『なごり雪』
大林宣彦監督インタビュー

$ROYALBLUE 雪子という少女の恋物語と、
古く美しい故郷への僕らの恋心と…$

“雪が降ると奇跡が起こる”と信じて、雪などめったに降らない南の町で恋しい人を待ち続けた雪子…。この美しい物語は、大林監督が2000年に全国植樹祭プロデューサーとして大分県を訪れたことがきっかけで生まれた。準備の過程で臼杵市を訪れた監督は、古く美しい町並みと穏やかな人々の心に感動。臼杵の隣町で育った伊勢正三氏の名曲『なごり雪』をイメージモチーフに、映画を作ることを決意したのだ。

$navy ☆『なごり雪』は、現在大分県にて先行ロードショー公開中。2002年秋より全国ロードショー公開予定!





高度経済成長の流れに乗らないもの。
それは“恋心”と臼杵市の“町守り”

−−『なごり雪』という歌と大林監督との出会いは?
「『なごり雪』は、28年前に作られた歌ですよね。その時からずっと僕の大好きな歌なんです。よく口ずさんだりしていました。まさかこの歌を原作に映画を作るとは想像もしていませんでしたが。
 きっかけは、2000年4月に大分県の臼杵市に行ったこと。そこは私の故郷の尾道と同じように、坂が多く、山を背後に控えて海が広がっていて…古く美しい日本の港町でした。
 多くの古き良き町が、高度経済成長期に、開発という名の破壊によって失われてしまった。そんな中で臼杵は、市民自らが“この町にお金やモノはいらない。美しい緑や昔ながらの坂道、そういうものが大切なんだ”と守ってきた町なんです。明日に伝える日本の美しさと心の豊かさを、市民自らが毅然として表現している町。“何が大切か”というメッセージを伝えている町なんです。
 そのことが僕の映画作りの精神と一致ました。僕の尾道での映画作りも、町が壊れていくことに対抗する“町守り”だったから。パートナーの大林恭子プロデューサーが“ねえ、臼杵で臼杵映画を撮ろう”と提案して、僕もごく自然に“うん。(臼杵は)伊勢さんの『なごり雪』の世界だね”と答えていました。
 伊勢正三さんは臼杵の隣の津久見市の生まれ育ちなんです。だから臼杵も伊勢さんの故郷のようなもの。僕はこの臼杵を故郷とする誰かの力を借りて映画を作りたかったんです。隣どおしの津久見と臼杵、さらには竹田もひとつにまとめて…。『なごり雪』が生まれて28年間、今日までたどった日本の青春。確かに『なごり雪』という歌に託されたのは、純粋な恋の物語。けれど“単に人間同志の恋の物語じゃなくて、日本の美しさに対する僕たちの恋心も描く映画を作れるんじゃないか”と思いましてね。





“赤信号、みんなで渡れば恐くない”という時代が高度経済成長期。足並みをそろえることが、早い成長につながる。“でもそれはどこか間違いじゃないか”という気持ちが、誰の中にもあったんですよね…。
 そんな中でフォークソングを歌う伊勢さんのような人たちは、恋の歌を語り続けてきた。恋は、けして横並びにならないんです。自分だけの価値観でひとりの人を選んで恋する。言ってみれば人を恋するのは“みんなが赤信号を渡っても、僕は渡らない。青になってからひとりで渡るよ”ということ。いわばこれは“正気”ですよね。人間本来の正しい気持ち。それを歌い続けてきたわけです。
 その“正気”でこの28年を見つめ直してみると、僕たちが得たものと無くしたものの物語が、今、切実に見えてくるんじゃないかなと思いまして」
−−臼杵市の市長さんと親しく語り合ったそうですね。
「ええ。後藤国利市長とお会いして話したんです。“私の尾道での映画作りは、尾道が活性化という名の元に壊されないための町守りだった”と。すると後藤市長が“臼杵はまち残し、まち作りなんです。ただしその『まち』はcityではなくて、waitのまち。昔からある古いものを今日に生かし明日に伝える。本当に役立つ使い方が見つかるまで壊さないで待つんです”と…。
 だから臼杵では、古い町並みが、壊して新しいものを作る以上の愛情と我慢と時間をかけて残されているんですね。
 高度成長期に、臼杵の町にはセメント工場の誘致が決まったんです。それを市民運動が阻止したんですよ。漁村の奥様たち…漁師の女房たちが“故郷の海がセメントで汚されては、魚が棲めなくなる”と。その市民運動を率先してやっていた若き闘士が今の後藤市長なんです」





『なごり雪』の本当の舞台は
いったいどこなのか?

「この映画を作りにあたって、ひとつだけ悩んだことがあるんです。よく考えてみると『なごり雪』は東京の駅の別れの歌なんですね。九州じゃない。でも、僕はどうもそれは違うなと。時が経つにつれて“この歌の物語は確かに東京の駅での別れ。だけどきっと、伊勢さんが故郷の駅で夢想した話に違いない”という確信が大きくなっていったんです。
 というのは、僕も尾道という田舎育ちの少年で。田舎育ちの少年が自己表現のために都会や世界を夢見る時は、必ず故郷のどこかを舞台にして、遠い夢や憧れを形作っていくんですよ。
“よし。ならばこの物語を、とにかく故郷から一歩も出ないで、故郷の駅の物語にしてみよう”と。そう思った時、この映画の世界観がパッと見えたんです。
 実はそこで初めて、伊勢さんにお会いするわけです。そしたら伊勢さんは“よくわかりましたね。あれは故郷の津久見の駅で、当時のブルートレインをモデルに考えた歌なんです”と。そう聞いたあとは、ホテルに篭もって、二日間で脚本が出来上がっちゃったんです」






−−映画には「なごり雪」の歌詞がそのままセリフとなって出てきますね。
「“赤信号、みんなで渡れば…”という時代に“青信号をひとりで渡る”のは恥ずかしかったんです。そういう中でこの歌は“青信号をひとりでも渡ろう”という意味のメッセージがこめられた美しい歌なんです。“春がやって来て君は綺麗になった。去年より綺麗になった”という、育ちゆく少女に対する自分自身の恋心を美しい言葉で歌っている。
 この歌詞は、歌に乗せて歌われるから恥ずかしさを感じずにすんだんですね。でもこれを映画のセリフ=ダイアローグとして語ったら、その恥ずかしさが吹き出てギャグになっちゃう。みんながドッと笑う危険性があったわけです。
 これを演じた三浦友和さんも“監督、本当にこのままやるんですか。この意味をもっとリアルなセリフに変えていいですか?”と聞いてきた。僕は答えました。“いや、友和君。この歌詞どおりセリフにするんだよ。そうするとドッと笑われるかもしれないね。でも僕たちは信じようよ。気恥ずかしさで笑った人も、きっと心の中では泣いているよ”と。“僕たちがそれを信じて、きちっとこの言葉を表現したら、たぶんみんな素直に感動してくれるよ”と…。
 ただそのためには、映画全体のダイアローグが歌詞のように精練され、磨き上げられた言葉でなければならなかったんです。俳優さんたちがきちんと言葉のひとつひとつ、句読点のひとつひとつまで、映画の全編かけて語る。その最後に友和君の“今、春が来て君は綺麗に……”という言葉があって初めて、この映画は成立するんですよ。
 だから、若い俳優さんの大訓練をしました。彼らにとって28年前の日本語は、時代劇より難しい。自分の生活の中に無い発声ですからね。それを映画全体の1時間50分、まるでメロディーのない歌詞のように語れるように。
 僕は今回俳優さんたちに“あなたたちは今回、演技をする人ではない。人の気持ち=喜怒哀楽を、人間のドラマを観客に伝える役目の人です。きちんと言葉を発声し言い切りなさい”と言いました。“それは演技じゃないかもしれないけれど、それをきちんをやると、観客の心の中で観客自身のドラマがパッと花開くんだよ”と…」






“待つこと”の我慢や痛みと
一生懸命に待った結果のご褒美と…

−−映画のストーリーは、好きな相手をいつも故郷の駅で待っている少女・雪子の物語。雪子の“待つ”と臼杵市の市長の言った“まち”が重なりますね。
「そうですね。雪子の待つことの楽しみや悲しみを描いたつもりが、映画ができあがってみると“この恋心は町にもつながる恋心だった”ということが見えてきました。僕も驚きました。やっぱり町が語っていたんだなあということにね。
 たとえば、あの映画には月が出てきますね。本当はああいう月を撮ろうとすると、空気の綺麗な山の上か何かに登って撮らなきゃいけない。だけど臼杵では、僕たちが映画を撮っている普通の町角であの月が写るんですよ。
 というのはね、町に街灯がないんです。通りがかったお年寄りの婦人に“街灯が無くて危なくないですか”と聞いたら“はい。よく転ぶんですよ。転ぶと膝を擦りむいて痛いんです。でも起き上がろうとフッと上を見ると、ニコニコお月さまが見下ろしていてくれて。ああ、うれしいなと痛みも忘れるんですよ”というんです。“もし、ここに街灯をつけたらお月さまが見えなくなる。夜は暗いのが良くて、夜を明るくするのはバチがあたるんじゃないかと思いますよ”と…。そういう幸福感を持っているんですね。
 お月さまが綺麗に見えるのは、町を守りつつ待ったことのご褒美。映画のストーリーの背後に、町の人たちのそういう幸福感がきちんを写っている。これは僕自身も驚きました。うれしい驚きでしたね」





−−『なごり雪』では、雪ももちろん重要なモチーフ。
「僕たちは、絵本の中で雪国のあの三角の屋根を見ると“なんて、ステキでロマンティックなんだろう”と思うわけです。でも実際には、あれは雪を降ろすための生活の知恵であってロマンティックなことではないわけですよね。
 伊勢さんが50歳になり、僕が64歳になって、やっとこのロマンティックな雪の物語を撮れるところまできたんだなと思います。雪への憧れが単なるロマンティックなものじゃなく、その憧れにどう責任を持つのか、どう誇りを持つのか、そういうことまで描ける年齢に、ようやく僕たちが達したということですね。
 そういう意味で、雪子の恋愛ドラマが、雪を通じて蓄積される“まつ”や“我慢”の思いも含めて、痛みをともなった真実の恋愛映画になったと思います」
−−最後に、これから映画を見る人たちにメッセージを!
「今日お話したことは、映画では直接監督がお話することのできないバックボーンです。願いであり、精神であり、テーマです。でもそれをそのままプラカードとしてかついじゃっては、映画でないのでね。映画はやっぱり喜怒哀楽、泣いたり笑ったり…。これは恋愛映画で、人が出会って別れてということの意味を問うもの。そういう意味では切ない、別れの映画です。
 きっとみなさん、泣いてくださると思う。泣くことはね、心が洗われるんですよ。素直な自分が信じられた時に、人は気持ち良く涙を流すことができるんです。『なごり雪』の歌を愛してきた人も、この映画で初めて『なごり雪』と出会う若い人も、素直な自分と出会っていただけるんじゃないかなと思います」

取材・構成/かきあげこ(書上久美)

執筆者

かきあげこ(書上久美)

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