恋するような魂のほとばしり、
火花のような情熱なしには、
何も作れない…

 ロシアを代表するアニメーション作家・ユーリー・ノルシュテイン。『霧につつまれたハリネズミ』『話の話』などの詩情あふれる作品は世界中で愛されている。今回、彼の作品が日本で初めてロードショー公開されるにあたり、来日したご本人にインタビュー。軽妙なジョークを織りまぜながら、彼はモノ作りの真髄を語ってくれた。

★2004年7月18日よりラピュタ阿佐ヶ谷にてロードショー


$ −−創作意欲がわいてくるのはどんな時ですか? $
「全然生まれてきません(笑)。“映画作るぞ〜”なんて意気揚揚とすることは、ないんです。制作に入る時は、いつも罰を受けて重労働にかり出されるような気持ち。芭蕉の連句アニメーション『冬の日』を撮った際も、スタジオに入る時“鉱山の中に入って、これから必要な限りの石炭を掘らなきゃならないなあ”というような想いを抱きました」
$ −−アニメーションを作るのは、決して楽しい作業ではないと? $
「ええ。幸せな感じも愉快な感じも、何もありません。もう大変なことなんです(笑)。しかし仕事を続けていって、ある時作品の中に入り込んで“自分の世界ができるぞ”という感じを抱いた時に、“最後まで仕上げたい”という想いがわきあがってくるんです」
$ −−“自分の世界”とはどんな世界だと思いますか? $
「あまり分析したことはありません。自分の作品を詳しく研究したりとか、分析したりという欲望は全くないんです。どういうことかというと…道を歩いていて、非常に美しい女性と出会ったとしますね。その女性の面影は、彼女が通り過ぎて遠くにいってしまっても、胸の中に残っている。その“一瞬”というものが大事だから。
 “作る”ということは、そういう情熱のほとばしりのような、恋をした時のような、そういうものなんです。
 この魂のほとばしり、火花のような情熱なしには何も作れない。たとえば“この水色は素晴らしい。この水色で何か作りたい”。そういう一瞬の情熱ですよね」
$ −−情熱のほとばしりですか…。ところであなたの作品には、狼の子やハリネズミなど、いろんな動物が出てきますよね。あなたにとって動物とは、どんな存在ですか? $
「私にとって動物とは、人間みたいなもので…。もしかしたら人間よりもbetterかもしれない(笑)。動物たちとは、心から話し合うことができるんです。理解してくれるんです。
 私は小さい時は、アパートに住んでいて、動物を飼うのが許されなかったんです。でもお隣の家に犬がいて、私がいつも散歩を担当し、とてもその犬を愛していました。大人になってからは、私の家族の中には動物がいつもいます。最初はネコだったんですけれど、次は犬も一緒に飼いました。家の中で、何かほかの生き物が呼吸しているということは、本当に“孤独”を消してくれますね」
$ −−『話の話』に出てくる狼の子とか、『霧の中のハリネズミ』のハリネズミとか、そういう動物たちには実際に出会ったことがあるんですか? $
「出会ってますよ。私たちの家に、いつも狼の子はいます。一度も見たことないけれど、いるって、私は信じています。ハリネズミ君は、時々私たちのセカンドハウスの周辺に現れて言うんですよ。“『霧の中のハリネズミ』君はちょっと違うねえ”(笑)」



$ −−それでは、作品を作る時に大切にしていることは何ですか? $
「いい質問ですが…答えるのは難しいですね。そういう質問を自分に発したことはないものですから。
 ずっと仕事をしてますよね。そうすると何かしら“変化”が出てきます。その“変化”を時機を得て知ること。その変化を、時機よりもあとに自覚してもダメなんです。時機をのがすと“お前さん、ずっと先に進んじゃったけれど、ここの所だったんだよ”って…。もう遅すぎる時があるんです。だから、仕事を続けていく中で、そういう大事な瞬間を逃さないことが重要なんですよ。
 映画は、ひとつの流れ、抑揚、イントネーションを作り上げていくものですよね。この流れが自然であることが大事なんです。自然なものに作り上げていくには、その瞬間瞬間をとらえなきゃいけない。具体的に何が変わる瞬間かっていうのは、言いにくいなあ…。でも、そういうことなんです。自然なイントネーションを作り上げていくための、重要な瞬間をとらえると…」
$ −−ということは、いつも心を透明にして、研ぎ澄ませておかなければならない? $
「透明であろうとどうでもいい。大事なのは、そういうのをすべて忘れること。直感というか…本能的につかまなくちゃいけないから、そういうこともすべて忘れて取り組んでいるんです。
 映画を作るということは、充分に野蛮なことなんですよ」
$ −−野蛮なんですか? 高尚なことのようにも思えますが。 $
「いいえ、野蛮なことです。とても重くて、とても荒々しい瞬間を通過しなきゃならないんですね。こういう仕事をしている時には、一緒に仕事をする仲間たちとの人間関係が悪くなったりもします。監督として、スタッフにとって不快なことも言わなきゃらならないんですよね。その人たちが自己満足型だったり、自己陶酔型だったりすると、彼らの不快感は倍増しちゃうわけなんです。
 自分の意志を曲げないで最後まで作り上げるということは、他者との関係を悪くし、他者にプレッシャーをかけることにもなるんですよね。監督の仕事ってそうなんです。病気のようなものですよね。
 たとえば、透明な魂とかっていうのは、イコン(聖像)を描く時などには必要かな。その人たちは、そういう魂で描かなきゃならない。そしてイコンを描くということは、ひとりの作業ですよね。だけど映画作りというのは大勢の作業だから…」




$ −−新作の、芭蕉の連句アニメーション『冬の日』について伺いたいんですが…。日本文化に興味はおありですか? $
「あります。だから作ったんですよ(笑)。芭蕉の俳句は、感覚のリズムが感じられる。そして俳句は詩のひとつなのに、とても散文的なんですよ。日常的な題材を扱っていてリアリティがある。
 芭蕉じゃないけれど、一茶のもので、こういう俳句があるんです。“農民に道を聞くと、大根で道を示して教えてくれた”って。この農民は仕事に精を出しているから、道を聞く人にしゃべる暇もないんです。けれども、道を教えてあげたいから、とっさに持っている大根で示したという…。その様子がイキイキと目に浮かんでくるんです。芭蕉の“少年が馬の上にすわって、荷物が積まれるのを待っている”という俳句もそうです。そういう日常性を詩にしているところが、私は大好きなんです。
 黒沢明監督の『デルス・ウザーラ』っていう映画があるんですけれど。ソ連との合作です。その最後のシーンで、デルス・ウザーラのお墓に、アルセイニエフがやって来て、枝をお墓にさすんです。このさされた枝が雪まじりの風に震えるのがいい…。俳句と何か共通するものを感じました。
 ある時、川本喜八郎さんが、去来のお墓に連れていってくれたんですね。そのお墓を見て思ったんです。もし、川本さんがお墓を教えずに“この中から去来のお墓を探しなさい”と言ったら、私はきっと捜し出しただろうと。というのは、周辺はすごく立派なお墓が並んでいるのに、去来のお墓はただ小さい石があっただけ。去来は詩人でしたから、飾りは何もいらないんですね。去来のお墓は、彼の俳句の続きなんです」
$ −−最後に、あなたの作品のロードショーが日本で行われることについてのメッセージを! $
「最初聞いた時“なんでロードショーなんだろう。30年前に作られたものもあるのに”と思ったんですが…。私の作品が、ロードショーとしては一度も上映されていないことを知りました。それで、今回、ロードショーが行われることを非常にうれしく思っています。たくさんの方に見てほしいですね」

取材・文/かきあげこ

執筆者

かきあげこ

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作品紹介『霧の中のハリネズミ』