興行収入50億円、400万人の観客が涙した『男たちの大和 YAMATO』が早くもDVD化となる。戦後60年記念作品として描かれた同作は不沈のはずだった戦艦大和の悲劇と、その大和で愛する者たちのために文字通り命を賭けて戦った少年たちの姿を映す。『空海』や『敦煌』などで知られるベテラン監督の佐藤純彌氏は本作で初のブルーリボン監督賞に輝いた。「僕が子供の頃、戦艦大和は神話的な存在だったんです。それがあるから日本は絶対に負けないのだと言われていた。けれど、そんな価値観が8月15日の終戦ですべてひっくり返ってしまった」。自身の中で整理することができなかった太平洋戦争を今回の撮影でやっと受け止められるようになったとも。佐藤監督に製作の思いを語ってもらった。

※『男たちの大和 YAMATO』8月4日、DVDレンタル&セルリリース開始!!




ーー劇場公開での大ヒットおめでとうございます!
 大和の知名度の高さにまず驚きましたね。戦艦大和をこんなに知っている人がいるのかと。映画の流行ってあると思うんですけど、最近だったら韓流だったり、男女のラブストーリーだったり、泣ける人間ドラマだったりですね。そういう主流の中でこれだけの観客に受け入れられたということは、戦争映画ではなく人間ドラマとして見てくださった方が多いのではないかと思いました。

ーー監督自身、戦艦大和には思い入れが強かったそうですが。
 僕が中一の時、終戦を迎えました。同じ世代の人たちはよくご存知だと思いますが、その当時の子どもにとって戦艦大和は神話的な存在だったんです。重さ7万トン、文字通り、世界最大の戦艦。それがあるから日本は絶対に負けないのだと言われてきて。けれど、そんな価値観が8月15日の終戦ですべてひっくり返ってしまったんですね。 
当時の日本はいわゆる巨砲主義の時代で大きな戦艦があれば戦争には勝てると信じていたんです。そうした中で大和が作られたわけですけど、それが完成するころには「軍艦では飛行機には勝てない」ということがわかってしまった。もちろん、僕ら一般市民はそんなこと知りませんけど軍の幹部の人たちがね。飛行機には勝てないとわかった途端、大和そのものが無用の長物となってしまう。これは悲劇ですよね。それが描きたかったもののひとつです。

ーーその大和を実際に作ってしまった。
普通の日本映画ならね、ドラマで使う一部のみを作って全体像はミニチュアで撮る、そういうやり方をするでしょうね。だけど、スタッフの中から「大和を描く映画なんだから、絶対に作るべきだ」と声があがって。そこで、まず、戦艦を作る場所探しから始めました。鉄骨だけで600トンもありますから地盤がしっかりしたところでないと無理。たまたま尾道の造船所が空いていてそこで作業したんですよ。ただ、スペースの関係で本物より少し短くなっちゃったんですね。映画で使ったのは190メートルの大和。お尻の方、30メートルがないんですね。

ーー現代っ子の脚の長さに合わせ、建物の高さも変えたとか。
 そうです(笑)。ラッシュを見たら役者の脚がみんな、長いんですね。当時の日本男性の身長は165センチ。となると、そのまま映すとあの当時の日本人らしくなくなってしまう。ですから、実際のキャストの身長に合わせて建物を作っていきました。どちらにしても、大和を作ったことはキャストにとっても助かったみたいですね。若い俳優たちは大和を知りませんから、現物があることでイメージもつかみやすくなったはずです。

ーーなるほど。身長はともあれ少年兵たちの顔がいいですね。当時の日本人っぽくて。
 そうですか?実は800人くらいの応募があり、30回くらいオーディションを重ね、絞り込んでいったんですよ。この物語の中心は少年兵ですから、時間をかけてきちんと選びたいという思いがありました。
 
ーーこれだけの規模の作品となると、苦労話はつきないと思うのですが。
 何が苦労したかって爆薬を仕込むのは本当に大変でしたね。あと天候の問題はいつもつきまといますよね。4月6日、現実に大和が出航したその日、曇りだったんですよ。だけど、その撮影シーンは晴れてしまってね。曇りの撮影をするために大和に30メートルくらいの白い布をかけて太陽光線を遮ったこともありました。逆に梅雨入りの撮影で心配だったのが仲代達也さんと鈴木京香さんが大和の沈んだ海域まで行こうとするシーン。島が見えないところまで行って撮影したんですけど、この時は雨がほとんど降らずほっとしました。今回、デジタルの撮影で五重、六重と合成処理をしているんですけど、どんなにCGの力が発達しても波だけはね、本物じゃないとダメですね。どうしても嘘っぽくなってしまうんですよ。
 
ーーラストの戦闘シーンは戦闘といえど鎮魂歌のような哀しみが。
 あのシーンは別の班が撮りにいったものなんですけど5時間くらいカメラを回して実際に使ったのは20分足らず。僕はここで大和の悲劇を描きたかったんですね。本当はアメリカ軍も描きたくはなかった。大和とともに死んでいった、あの場所まで行かざるを得なかった人々を描きたかったんです。あの時代、国のために死ぬというのが唯一の美学だったんですね。

ーー本作で初のブルーリボン監督賞も受賞。監督にとって『男たちの大和 YAMATO』とは?
 82年、『未完の大局』という映画を日中合作で撮った時に自分なりに日中戦争とは何だったのか、整理することができました。では、太平洋戦争とは何だったのか、軍国少年としての価値観が180度覆されてしまったあの戦争とは何だったのか、整理することが自分の中で課題として残っていました。それを自分なりに受け止め、区切りをつけることができた。長年の思いをつぎ込んだ作品です。

執筆者

寺島万里子

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