『嫌われ松子の一生』での彼女の弾ける演技は、それまでのイメージを払拭する新たなるヒロイン像を定着させた。そして9月9日に公開となる『ロフト LOFT』では日本映画界の至宝ともいえる中谷美紀の新境地が見られるのか、と待ち遠しいという方も多いだろう。

「以前からお仕事をいっしょにしたいと思っていて、お話がきたときは本当に嬉しかった。」と話す中谷美紀さん。“映像のカリスマ”と言われる黒沢清監督の撮影方法はもちろん、現場に流れる雰囲気をすべて吸収してきたように話すたたずまいには、何者もよせつけない、女優としての強さと女性としてのしなやかさを備えた輝きが含まれている。

本作では黒沢清監督を信望しているキャストとスタッフが集結した。長編として3年ぶりとなる本作では更なる進化を遂げ、ホラー、ミステリー、サスペンス、ラブロマンスと様々なジャンルの要素を盛り込み、日常に潜む非日常の世界を見事に築きあげた。

黒沢清監督が築きあげたバベルの塔に入り込み、自らも当事者となっていくことを宿命とするヒロインの姿に目を奪われないものはいない。なぜなら彼女を支えたのはひとりの苦悩する男性への愛なのだから。

中谷美紀が『ロフト LOFT』にかけられた愛の呪いの全貌を探る。






初めて脚本を読んだ時はどう感じました?
「すべてを理解することはできなかったです。監督の脚本にはほとんど説明書きがないんです。監督の頭の中にすべては構築されていて、必要以上に人に説明する必要はないと考えておられたんだと思います。作家や脚本家としてではなく、はなから監督として脚本を書かれているような方でした。おそらくこの方は人を信じていないんだと思いました(笑)。だとしたら、監督が信じている監督を我々も信じればいいし、わからないなりにやってみて方向性が違ったら、きっと監督から指示されるだろう、というそういう考え方をしていました。ですので、特に私から提案したことはありません。」

黒沢清監督の現場にはなにか特別な魅力がありましたか?
「まず、声をあらげないこと。そして人との適切な距離が保たれていることです。監督と俳優、監督とスタッフ、そしてそこから生じる俳優とスタッフの距離も。あるいは監督と作品、カメラと俳優、すべてにおいて等間隔で距離がとられているように感じました。映画制作の現場によくある泥臭さがなく、静かな情熱が流れていました。撮影もほぼ毎日10時くらいに終わっていました。現場のスタッフは普通のサラリーマンのように朝集合して夜は帰っていきます。日常的な雰囲気のようで、非日常が行われている現場がたんたんと進められていました。そういった現場の雰囲気を作り出す、監督が持っている品の良さが作品にも表れているように感じました。監督自身が他人の中におしいってくるような方ではないので、絶対的な距離感がいつも保たれていましたね。それが大変居心地がよかったです。監督の撮影方法も映画の趣旨と合致していて、演者としても演じやすかったです。」

役を掴むのに苦労しました?
「監督に出会う前だったら、どうしてこうなる風になるんだろう?と理由や答えを求めたと思います。台本を読んでわからないところもたくさんありましたし、不安もありました。でも監督と始めてお会いしたときに、「人は理由がなくても行動するんです。」とおっしゃったんです。その言葉ですべてがクリアになりました。答えを求めてもわからないことがこの世にはたくさんあるし、自分自身の行動すべて説明できるかと言われてもできないことがある。この作品のみならず、私の人生においても大きな言葉になりました。監督との出会いに感謝しています。ですから、キャラクターのすべてを無理に全部理解しようとはしませんでした。黒沢監督の目を見て、指示にしたがっていれば、きちんとした流れができると信じていました。」

礼子をどういった人物像だと思いましたか?
春名礼子は若くして芥川賞を受賞し、ものを書くことを生業としています。おそらく最初の頃はビギナーズラックで筆も進み感覚で出来ていたところがあるんだと思います。けれども出版社の思惑もあり、締切り内に書き上げて、人に読まれるエンターティメント作品をどんどん書くように強制されます。でもテクニックもないから書けず、スランプに陥ります。礼子は書くことを通して、すべてを客観的に見ることができる人です。自分の前に立ちはだかる事物に対して、客観性と主観を持ち合わせています。当事者でありながら客観的な自分もいるという心理状況を礼子は楽しんでいたはずです。でもいつしか吉岡という人と出会い、観察しているはずが巻き込まれていく当事者になっていきます。」

礼子のように愛する人のためにすべてを捨てる、という姿は共感できますか?
「ごめんなさい、できません(笑)。人生において両方手にいれることはできないし、取捨選択の連続だと思いますが、愛のためにすべてを捨てることはできないですね。もしそれが自分が産んだ子供だったりしたら可能かもしれませんが、パートナーのためにはできないです。けれども、礼子のように簡単にプライドを捨てることができれば、もっと楽に、もっと素敵に生きられるかもしれない、とも思います。礼子が、背後にいるミイラに向かって「あなたが千年間捨てられなかったものを私は捨てる」というセリフは素敵ですよね。プライドを捨てられることは大事な要素なのかもしれないですね。」

役を演じる前と後で変化はありますか?
「今回の作品に限らず自分の感情ではない他人の感情を考察することで多くのことを学びます。役についてもすべてを理解したかと問われればそうではないですし、映画を観たお客さんがご存知のこともたくさんあります。こういったインタビューで教えていただくこともありますし、毎回毎回いろんな所で教えていただくことがあります。」

中谷さんがスランプに陥った時に脱出する方法は?
「流れに身を任せます(笑)。とりあえず自分が置かれた状況、空気感をキャッチして演技のバランスを考えます。その前のシーンがこうだからこうしようとか次のシーンはこうなるからここはこのへんにしておこうとか、一切計算せず、その場限りの演じ方をします。」

現場でのプレッシャーはどうやって乗り越えていますか?
「プレッシャーはよく思われたいという気持ちの裏返しだと思うんです。ですから、良い演技をしたい、感動を与えたいという気持ちを拭い去って、自分が下手でも相手が良ければ、監督の思い描いている世界がよければ、と一度自分の気持ちをリセットしています。」

永遠の美をたもてる方法があったらどうします?
「まったく興味がないといったら嘘になりますね。そもそも永遠という言葉は最も信じていない言葉なんです。すべてのことにおいて必ず終わりがありますよね。だからこそ人生が楽しめると思うんです。善も悪も上下も左右も、二つの力が同時に働いて成り立っていると思うので、たとえ不老不死の薬が目の前にあっても私は飲みません。」

映像のカリスマという言われている黒沢監督の現場でなにか印象的な出来事はありましたか?
「必要以上の説明がないことと、基本的にはローテクであることですね。ハイテクも要所要所で使っているんですが、映画的なトリックも大変手の込んだ計算され尽くしたローテクなトリックなんです。そこも黒沢監督ならではの撮り方で魅力的でした。」

共演したキャスト陣も豪華でしたね。
「黒沢監督とすでにお仕事をされている西島さんは、監督の求めているものをキャッチする力に長けていて、すでに監督が求める世界を理解されていました。無駄な抵抗もしないで、非常にスマートな立ち回り方をする方でした。幽霊役の安達祐美さんこそ、相手のリミットを瞬時に理解して、リミットにあわせて自分の力も発揮できる素晴らしい方でした。」

女優という仕事は今後も?
「単純に体力的な問題と、仕事のオファーが続く限りは仕事をしたいと思っています。礼子と同じようにできないのに無理して、商業的な理由で続けていくのはつらいですし、今後も自分の情熱を注ぐことができる作品に出会えれば女優と仕事は続けていこうと思います。」

中谷さんが映画から最も強く受けるメッセージは何ですか?
「私の狭いキャパシティでは監督の意図と合致するかはわからないのですが・・・(笑)、“愛の儚さ”だと思います。信じていたものが簡単に崩れ去るということ。手に入らないものはいかに虚しく儚いものなのかということだと思います。観客の皆さんには圧倒的に美しい映像と、見れば見れるほど「ずるいな」と思ってしまう黒沢監督の巧みな演出を楽しんでいただきたいと思います。」

執筆者

林 奏子

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