小栗康平監督の9年ぶり、5本目の監督作品『埋もれ木』は幸せな余韻を残す大人のファンタジーだ。小さな町に住む、まちという名の少女が語るおとぎ話。同じ町に住む、大人たちの現実に即した過去の物語。この2つの物語にらくだや馬、森や雨などさまざまなキーワードが重なり合い、やがてひとつの夢となるーー。「それぞれが悩みを抱え、それぞれにつまづくこともあり、つまり、人生というのはそれぞれに個別なはずだと思う。でも、思いが叶うとかね、そういう瞬間って個別を超えてひとつになるという気がするんです」、監督は言う。本作でデビューした夏蓮を主演に脇を固めるのは浅野忠信や田中裕子、大久保鷹、岸部一徳ら。真夏の一夜、たゆたうように映像に身を任せたい、そんな作品である。

※『埋もれ木』は7月29日、DVD発売!!





ーー『埋もれ木』の構想はいつ頃からあったものですか。
『眠る男』の後に、あるところから、「遠野物語」を撮りませんかって話があったんです。「遠野物語」といえば大人のための日本昔話です。結局、その企画自体は成立しなかったのですが、僕の中にはそれが残っていました。『埋もれ木』は「遠野物語」から直接影響を受けたわけではないんですが、その前提があって、高校生たちが物語をリレーして遊ぶというストーリーが生まれていったのです。

ーー小栗さんは「ストーリーを語ることが映画ではない」とおっしゃっていましたが、『埋もれ木』はまさにそれを受けている感じですが。
 物語るというのは筋を語ることではないと思うのです。起承転結のある、物語があるとすればその物語の語られ方というか、どこが拡大されてどんな風に表現されてというディティールこそが物語の全体だと思うんですね。ところが、ハリウッド映画なんかを見ていると物語るということの全体像が痩せてしまい、物語というより筋だけが残っているような気がするんです。物語ることより、筋を語るということが多くて、映像そのものの語る力がなくなってしまうということから抜けたい、という思いがありましたね。

ーー撮影は鈴鹿市のNTT跡地で行われたそうですね。
 まず、撮影するための敷地を探していました。20を越すセットが建てられるような大きな倉庫はないか、と。『埋もれ木』を撮影するには、少なくとも何千坪の敷地が必要になる。いくつか探しているうちに候補にあがってきたのが鈴鹿市のNTT跡地です。ここで、僕たちは撮影用に、千坪クラスの倉庫3つと、セミナーハウスと言う宿舎を借り、さらに空き地にオープンセットを建てました。このクラスの倉庫を撮影と立て込みを入れて4ヶ月、借りられるっていうのは、今の日本では、まずはないでしょう。普通、撮影所でステージを借りたら、いかに合理的に撮影を進めるか考えなきゃならない。ローテーションと言うのですが、例えば、まちの部屋を建てたら、立て込み3日で撮影4日、バラしに1日で、次に別のセットを立て込んで行かなければならない。今回の撮影は、そうではなくて、3つの倉庫に必要なセットを作って、必要な時に撮りにいくっていうスタイルでした。これは、役者にもスタッフにも僕にとってもわかりやすかったですね。

ーーまち役の夏蓮(かれん)さんは7000人のオーディションから選んだそうですが。
彼女はテレビなどでもてはやされる今風の可愛い子、と言うわけではありませんが、感受性が飛び抜けていました。

ーー彼女を始め、演技経験ゼロの新人を何人か起用しています。演出で留意したことは?
 誰もが、あまり経験を積んじゃうよりも最初の方がいいんですよ(笑)。まず、演じることが初めてという人は恥ずかしさを持っているし、恐れもある、不安もある。演技のテクニックのない人たちが最終的にどこに訴えるかというと、その人自身の持っている芯というか、内面の太いところだと思うんです。初めての芝居ではどんな人でもそれが出てくるもんなんですよ。
プロの俳優さんの場合、仕事でお芝居をやっているわけですから、相手役との関係、シナリオの中の役柄とかキャッチボールが狭くなってしまいます。逆に素人で考えると、そんな狭いところでキャッチボールしてないんですよ。家族関係だとか地域とか仕事とかいろんなほかの部分が入ってくる。特に田舎の人は、本人はもちろん、そんなことを考えているわけじゃないだろうけど、その土地の人が持っている風土とか伝統がどこかで出てくるんですね。そういう根太いものと向かい合ってしまうと、そっちの方が断然、強いですよね。

ーー逆にベテランの俳優さんとの方がやりづらい?
 そうそう。ベテランはベテランで技術も何もなく、だんだんと使用前・使用後みたいにはっきりと成長していく新人を見てひるむわけですよ(笑)。オレは何してるんだろうって。何か気づくわけです。そういう影響はいいことです。

ーー『死の棘』にノーメイクで挑んだ松坂慶子さんや『眠る男』で本当に寝ているだけの男を演じたアン・ソンギさんはじめ、小栗監督の俳優の使い方はかなり大胆ですし、独特ですね。狙いはやはり、内面の根太いところを出したくて?
 そうですね。その人が一番強く持っているもの、内面に抱えている葛藤だったり、普段は隠している部分を出して欲しい。やっぱり己に戻ることでしかできないこともありますから。そうすると、演技はやっぱり変わりますよね。
 
ーー今回、浅野忠信さんの気のいい兄ちゃん役も印象に残りました。
彼とは映画祭で何回か会ったことがあるんですよ。ただ、話してみるとシャイでね。映画の中の浅野くんって突っ張ってる感じが多いんですけど、そんな印象、全然ないんですね(笑)。こっちの方がむしろ彼の良さじゃないかと思ってね。彼には、どうして、もっと柔らかい役をゆったりやらないんですかって、言いました。

ーー浅野さんはなんと?
それはもう、彼らしくシャイに「はい」って(笑)。ああいう風貌だからね、アーティスティックな使われ方をして、ボソボソしゃべってセリフが聞こえないくらいでいいんだみたいな作品があったりしましすけどね。でも、僕の現場ではそれは大きな間違いであって、役者はきちんとセリフを言わなければいけない。

ーーカーニバルのシーンが余韻を残しますよね。
 馬が最後にいろんな人の思いを乗せて空に舞い上がるというのは、灯篭流しとか、魂を送るとか、一種の野辺の送りと言うことでしょうか。劇中の高校生にしろ、おばあちゃんにしろ、マーケットの人たちにしろ、それぞれ人生につまづき、それぞれ悩みを持ち、多分、人生というのはそうやって、それぞれに個別なはずだとは思う。でも、思いが叶うとかね、そういう時って個別を超えてひとつになるという気がしているんですよね。

ーー小栗監督がデビューして25年、撮った映画は5本。寡作の巨匠というイメージが定着していますが。
 企画の中に「面白いかな、これは」っていうのがあって、「ここはこうしましょうよ」って話を詰めていくうちにね、だいたいそこでつぶれちゃうんだよね(笑)。

ーー撮ってない時もやはり常に監督の意識が?
ほかにないからね(笑)。撮ってないけど監督ですっていうような。ただ、もう60ですからね。次作は早め早めに撮りたいなとは思っていますよ。映画撮ってるときに思うのはまだ半分手付かずのところを登っているような気にもなる。それが今後どうなるのか。楽しみにしていてください。

執筆者

寺島万里子

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