自分を作り上げているんで、この子はいけると思いますね。

——エキストラの方々がすごく自然で、笑顔が素敵でした。
地元の方、そのままです。非常に地元の方には協力していただいて、喪服を持って集まって下さい。歩いてくださいとやっていただけなんですが、別に笑って下さいとか一切言わず、なるべくそのまま生を撮るっていう形にしました。だから全部本物なんです。そういう場所を見つけてそういう人たちに出会えたことが喜びですね。今でもロケした場所を懐かしく思い出しますね。撮影中は癒されましたよ。撮影が終わって帰るのが寂しかったですよ。

——撮影中で大変だったところは?
一番大変だったのは列車の撮影です。実際に大阪を夜中の1時に出して、次の日、山口まで走らせたんですけど、全部で6台のカメラを用意して、先回りしてカメラを置いていて、ダイヤ的に組んでやりました。空撮あり、車で追っかける撮影ありで、大騒ぎで撮影していました。しかもこのとき台風が大阪直撃コースで来ていたんですが、間一髪、台風が過ぎて、台風一過で晴れたんです。動かせないスケジュールだったので本当にツイているなと思いましたね。当然寝ないで撮影していたので、ヘトヘトになるくらい大変でしたね。

——オープニングのサンドアートについて
CMで何度か見ていて、とても不思議でロマンチックな絵だなと思っていました。映画の編集のかなり終わりの段階で、プロデューサーの竹山がこの方にコンタクトが取れる話になって、それなら是非列車の絵を砂で描いて欲しいとお願いして、竹山が一人ブダペストへ飛んで撮影しました。

——最後に映画を見る方にメッセージを
あまり色々考えずにふわっと映画を見て、風町の雰囲気に浸って頂いて、癒される方とかいろいろあると思うんですけども、そういう理屈の映画じゃないんで、旅に出てみようかなと思って頂けるといいんですけどね。ポトフみたいな映画なんで、一口食べたら味薄いかもしれないんですけど、じっくり見たら温まりますよ。そういう映画です。

執筆者

Miwako NIBE

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