人間はしみを、痕跡を、しるしを残す。
それがここに存在している、唯一の証しなのだ。 
—フィリップ・ロス

人はどこまで、裸になれるのだろう-。

コールマン・シルク、元大学教授。
「雪のように白く」生まれついた、黒人。
より可能性に満ちた人生を手に入れるため、自分の人種を偽った男。
しかし、楽しげに遊ぶ白鳥の群れに混じり、「白いカラス」が水面下に水を掻く努力は想像を絶する苦行であったろう。
自由になるため、別の過大な不自由を受け入れたのだ。
フォーニア・ファーリー、大学の掃除婦。
養父の虐待、夫の暴力、そして自己の過失による子供の死。
「女の体に閉じ込められている男がいるし、男の体に閉じ込められている女もいる。
だったら、私はこの体に閉じ込められているカラスだとしてもおかしくない—」
自分を取り巻く世界との違和感に悩み、徹底して孤高であることを選んだもうひとりの「白いカラス」。
人が人を裁くことが日常と化した現代においては、我々は、誰もが群れに同化できず苦しんでいる、孤独な白い、あるいは黄色や緑のカラスである。
我々が、たとえ多大な痛みを伴うとしても、守りたいものとは何だろう。
それほどまでに頑なに、守る必要などあるものだろうか。
それほどまでに執拗に、隠しこだわるべきものなのか。
いったい人というのは、どこまで裸になれるのだろう−。
ピュリッツアー賞作家の比類なき傑作と、『クレイマー、クレイマー』の名匠ロバート・ベントンの幸福な出会い。
最高のキャストとスタッフが緊密に織り上げた、珠玉のヒューマン・ドラマ。
監督のロバート・ベントン氏が来日!インタビューを行った。

※「白いカラス」は6月19日、みゆき座ほかで全国東宝洋画系ロードショー!!








——映画化困難と言われているフィリップ・ロス原作に興味を抱いたのはなぜ?
 処女作「さようならコロンバス」に始まり、ロスの小説は全て読んでいる。20世紀から21世紀にかけて、アメリカが生んだ最も偉大な作家だと思っている。ただ、ロスの小説はだいたいがこれといった出来事ではなく、内面をえぐっていくようなもの。一方、映画の場合はアクションがあって、外交的であってと逆の側面が必要とされやすい。
 けれど、「ヒューマン・ステイン」には殺人があったり、2つのラブストーリーが交錯しあったりする。私自身、コールマン・シルクというキャラクターにすごく惹かれた。原作にはコールマン・シルクと隠遁生活を送る作家とのダンスシーンが描かれているんだけど、2人の男がダンスするっていうのはすごく映画的じゃないか。

 ——アンソニー・ホプキンスの起用の理由は?
 今回に限らず、私は脚本を書いている時、または読んでいる時、常に俳優の顔が浮かぶ。『ノーバディーズ・フール』の時のポール・ニューマンもそうだったしね。今回はまず、アンソニー・ホプキンスの顔が浮かんだのさ。
 なぜ、ホプキンスなのか?「所作は演技ではカバーできない」、これはダスティン・ホフマンの言葉なんだけど、演技ではない、この資質の部分がホプキンスにはあった。たとえば、古典教授という設定はアンソニー・ホプキンスなら納得がいくし、若いころ、ボクサーをしていた、というのも彼ならば観客を納得させられる。こういう資質の部分をホプキンスは満たしていた。
 それと不思議なことにこの俳優は長いキャリアの中でロマンスを演じたことがなかった。彼にとってもロマンティックな関係でキスをする、初めてのチャンスだったわけだ(笑)。

 ——なるほど(笑)。ニコール・キッドマンは?
 あの年齢であれだけの幅を持っている女優は他にはいないね。『誘う女』や『ムーラン・ルージュ』、『バースディ・ガール』に『めぐり逢う時間たち』に『ドッグヴィル』に…。出演作を並べただけでもいかに彼女の巾が広いか、わかるだろう?そういうことを成し遂げている女優というのは監督にとって、これ以上望めないような逸材なんだよ。実際、現場でのニコールはどんなことにでも挑戦してくれたね。

 ——年の離れた2人を恋人同士に見せる工夫はしました?
 この2人のラブストーリーに惹かれたのは通常とは逆の進み方をするからだ。フォーニアは逢ったばかりのコールマンをいきなりベッドに誘う。彼女にとって、性は親密にならないための手段なんだ。

  ——撮影監督のジャン・イヴ・エスコフィエは本作が遺作になりました。彼とのエピソードはありますか。
 過去にネストール・アルメンドロスという、トリュフォーとも仕事をしてきたキャメラマンと組み、何本を映画を作った。私も俳優は大好きだけど彼は私以上にその思いが強い人だった。彼が亡くなったときはものすごく落ち込んで立ち直れないかと思ったよ。
 それから何年も経ち、やっとエスコフィエと出会えた。彼とは毎日、ロケの行き帰りも一緒で食事も週に3、4回は同席するほどの仲になった。映画というのはカメラで描かれるものだと彼を通じて実感した。今はただものすごくショックだね。アルメンドロスを失い、エスコフィエを失い、また3人目というのは現れないような気がする。

 ——そうでしたか。語りたくないことだったかもしれませんね。
 いや、こういう話をするのは悪いことじゃない。気にする必要はないよ。

 ——さて、初来日ということですが、初来日なのに日本人の友達がすごく多いとか。
『白いカラス』について彼らは何と?

 アメリカに住む日本人の友達は皆気に入ってくれたよね。今回の来日で同じような意見を聞いたけど、日本人は礼儀正しいから気に入らなくても「気に入らない」とは言わないだろうなとは思う(笑)。
 今回が初来日で昨日は朝4時半に起きて魚河岸に行ったね(笑)。それから一昨日はアラーキーに会ったよ。ものすごいエネルギーを持った、驚くべき人だったな(笑)。
 

執筆者

寺島万里子

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