その夏、山西省の農村に映画の撮影隊がやって来た。オーディションで村の子供たちのなかから出演者を選び、映画を撮るのだという。映画好きの劣等生ワン・ショーシェンは、必死の思いで出演する権利を得て意気揚々と撮影に望んだが、しかし、彼にはひとつだけ納得のいかないことがあった。
 中国の新鋭リー・チーシアン監督の『思い出の夏』は、一途で頑固な少年のひと夏の経験を題材にした一作。2002年のベルリン国際映画祭青年論談賞ノミネートをはじめ、ミュンヘン国際映画祭ではオープニング作品に選ばれるなど、世界各国の映画祭で紹介されてきた佳作である。都市部と農村部の格差が広がる中国という背景で、バックステージものの体裁をとりながら、リー監督が描こうとしたものは何だろうか。
 ロウ・イエ監督らの美術スタッフとして活躍した後、本作が監督デビューとなるリー監督。本作の公開を前に来日した彼の単独インタビューの模様をお届けしよう。

$blue ●『思い出の夏』は、5月29日より新宿K’s cinemaにてロードショー$








——まず、この『思い出の夏』という作品を撮ることになった経緯から伺えますか?
「もともとこれは脚本を与えられた映画なんです。出資側の中国電影集団が私に2つ脚本のうちどちらかで撮るようにと条件を出してきて、この脚本に私がより撮りたいと思うものがあったのでこれを選びました。が、最終的にこういう内容になったのはロケハンをして俳優探しをした後です。大幅に手を加えました。いろいろ考えることがあって、私は、ロケ地となった山西省大同県のある場所に生きている人々を映し出すことで質感を出せると思い、とにかくできるだけリアルに撮ることが必要だと感じたんです」
——中国には、農村が舞台で子供がメインの映画が今までにもありました。それらと比較されやすいかと思います。そのへんについてはどのように考えましたか?
「おっしゃるとおり中国にはそういう題材の映画が本当にたくさんあるんですけど、私自身に主人公のショーシェンのように田舎の小さな村で過ごした経験や、また、目標達成のためにいろいろ努力した経験があります。そういう私個人の体験が、やはりこういう題材を撮りたいと思わせたのでしょう。
 もっと大きな理由として、山西省という場所ですね。ロケハンで山西省に行ってそこの景色、たとえば山の稜線やそこで暮らす人々——ゆったりとしたテンポで生活していて、朴訥とした山西方言で言葉数少なくぼそっぼそっとしゃべるところに感じるものがあったのです。ここでなら、私には、たぶんこの人たちを撮ることができる、そういう自信みたいなものがあったのだと思います。
 それから、自然の風景ですよね。昔の城砦であるとか、ひじょうに素朴な風景。そういうものが私たち都会から来た人間にはひじょうに珍しい。自然な感動を与えてくれます。そこで、一環して旅行者、あるいは傍観者としての目線でそこに生きている人々を描くというスタイルを貫き通したんですよ。私は農民ではないので、農民の暮しは理解できませんから、彼らの暮らしはこうなのだという説明をしようとは思っていません。
 この映画の中で私がしたことは、自分をものすごく低い位置において彼らの生活を眺めるということ。ロングショットで引きで、彼らをそのままそこに存在させて自由にやらせるというスタイルで撮りました。カメラも固定させた撮り方をしていたんですけど、そういう一環したスタイルで追求しています」



——これは一種のバックステージもので、農村に撮影隊がやってきて、その前後の村での少年の生活が描かれているわけですが、劇中の撮影隊とご自身の撮影隊にダブるものはありますか?
「この映画の中のロケ隊の人たちは、生活のために映画を撮っている、世慣れちゃった映画の撮り方をしている人たちだと思うんですよ。だから、決して私をそこに反映はしてはいません」
——では、実際にこういうふうな形では撮らないだろうということで茶化すように作っているところもあるのでしょうか?
「この撮影隊の性格をそういうふうに設定したのは、彼らをワン・ショーシェンという子の性格とひじょうに矛盾する存在として設定したかったからなんです。子供が元来持っているものには、大人が及びもつかないものがあるじゃないですか。それと同じです。ショーシェンとまったく相反する形でこのロケ隊の人、特に助監督がいるんですよ。この助監督ももしかしたらもっと若いときは希望を持って入ってきたのかもしれない。だけど、いろいろな理由があって、今はただお金を稼ぐだけの仕事としてしか見なしていない。仕事に何の新鮮さも感じていなくて慣れきっている。もう本当に決まりきった考え方でしか物事を捉えられない人になっている。それがちょうどショーシェンという子供と対極にある、そういう設定があるのです。往々にして中国の児童映画というのは、大人がこうあってほしいという子供を描いたり、大人のように考えて行動する子供を描くことが多いんですけど、私はできるだけの映画ではリアルに中国で生きる人々を表現したかったんですね。そこにこそ感動させる力があると思うのです」
——助監督はショーシェンに「これは映画の中の世界で現実とは違うんだ」と何度も何度も言うんですけど、口先で言うだけでそれ以上のことは一向にしませんね。このことも、彼とショーシェンの対比をより際立たせるために意図的にされたということですか?
「まさにそのとおりですね。彼に限らず自分なりのものの見方に拘ることをやめてしまって時流や世間に合わせて生きている人って、人間のあるべき生きる力みたいなものを失っている人だと思うんですよ。こういうことを言うと、理想的すぎると思われるかもしれませんけど、やはり映画とか芸術に携わる人間は理想を忘れてしまってはいけないと思うのです。彼の姿は、私があってはいけない、こうなってはいけないと思っている姿なんです」





——ショーシェン役のウェイ・チーリンくんは、現場ではどうでしたか?
「このウェイ・チーリンという子なんですけどね、撮影現場の隣の県の農民の子で、たまたま大同に出てきて中国武術を勉強していたところを、私たちに見つけられこの映画に出演することになったんです。実際の彼は、ものすごく内向的な性格なんですよ。初めて彼に会ったとき、30くらいの質問をしたのですが、一言も答えないんです。顔を赤くしてじっとしているだけ。そのときの彼は、まさに開発されていない子供という感じでした。ただ、彼の内心世界は非常に複雑でいろんなものを持っていて、磨けば光る鏡やガラスの珠が磨かれていないで曇っているような、そんな子でした。
 実際、彼はものすごく頭のいい子でした。演技に関して、私は具体的な動きは一切指示せず、このときはこういう気分なんだって説明するだけでしたが、彼は正確にそれを理解して見事に演じるんですね。私は絵を描いた人間(映画美術出身)なので、人間の持って生まれた雰囲気というものをものすごく重視するんですけど、まさにそういうものを持っている子でした。もうひとつ彼の良いところは記憶力ですね。セリフ覚えも抜群でした」
——セリフ覚えという点は役柄と同じですね。
「そういうふうには見えないけれど、この子は見えないところで隠れた努力をして、完璧にセリフも覚えるんです。でも、ただ、ものすごくあくの強い個性を持っているので、比喩で言えば、一匹の野生の荒馬を乗りこなす過程のような感じ。すごく気苦労の多い仕事でした。ただ、実際に出来上がったフィルムを編集してみたときに、これこそまさに私が必要としていたショーシェンだなと。彼のそうした正確がこの映画にすごく役立ったなと思っています。彼は、納得しなかったら受け入れないんですよ。誠心誠意で接しないとだめなんですね。私は声を荒らげたり軽い物言いをしなかったので、彼はものすごく私を尊重してくれたんですけど、そういう意味では彼と本当にいい関係を築けました」
——最後に、監督の今後のご予定は?
「6月にクランクインで10月に完成予定なんですが、北京を舞台に経済的理由で学習を続けることが困難な子供たちが学校に行くという話です。とても感動的な物語です。北京で撮っている映画はたくさんありますよね。ぜひ私なりの今までになかったような視点で北京の若者を描きたいと思っています」

執筆者

稲見公仁子

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