美しい少女イリスの細い足首に巻きつく美しい皮のベルト。それは愛する男が履かせてくれたこの世にたったひとつしかない靴。イリスは戸惑う。自分の気持ちは本当に“愛”なのかと—。

働いている工場で薬指の先を切り落としてしまったイリスは、新しい街で職を見つけるために旅立つ。新しい街ではイリスのことを待ち受けていたように、標本作成助手の求人がなされていた。元女子寮をラボとして使っている標本技術士と他の部屋に住んでいる老女たち。時々姿を見せる少年。イリスのまわりには不可思議なものが溢れ始めている。しかしイリスはこのつかみ所のないまるで住む世界が違うとでもいうかのような目つきでイリスを見つめる標本技術士に惹かれていく。たとえ、その“愛”が不確かなものであったとしても、イリスは靴を脱ぎ標本技術士のもとへ歩み寄っていく。王子様が自分を連れ出していくのを待っているシンデレラではでない、イリスは自分の足で愛する人の愛を確かめにいくことのできる現代のシンデレラなのだ。

イリスの美しさはもちろん、映像・美術・照明すべてに監督のこだわりがあり、この世にも不思議な物語に現実味という羽衣を着せることに成功している。この作品を形容するには“美しい”という言葉以外他にはないだろう。






原作を読んだ感想は?
「一読して惹きつけられました。文章を読んでいると、主人公に感情移入がたやすくできることに加えて、まるで旅に出ているかのような感覚になりました。本格的に映画にしようと思った時に、原作だけでは少し短いと思ったので、なにを付け加えることができるか考えながら読み直しました。この作品がビジュアル的にとてもよく描かれていて、イメージが鮮明に浮かぶところもすばらしいところだと思います。」

原作にはない空間の広がりが必要だと思われたのはなぜですか?
「小説の中には室内で起こる出来事が繰り返されています。これは小説の中では問題はないのですが映画化するとなると、観ている側にとっては繰り返しが多く少し辛いものがあるだろうと思ったので、空間を広げる必要性を感じました。主人公のイリスが外に出て行くことで、外と中の対比を表現することが可能になりました。そして、自分が居心地良く存在することができる中の世界を選ぶ彼女の姿がより印象的になったと思います。」

イリスが愛に戸惑っている様子は世の多くの女性が共感できるところだと思います。
「イリスが標本技術士に好意を持っていることは確かですが、靴磨きをしてくれるおじいさんに対して彼のことを「愛しているかわからない。」と告白しているように、イリスにとって、標本技術士は大きな声で、「彼が運命の人だわ!」と言うことができません。それは2人の関係があまりに謎に満ちているものだからです。恋愛を超えた関係に到達しているんですね。彼は言葉よりも、さりげない視線や行為でイリスに好意を示しますが、普通の女性だったら愛を感じ取ることは難しいと思います。しかし、イリスは標本技術士にそうされることを望んでいます。彼の愛の確証を掴みあぐねているイリスは、彼への愛を“愛”だと言い切ることができないでいます。」

船員コスタもとても魅力的なキャラクターですね。
「時間は別に有しながらも同居をしているイリスとコスタの関係は、とてもバランスの難しい関係です。コスタがイリスに恋をしているとしてもそれは想像で、偶然顔をみかけていいなとお互い思ったりしていますが、それは夢のような恋。イリスもまた夢のような恋をしているのです。でも、標本技術士はコスタよりもイリスのことをわかっているし、多くの時間をイリスと過ごしています。イリスが標本技術士に恋をするのもそう考えれば普通のことです。けれども、コスタの存在が標本技術士の存在を強固にしたとも言えるし、反対に彼の不思議さがコスタの現実味にイリスが惹かれる理由にもなったと思います。しかし、やっとコスタとイリスが会う約束をときに、待ち合わせ場所で他の女性とじゃれあっているコスタを見てイリスの気持ちは冷めてしまいます。残念なことにイリスにとってコスタは、標本技術士の対となる存在でしかありえなかったのです。」

自分にはない若さに嫉妬していたり、一風変わった男性に惹かれる女性たちの姿が今の現代の女性に通ずる点であると感じ、非常に興味深かったです。
「大変面白い視点で観ていただいてありがとう(笑)。標本技術士が時間を越えた存在であるという設定なので、イリスは彼に紹介される老女たちもまた、若い頃彼と愛し合ったことがあるのではないか、と疑問に思っている点は観ていただいておわかりいただけたと思います。そして、あるものを探し回るイリスに、ラボでの生活の忠告をしながらも自分のテリトリーに入ってくるイリスをやんわりと拒否する元電話交換手の姿はまさに若さへの“嫉妬”という言葉が適切だと思います。」

同じ世界でありながら、イリスと標本技術士を初めとした人々との間には不思議な境界線があるように感じられました。
「イリスが元ピアニストの部屋で写真を見つけるシーンは、私が脚色したシーンで原作にはありません。この時に、まったく姿形の変わらない標本技術士をイリスは発見するわけですが、こう言った不可思議な部分が小説では生きていて、映画で観ている側もまたふっとした時にイリスをうかがっている彼にひきつけられます。
またヤケドを負った少女に対し、イリスは自分が入ることのできない標本室に入ることが出来る少女に嫉妬もしています。自分が誰よりも彼のお気に入りになりたいから標本室に入っていくとももちろん考えられますが、純粋に好奇心もあったのだと思います。「入ってはいけない」と言われて入りたくなってしまうのが人の性分ですから。『青髭』でもそういった人の心理が描かれています。彼の事がよくわからないから好きだと感じるのかもしれないし、好きという気持ちは確信を持てるときばかりではありません。そういった人の奥深くの部分に触れることのできた作品だと思っています。」

執筆者

林 奏子

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