「イズ・エー」主演:津田寛治インタビュー 少年犯罪を描いた本作で被害者の父を熱演!!
「決して後味のよい作品ではないかもしれません。けれど、少年法を覆すような衝撃のラストから様々なことを感じてもらえればと思います」。名バイプレイヤーとして知られる津田寛治が「イズ・エー」(藤原健一監督作品)で初の主演を果たした。役どころは少年の無差別爆破殺人で最愛の息子を失った刑事。癒されることのない悲しみと憎しみの狭間で彼は犯人の少年(小栗旬)、その父親(内藤剛志)と対峙する。やがて、事件は新たな局面を迎えるのだが…。被害者の父と加害者の父、本作は少年犯罪を描く作品であると同時に二通りの父と息子とを描いた人間ドラマだとも言える。ハードな内容に反し、現場は意見交換の活発な和気あいあいとした雰囲気だったとか。公開に先駆け、撮影秘話を伺った。
※『イズ・エー』は10月9日(土)より渋谷ユーロスペースにてロードショー公開!!
——藤原監督は津田さんを「何色にも染まっていない無色透明な俳優」と評し、かなり早い段階から刑事役のオファーをしたそうですね。津田さんの意見も脚本に反映されているとか。
僕の近所までわざわざ来てくれることもありましたね。藤原監督は何十回と脚本を推敲し、そのたびに見せてくれたんですけど、最初はほんとに剃刀みたいに尖っていて救いようのない話だったんです。見せられる度に「ここ、こういう風にしたらどうですか」って言ったら次回にはちゃんと反映されてる。最終的に細かなストーリーはだいぶ変わったと思いますよ。ラストも別のバージョンがありましたし。
——現場でもディスカッションが盛んに行われたとか。
監督と役者だけじゃないんですよ。照明さんや美術さんが「ここの台詞をもうちょっと足そうよ」って言うくらい(笑)。皆で作っていく、そんな感じでした。
——監督の人柄でもある?
そうですね。藤原監督は意見をするというより、思いを見せるっていうタイプなんですよ。オーラはあるんだけど背中から出てきているような…。同じオーラでも前からバッーと出されたらちょっと鬱陶しいじゃないですか(笑)。そういうんじゃなくて、もっと控えめなんだけどちゃんと思いが伝わるような…。
——三村という刑事について。
一方通行で走っている男という気がしますね。劇中では動いている時計が度々クローズアップされるんですけど、あれは時限爆弾を象徴しているのと同時、三村の中での時計でもあるんですね。爆破事件の直後にはまず壊れた時計が映るんですよ。その瞬間に三村の中の体内時計も壊れてしまう。
でも、事件からしばらくすると時計はまた動き出すし、彼の周囲も動き出す。三村の時計も直そうと思えば直せたはずなんだけど彼はそれをわざと壊したままにしている。時の経過とともに癒されることは彼にはないんだと思いましたよ。犯人の少年に復讐しなければ進めない、いや、わざと進まない、そんな風に思いました。
——爆破事件後の四年間は劇中で描かれていませんが、その間、三村は何をしていたのか?津田さんはどう解釈しますか?
4年後も刑事でいるくらいですから、酒に溺れたりはしつつも、ひどい荒くれではなかったのかと。彼の部屋って意外と綺麗ですよね。ああいうシチュエーションだと際限なく汚い部屋にしがちじゃないですか。でも、本当はどん底に落ちた男はそんなわかりやすい荒れ方じゃない、もっと無機質で乾いた絶望を抱えるものかもしれないと思いますね。
——作品を初めて見た時の感想を。
撮影の鍋島さんのすごさを思い知らされましたね。監督や俳優と違い、カメラマンって現場で自分をあまり見せないじゃないですか。作品に対する思いやカラーが見える瞬間って初号だったりするんですね。特に今回、鍋島さんはとにかく淡々と役者の思いを優先してくれて、見守るようにやってらしたんですけど「ああ、こんなに熱い思いでやってらしたんだ」ってわかるところがたくさんあって、この作品に賭けてくれてたんだなと思いました。
——爆破少年の父親役に内藤剛史さん。津田さん演じる刑事とも対峙する役ですね。内藤さんの印象は?
バラエティの司会をやっていたような方だからサラッとした方なのかな、あんまり一人で先走っちゃってもまずいかなと思ってたんですけど、実際お会いしたらものすごい熱い方でした(笑)。自分の現場が終わった後もミーティングに参加される方でした。
文字通り、最後の撮りは僕と小栗くんの対峙の場面だったんですけど三村は銃を持ちながらもなかなか撃とうとしなかったんです。でも、それを見ていた内藤さんがーー水中シーンを撮り終えたばかりだったんですけどーータオルで頭を拭きながら、「こんなの、途中で撃っちゃうよな」って(笑)。で、結局、ああいう場面になったんですけど小栗くんも「えっ!僕、途中で撃たれちゃうんですか!」ってびっくりしてましたね。
——ラストシーンは賛否両論を呼びそうですが。
そうですね。決して後味のいいラストとは言えないかもしれません。あのラストも脚本では何パターンも登場しましたし。
この映画、ある意味でラストが2つあるんですよ。父と息子の対峙、刑事と息子の対峙と。この2つがぶつからずにいい流れになってくれればいいなぁと思いましたね。内藤さんと小栗くんの撮りが先だったんですけど、遠目で見ても感動しましたね。あの芝居を見ていた時にこれはいいシーンになると思ったし、「ああ、ここでひとつ終わったな」と、映画としての区切りがついたというか。父親が息子を海中に沈めようとする姿は一種の洗礼のようにも思えるんです。父親の水で清められた息子、そうとも取れるかと。その後にショッキングなシーンがさらに続くってところが、問題作と呼ばれる所以のような気がしますね。
執筆者
寺島万里子