この秋から来年にかけて、計5本の作品が公開もしくは撮影中と、現在の邦画界で実に精力的な活動を続ける行定勲監督。その5作品の先陣を切って11月より公開される作品が、“失恋ファンタジー”と銘打たれた『Seventh Anniversary』だ。
 失恋をするたびに、身体の中に石ができるルル。そんな彼女の7回目の失恋で産まれた7つ目の美しい石“Seventh Anniversary”をきっかけに、世間にまき起こった“石ブーム”と、その渦中に飲み込まれていくルルの姿を描いた本作は、見た目にも美しく、またほんわかとしたトーンを基調にしながら、現代社会に対してのアイロニカルな視点が強く感じさせるあたり、これまでの行定監督作品の、個々のキャラクターの心象風景を浮き上がらせて行く作風とは、一味変わった印象も感じさせる。
 そのあたりは、監督として強く意図された部分だったのか?今回の作品が、生々しさよりも“寓話的”要素の強い作品として成立していった過程について、お話を聞いてみた。

$navy ☆『Seventh Anniversary』は、2003年11月中旬渋谷シネ・アミューズにてレイトロードショー公開!$



——『Seventh Anniversary』は、これまでの行定監督作品に比して、コミカルでアイロニカルな色が強く出たファンタジーになっていますよね。脚本は『Jam Films〜JUSTICE〜』で小道具を担当されていた伊藤ちひろさんとのことですが、まずは今回このような作品を撮ることになった経緯をお聞かせください。

行定 「ENBUゼミナールというところで俳優コースを担当していました。その卒業制作を僕が作ることになったんですが、その予算はないに等しいものでした。彼らのことを考えると、中途半端なものを作るのは良くないと思い、今回のアイデアが浮かんだんです。
 演劇ではダブルキャストってよくありますけど、映画では少ないし、やってみたら面白いと思ったし、出資して頂く会社が見つかったので製作にふみ切りました。
 それで僕たちは『贅沢な骨』で、参加する意識のある人たちだけを集めて、同じ低予算でで作ることに成功していたので、もう一度その方法論でやろうかという事になったんです。
 脚本は、自分自身で取り掛かってる作品がいくつかあって、自分が書くのも厳しいので、もともとのアイデアを何人かの若手の脚本家…その中に小道具の伊藤もいたんですが…に提示し、それぞれに書かせてみたんです。そうしたら、彼女が書いたものが、オリジナリティがあり群を抜いて面白かった。それでこのままやろうということになったんですよ。
伊藤ちひろが書いたものは、自分たちがブルセラ世代に生きてきて、大人社会をあざけ笑っているようなところがあった。そこらへんが面白い。すごく皮肉と言うか、アイロニカルと言うか、多分彼女達の時代であり、そういう世代が作ったんだと。テーマは何かと言ったら、“資本主義社会”とか“物欲主義”とか、お金で何でも売買されてしまうということに、ある種の皮肉めいたものを感じていて、そこに巻き込まれちゃう純粋な女の子だって言うんで、それは面白いねって。
 漫画家でいうと、岡崎京子さんみたいな皮肉めいた部分と共通する部分があって。僕は岡崎さんの作品というのはすごく面白いと思っていたので、伊藤本人に聞いてみると、岡崎京子の存在を知らなかった。だから岡崎さんは、そういう子たちを見ながら書いていたのだと思いますし、伊藤の場合はそういう自分が体験したものをそのまま出してこれたものなんでしょう。だからすごく面白かったですね。意表をついてて。
 ただ、ちょっと寓話っぽくなったのは、僕が演出したせいなんですね。同じ脚本でも、寓話的になるかならないかというのはあって、ENBUゼミナール・ヴァージョンというのは凄くリアルな感じに見えるし、生々しい。どっちかというと映画版は、寓話化されている。まぁその寓話化されている部分が面白いとは思うんですけど。」

——最初に監督が出されたアイデアは、どのくらいのものだったのですか?

行定 「なんか、尿道結石になった男の人がいて、すごく痛い痛いって言ってたわけですよ。で捨てるのが忍びなくて、それをとってあると。勿論それは失恋云々ではなくて、身体的に調子が悪いとすぐなるそうなのですが、その石を見せられたことがあって、面白いと思って。「そんなに痛いんだ」「痛いよ、産みの苦しみがわかるよ」っていうのがあって、使えないかなと思ってたんです。女の子は尿道結石(尿管結石)には、なかなかならないんだけど、まぁ女の子がなるっていうのも面白いかなと思って。それくらいで、後は自由に書いてもらいました。」

——実際、撮影は2ヴァージョン同時に進行されたのですか?

行定 「同時です。プロヴァージョンを撮って、受講生たちを撮って、プロヴァージョンを撮って、受講生たちを撮るという感じです。でもそれぞれ全くキャラクターも違うし、芝居も演じる人によって全く違います。だから同じなんだけど、全く別物を撮っている感じですね。キャラクターによって絵のトーンはどんどん変わっていきますし、それぞれキャラクター、年齢、見てくれもちがいますから、それはそれで面白かったですよ。脚本は、一つのものを、現場で撮影にあわせて書き直していく形でした。脚本の伊藤は小道具も担当してましたから現場にいますので、その場で書き直していく。同じ作品であっても、それぞれの落しどころが全く違う。それは多分そうなるだろうという予想のもとで撮影を進め、実際に編集したらはっきりわかりましたね。」



——プロの俳優、そしてプロを目指す受講生の方々の二つを演出して感じられたことは?

行定 「俳優達の認識やプライドとして、自分が何を持っているかをその場に出そうとすることが本当は必要なんだけど、やはり素人の方はまだその認識が無い。自分が何者かわからないままに演出されている感じでしょ。自分が何者かわかっていて壊されたり、足されたり、自分が出したものが上手く組み込まれたりという実感と言うものがないから、そこの差はありますよね。本来はそこをもっと持たなくてはならない。自信ですよね。その差はすごく感じましたね。でも、一生懸命やっていたのでよかったかなと思います。」

——冒頭のルルの演技が生々しいんですけど、綺麗に撮られてますよね。ペット・ボトルが散乱する彼女の部屋も雑然としているようで調和がとれていると言うか、兎に角全体的に綺麗で現実離れしているような…。そのあたりは、やはり寓話的という部分で撮り方を考えられていたのでしょうか?

行定 「今回は極端にしようと思ったんです。逆に言うと、今回は映画を作るというリスクが無い。全国何百館でかかるような映画では、あまりやり過ぎるとお客さんは退くし、伝わらないものは伝わらない。ですが、今回は実験もあって寓話というのはどのようにできるのだろうかと。生々しい題材ではあるし、尿道結石にかかる人は痛みを伴うことはわかっている。貝の中で石が生まれたら真珠なのに、人間から産まれた石には価値が無いのか?ということで、それではかっていこうというところでした。それを全て大袈裟に、「水を飲まなければいけない、飛べばいいんだ」と医師の人が言ったので部屋に沢山のペットボトルを置き、極端にやってみようかなと思ったんです。」

——寓話で極端という部分故でしょうか。ヒロインを囲むキャラクター達は、ある意味他の行定監督作品に比べると、判りやすい印象を受けましたが…

行定 「どうですかね。意外と無意識に作ってますので。全く何をやろうと思っても無いし、まぁ毎回そういうつもりなんですけどね。この作品は、こういうトーンとかこういうことでやってみようかとかは。でも、寓話だということを意識したことは間違いないです。話がすごく極端な話だから。でもそれが実は面白いんじゃないかと思ったし。」

——口当たりよく進みながらも、ルルが迎える運命はかなり突然で衝撃的です。そのあたりには、行定監督が言及される監督の原風景的な部分があったのでしょうか?

行定 「それは、脚本家の伊藤が持っているものでしょうね。僕は全然こういう終わり方を想像してなかったです。でも、最後の結石を取り合っているシーンが、一番彼女がやりたかったことなんだろうな。だから彼女がブルセラ世代と言ったのも、大人たちがパンツ買ったりする世の中だから駄目なんじゃん!と売っていた側の年である…まぁ彼女が売ってたわけではないけど、売ってた側にいる人たちが、こんなことだから世の中おかしいと思っていたと思うんですね。それがすご面白かった。だから、あの結末も何の違和感もなかったですね。なるほど、じゃあそうしようって。
実際ルルは、自分では何の実感も無く、すごく悪いことをしているわけでもなく、善いことをしているわけでもなく、ただ本当に愛に生きようと思ったのに、うまくカリスマにされて、ただ石を生んだだけなのにこんなことになっちまった。なんか、社会を表しているといえば表しているような気もするかなと思いましたけど。」



——そんなヒロインに小山田サユリさんを選んだポイントと、実際演出されての感想をは?

行定 「勘ですね。見てくれは知ってたし、彼女がやってきたキャリアというのはなんとなくわかっていた。でもまぁ、会ったこともないし、仕事したこともない。ただ、何かひっかかっていたものはあって、じゃあ小山田サユリとかいいんじゃないかって…。それは姿勢でしょうね。映画でやってきた姿勢だとか彼女がこれまでやってきたことだとかを、僕がその勘に頼って。そういう意味では過信しているんだけれど、それはそれでいいんじゃないかと思った。彼女がやれるルルを、やってくれればいいと思っていたので。
 実際現場では、予想とは全然違ったんですよね。すごく能天気な、からっとしてドライな、あまり切実そうではない人と言うか…。でもそれはそれでいいかなと思って。最初は戸惑ったんですけど、脚本の伊藤が「可愛くていいと思いますよ、私は好きですね」って。だったらもう少し脚本を変えていって、寓話的なものにしていこうと段々思っていったんです。今までの僕の映画に出ていた女優さんって、もっと実感派というか、ふわふわしてない感じで、陰鬱なものをどこかに持っていてというのが好きなパターンなんだけど、彼女はひじょうにふわふわしていて、すっ飛んでるんですよね。だったらもっと極端に変えていこうと。だから、キャスティングが全て映画を変えてしまいましたね。それはそれでいいかと。最後は、ああいう風におとすんだからと。」

——そういう意味では、かなり今回の撮影は演出等その場で自由に進めて行ったと…

行定 「そうですね。即興に近いですね。シナリオだけはきっちり出来ているから、逆に言うと集まってきた彼らで、このシナリオをどうできるかを模索していく。本当に、何の苦悩も無くやってましたよ。眠る時間がないから眠いだけで(笑)。時間が無いだけで、後は苦悩も無く自由に撮っていました。撮影は2本で10日間くらいでしたね。実際本編ヴァージョンは1週間で、受講生ヴァージョンで撮り切れなかったり、場所を変えたりした部分が3日間くらいですね。」

——柏原収史さんは、『きょうのできごと』に続いての出演ですね。ルルへの思いを秘めながら、彼女を見つめる幼なじみ・天平という役柄がはまってたと思いますが。

行定 「そうですね。収史のことは『きょうのできごと』の前から知っていて、前の役もよかったので、今回はまたちょっと違う感じでと思ったんです。実際、彼が天平のような感じだと思ってましたので、まんまやってもらおうかなって。」

——今後の予定はいかがですか。

行定 「東宝の『世界の中心で愛をさけぶ』という作品が進行中で、その撮影で昨日まで四国に行ってました。それと、年末から入る『北の零年』という吉永小百合さんの映画の準備が進行中です。
 また本作の前に撮った『きょうのできごと』は、第16回東京国際映画祭のコンペ部門参加を皮切りとし、2004年の公開予定です。これは現時点では僕のベストで、やれることは全部やった感じがしますので、是非見てください。」

——それは、期待が高まりますね。本作に続き、監督デビュー作の『OPEN HOUSE』も12月13日からの公開が決まったそうですが。

行定 「ええ、やっと公開されます。ちょっと今の自分にとっては幼い感じのする映画だけど、まぁそれはそのままで見てもらおうかなと。」

——最後に、これから作品を観る方へ、メッセージをお願いします。

行定 「最近の恋愛はすごく軽いと思うんですね。『Seventh Anniversary』というのは、世の中の恋愛というものをあまり実感しないまま、その軽さも含めて、例えば援助交際だとか、ブルセラだとか、そういう風俗みたいな社会現象が起こっていく中で、何かもっと自分の中で恋愛の価値というものを実感するため、それを気付くというプロセスの映画だと思うんです。だから、実際は実感してない人たちが沢山出てくるんだけど、主人公だけは何か実感したいと思ってもがいている。それが何か凄く伝わればいいなと思うし、今の現状の恋愛観は僕らはこういう風に思いました。悲劇になってしまうけど、そういうところが寓話なんだけど、何か逆に観て実感してもらえるといいなぁという風に思います。」

——本日はどうもありがとうございました。

(2003年9月25日 渋谷・CANTINAにて)

執筆者

殿井君人

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