祖母・母・娘、三代にわたる女性それぞれの生き方を描いた『ジャスミンの花開く』は、中国を代表する女優チャン・ツィイーが全ての女性を演じ、また、その母・祖母をアメリカでも女優として、また監督として活躍するジョアン・チェンが演じた注目作だ。’30年代の上海で、写真館のひとり娘として生まれ、映画スターとしての道を歩き始めたかに見えた祖母“茉”。’50年代に労働者階級の青年と恋愛結婚したものの生活レベルの違いと不妊に苦しみ、やがて精神を病んでいった母“莉”。そして、祖母“茉”に育てられた娘“花”は’80年代の娘盛りに秘密裏に地方の大学に進んだ青年と結婚し、裏切りを経験する。これが監督デビューとなるホウ・ヨンは、チャン・イーモウやティエン・チュアンチュアンらの撮影監督としてキャリアを積んできた人。繊細な色遣いで3つの時代の3人の女性を描き分けている。時代ではなく、女性の生き方を描いたつもりだと語るホウ監督。本作の日本公開に際し、来日したホウ監督にお話をうかがった。

シネスイッチ銀座、シネ・リーブル池袋にて上映中



——まず、この三つの時代を選んだ理由を教えて下さい。
「この映画の原作小説自体は、’30年代’50年代’80年代を舞台にしています。ですが、もうちょっと現代にひきつけたかったので、最後を’90年代にしました。
 原作の設定はすごくうまいですね。これらの時代は、中国の近代史のなかで時代が大きく変換する時代です。まず、’30年代は、いちばん華やかで娯楽産業が発達した時代。’30年代から’40年代にかけては、日本との戦争が始まり、英仏が撤退して、あっという間に上海が混乱期に陥るという、発展から混乱に一気に変わっていく動乱の時代です。’50年代は、完全に革命の気運が盛り上がり、左翼運動が全国的に見られたという時代です。’80年代から’90年代は、改革解放が始まった時代で、この時代がなければ、今日のような発展した中国はありえませんでしたよ」

——各時代に象徴的な色彩を設定されていますね。
「’30年代を緑にしたのは、ひじょうに濃厚な情感がある話だからです。ふつう私たちは、ニュースフィルムの影響であの時代にモノクロのイメージを抱きがちですが、モノクロで撮ってしまうとドキュメンタリーか、あるいはリアルになってしまいます。象徴的な意味合いを込め、夢のような時代のなかで表現したかったので、寒色でもない暖色でもない、あまりリアルでない色である緑を基調にしました。
’50年代を赤にしたのは、熱く燃え滾る時代ということです。中国の大躍進とか人民公社とか文化大革命とか、火のように燃えた時代です。このパートの後半なっていくと赤い色も寒色っぽくなっていきます。ストーリーが悲惨な方向にむかうにつれ、寒色になっていって、やがて、第三部の色に変わっていきます。
 第三部の色は青です。青は、いろいろ含みがあり、様々な解釈ができると思います。ひとつには、’70〜’80年代の初めにかけて人々が着ていた服は、ほとんど灰色か青で、それで私の記憶の中ではあの時代は青。青には希望を感じる人もいます。ラストでは希望を感じると思います。それから、もうひとつ、青は憂いといったものを表せますので、そういう情緒を表現するのにもいいと考えました」

——主演にチャン・ツィイーを起用したいちばんの理由は何ですか?
「2002年に出資者から、監督してみないか、何かいい題材はないか、という話をもらって92年ごろ読んだこの原作を思い起こし、この題材を撮るなら彼女しかいないと思いました。ツィイーとは、彼女のデビュー作『初恋の来た道』で一緒に仕事をしていましたし、他の候補はまったく考えられませんでした。彼女もデビュー以来『グリーンデスティニー』『MUSA』『2046』などで女優としてすごく成長していましたし、彼女にとって、ひとりでいろいろな役を演じるのもいいチャレンジになると思ったのです。彼女も話を聞いて、とてもやりがいのある作品だから脚本を見せてほしい、脚本がよければ絶対やります、と引き受けてくれました」

——チャン・ツィイーが演じた“茉”をジョアン・チェンが引き継いで演じているという点もとても興味深いことです。このことについて、女優ふたりの間での何か演技面での話し合いですとか、監督からの指導はあったのでしょうか?
「この映画は、かつてその役を演じた人が同じ場面にいて別の役を演じています。そこがとても特殊ですね。チャン・ツィイーとジョアン・チェンは、ふたりでひとりの人間を創りあげていかなければなりませんでした。
 撮影順では、第二部を最初に撮ったので、じつは最初に“茉”を演じたのはジョアン・チェンなんです。第二部の次に第一部を撮っているので、チャン・ツィイーがジョアン・チェンから引き継いで若い“茉”を演じているのです。ジョアン・チェンが演じた“茉”がチャン・ツィイーにはひじょうに参考になったと思います。
 もちろん私も二人と一緒に、それぞれの人物をどうとらえるかという話はずっとしていました。特に第二部の“茉”は、変化が大きく、最初は何にも無関心で’30年代の記憶の中に生きているような女性です。でも、“茉”は、第一部で人生の大きな転機を迎えていますから、まったく違う人になっている可能性も十分あるわけです。ひとりの人物だという共同認識はちゃんありましたが、それを直線的にひとりの人物に繋げないで、この大前提を認識しておいてくれと言うだけで、具体的な注文は出さず、あとは優秀な女優である彼女たちに任せました。
 ツィイーが3人の人物を演じることについても、彼女と随分と話し合いました。各人物の状態・雰囲気をどう体現するか明確にし、彼女自身きちんと身体で演じ分けてくれたと思います」



——相手役のルー・イーとリィウ・イェの起用はいかがでしたか?
「ルー・イーもリィウ・イェも今までこういう役は未経験だったので、いいかなと思ったんです。特にルー・イーは、今までアイドルみたいな、悩みも何もなく女の子と恋愛するような役ばかりで、こういう生活に押しつぶされる男というような役はやったことがなかったので、ぜひ彼にやってもらいたいと思いました。彼自身は、上海の普通の庶民の家に生まれていて、実際、馬桶(おまる)の中身を捨てに行くのが毎日の自分の仕事だったというし、ああいった生活をよく知っていて、『僕はお坊ちゃまの役が多かったけど、それは僕に対する誤解だ』と言ったほどです。
 リィウ・イェも、悪役をやったことがなかったので、いいのではないかというのがひとつ。彼はチャン・ツィイーと大学の同級生ですから、絡みは何の問題もないと思いましたし、彼の起用を決めました。彼自身、どんな役でもこなせる役者ですからね」

——原作に描かれていなかった点、監督ご自身が付け加えられた点は?
「第一部はほとんと原作のままです。変えたのは第二部と第三部。第二部は、原作小説では夫のジェは、実に悪い男で養女にいたずらをして、それが原因で莉が気が狂ってしまうという悲惨な話なんです。じつは、この小説は、すべて男が悪いがゆえに女が悲惨な運命をたどるというテーマなのです。私は、女性の運命は女性自身によって決まる、女性の自意識・自立・自覚といったものが、その女性の運命を決めるのだということを描きたかったのです。ですから、3人の男性は強調しないようにしました。そのために、ジェをできるだけいい夫・いい父親として描いたのです。
 第三部も、大きく変わっています。これも原作では、花が夫に愛人がいると知ってヒステリックになり、夜、夫を殺そうと包丁を振り上げた瞬間に陣痛が起こって子供が生まれてしまう話なのですが、これだと今度は女性のイメージがよくない。少なくとも、私はこんなふうには女性を描きたくなかったので変えました。茉と莉は自分のせいで悲惨な運命をたどってしまったけど、三代目の花はもう一歩高みに登って良い終わり方をしてほしい。私は、希望をこめて、理想的な女性の人生の終り方をエンディングに持っていきたかったのです。それで、今のようなラストにしました」

——劇中の3人の女性たちと現代女性の相違についてはどう考えますか?
「そんなに違わないでしょう。この映画は、時代設定はありますけど、あまりその時代を強調していないと思います。その時代に起こった事件は、直接的に彼女たちの運命やストーリーに影響を及ぼしているわけではありません。あくまでも、彼女たち自身が原因でこういった運命をたどったと描いたつもりです。
 いつの時代・どういう社会であっても、観客も彼女たちは同じような問題を抱え、同じような人生観の持って生きていると認識してほしかったのです。おそらく日本の女性も彼女たちと同様な問題を抱えているのではないでしょうか。男性社会のなかで、女性はもっともっと目覚めるべきだと思います。男性に頼り切って結婚したら家庭に入って子育てするだけで人生を終らせるようでは、いけないと私は思っていますので、そういう女性像をこの映画で見せているつもりなのです。
 ちょっと補足すると、結婚して家庭に入ることの良し悪しを言っているのではなくて、自分を認識して、自我を持って他人に寄りかからずに生きる、そういう生き方をしてほしいということです」

執筆者

稲見 公仁子

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