それは心を震わせる、奇跡の物語。『フラガール』李相日監督インタビュー
今年、昭和40年に福島県いわき市の炭鉱まちで起こった実話を元にして描かれた一本の映画が誕生しました。
北国が再起を賭けて持ち上げた”楽園ハワイ”化計画。盆踊りしか知らない炭鉱娘たちがプロのダンサーに育っていく様子を軸に描かれたこの物語は、観る者の心を震わせる映画となりました。
家族や友情、自分の夢・・・それぞれにとって大事なものの為に練習に励み、共に頑張る中で出来た絆やかけがえのない瞬間を見事に捉えた本作は、多くの人にあたたかな気持ちを与えてくれるでしょう。
もちろん映画ならではの美しいダンスも見事!ダンス教師役の松雪泰子さん、蒼井優さんらを始めとするガールズ達のダンスは美しいだけでなく、観ていて鳥肌が立つほど惹き付けられるシーンとなって、この映画を彩っているのだ。
ダンスと物語の調和が心地よいリズムを生み出している映画『フラガール』の李相日監督に話を聞きました。
—— 『フラガール』は実話を元に作られてますが、この映画を作るに至ったいきさつを教えてください。
「1年ちょっとぐらい前にシネカノンのプロデューサーからやってみないか、という話をもらったのが始まりですね。2〜3年前からハワイアンセンターの実話を映画化するという企画は進行していて、準備もすでにされていました。興味があるのでやってみたいと思ったんです。」
—— 興味が惹かれたのはどんな部分でしたか?
「ハワイアンセンターが起死回生で炭鉱まちから作られたというのを全く知らなかったので、その発想のおもしろさに惹かれました。しかも外部の人達じゃなくて全部自分達だけで作るという、まるで生まれ変わったようなところがおもしろいと思ったんです。それで実際にハワイアンズに行ってダンスを見たんですけど、持っていたハワイアンダンスのイメージとは違いました。それまでのイメージはすごくゆったりしていて優雅なダンスだったんですけど、全然違って。テンポが速かったりエモーショナルだったりしてすごく豊かなものだったので、自分のイメージとのギャップがすごく大きかったんです。それですぐにダンスというものがこの映画の核になるべきだと確信しました。そうやってダンスを核にして一番クライマックスにもってくる以上、観客が踊り子たちに感情移入しないとこの映画は成功しないと思いました。そこから最後のハワイアンセンターオープンに行き着くまでを逆算してどう見せていくかを考えて作ったんです。」
—— ガールズ全員で踊るシーンや、松雪さん、蒼井さんが一人で踊るシーンがすごく綺麗でした。映画で魅せる為には画の切り取り方が重要になってくると思いますが、ダンスのシーンはどのように映すことを心がけられたんですか?
「シンプルですよ。どう撮ってもいいように役者さんが作ってくれたから撮れたんです。素材がないと撮りようがないんで。基本的にダンスシーンでは奇抜な撮影は考えてないですよ。どういうダンスかわかる画と、表情がわかる部分、足や手や腰などの強調したい部分を抑えていって。あとはどうしてもスローで観せたい部分を撮って最終的に編集で判断しました。役者さんのダンスを殺さないように必要なものを必要なぶん撮りました。そういう撮り方ができる素材になってくれたから、あのようなダンスシーンができたんです。」
—— 女優さん達がフラダンスの練習を重ねていかれるのをご覧になってどうでしたか?
「上手くなってくれなきゃ困るな、と思って見てましたよ(笑)。オーディションの頃から皆とは接しているので、ラストシーンでは感情移入せずに客観的に観ないといけないなと思いつつも、やっぱり最初のオーディションの時の一人一人の表情を思い出していましたね。最初に会った時こんなだったよな、とか最初練習した時は全然出来なくてこんなだったな、とか。」
—— 南海キャンディーズのしずちゃんを選ばれたのは?
「でかいからですね(笑)。でかくてヌボーっとしている人が必要だったんですよ。入ってくるだけでおかしみがある人が、ちゃんと映画の後半で観ている人の感情を惹きつける芝居をしている。お笑いをやっている方というのは人を笑わせるのが仕事なので、笑わせようとする顔しか見れないですよね。でもそういう人でも当然普段は怒ったりもするし、失恋して泣く顔もあるだろうし。その見えない部分を映画を通して見せることができたら、この映画は膨らむだろうなと思ったんです。」
—— これまで『69 sixty nine』や『スクラップ・ヘブン』で男性を中心に描かれてきましたが、『フラガール』では女性を描かれてますよね。何か違いなどは感じましたか?
「自分で違いを意識することはあまりなかったですね。この映画に出てくるのは、恋愛について悩んでいる女性達ではなくて自分達で何かを変えていく能動的な女性達だったで、女性の強さや逞しさなどを描くという意味ではそんなに抵抗はありませんでした。どう意識したのかを覚えていないんです。女優さんだからといって何をどう感じて、どう変えたのかという形跡が僕の中にないんですよ。結果的にいつも通りやったという感覚しか残っていないですね。」
—— ハワイアンズに実際に行かれて、何か感じ取ったものや映画に反映した部分はありますか?
「これ、というものはありませんね。ハワイアンズのドームの中も今と40年前とでは結構変わっていますし、お客さんの反応もきっと今とは違うだろうし、踊っている子たちのモチベーションやバックボーンもだいぶ違うので、そんなに参考にはならなかったですね。ただそうは言っても当時を体験した人もいましたから、そういう方がいるのといないのとでは存在感が違ってきました。単純にディズニーランドとハワイアンセンターって決定的に違うと思うんですね。どっちが重い、軽いではなくて存在感の色合いが違うというのを感じました。だからといってどう映画に反映させるということじゃないんですけど。」
—— ”炭鉱=家族の話”というイメージがあるんですが、監督にはどんなイメージがありました?
「同じです。この映画でも炭鉱で事故が起こるシーンがありますが、実際に起こることですよね。でも事故がつき物だからって皆暗くて鬱屈とした生活を送っているわけではなく、明るく生活しているわけで。斜陽になる前の炭鉱の仕事はすごく景気が良かったですし、給料はよくて生活も困窮しているわけではない。ただ大きく違うのは、死と隣り合わせにあるということ。でもだからと言って毎日ビクビクしながら暮らしているのではなかったと思います。生活を楽しんでるし、暗いというイメージがあるのは斜陽になって悪化していってからの印象が強いからなんだと思うんです。確実にいい時代もあったんです。これはちょうどその狭間の話なので、いい時代の空気も残っているだろうし、皆で酒飲んで笑ったりもしているはずなんですよね。だけどそういう部分と、突発的に起こる悲劇というのは混ざっている。ただ炭鉱を描くのに家族は欠かせないですね。法則だと思います。家族を描かないで炭鉱の話が出来たらすごいと思いますよ。」
—— 登場人物一人一人が個性的ですよね。
「脇のベテランの役者さん達にすごく依存している映画です。もちろんフラガール達の完成した踊りに依存はしていますが、その他のベテランの役者さん達にも依存していますね。ある象徴をそれぞれに体現してもらっているので。例えば岸部一徳さんはこの映画では何で炭鉱まちをハワイにするのかということには全く触れていないですけど、観客は最初の段階でハワイアンセンターを作らなきゃいけないんだと納得する。それは一徳さんが一生懸命になってるからなんです。また、富司さんはハワイアンセンターに反対している炭鉱まちの人達を体現しています。最初の組合いのシーンで反対している人はいっぱい出てくるんですが、それ以降は出てこないですよね。もう後は富司さん一人で体現してもらっているんです。そんな感じで一人の役者さんに多数の想いや思想を体現してもらっているので、それを成立させなきゃいけない負担は結構大きいと思いますし、それはいわゆる中途半端な役者さんじゃできなかったと思いますね。」
—— ポスタービジュアルでガールズ達が持ってるものは?何を象徴しているんですか?
「”ウリウリ”というものです。下はひょうたんのマラカスみたいなもので、赤いのは羽ですね。象徴は花です。ハワイアンダンスには自然と共生するという考え方があるみたいで。花をつけて美しさをもらい、大地からは生命力をもらい、海からは恵をもらう。そういう自然とのつながりが根底にあるらしいです。」
—— フラと手話とのつながりに驚きました。
「僕もビックリしました(笑)。最初に聞いた時にビックリしたので、これは観客も聞いたらビックリするだろうと思いました。それできっとフラダンスというものの奥行きが広がるだろうと。そしてただそれを紹介するだけじゃなくてドラマに組み込んでいけば、よりもっと完成形に近づくだろうと考えました。ダンスを芝居から切り離さず、一箇所でも融合しているシーンを作ることは自分にノルマとして課しましたね。」
—— いろんなバリエーションの作品を撮られてますが、『フラガール』は監督にとってどのような作品になりましたか?
「こういう作品になった、と言えるほどまだ時間が経っていないですね。前の作品とは取り組み方が違いますし、自分の想いからスタートしてそれをどのように映像化していくのかではなく、既にあるもの、それもチラシを見ると誰もが観た気になるような定番のストーリーなので、それをどう飽きさせないで観客にきちっと観せるかということがありました。頭を使う部分が違いましたね。そういうことも僕の中ではやっていきたいし、出来るようになりたいと思っていたので、それが一つ形になったという作品ではありました。ただ結果的にどう受け止められるかはもうちょっと時間が経たないとわからないし、仮に上手くいったとしてもまた同じようなものをやって上手くいくとは言い切れない。この映画は『フラガール』だから出来たんです。」
執筆者
umemoto