『男はつらいよ』シリーズ、『学校』シリーズなど様々な作品を精力的に発表し続ける山田洋次監督が、本格時代劇に初挑戦する。『たそがれ清兵衛』はこれまた初めての映像化となる藤沢周平の小説を、タイトル作含む3篇を基に、平侍の葛藤と哀歓を現代人にも通じる姿で映像化していくという。
 この作品は3月7日よりクランク・インし、3月下旬より山形と長野で美しい自然を背景にロケが行われ、5月末クランク・アップ。8月上旬には完成し、この秋より全国の松竹系劇場でロードショー公開が予定されている。
 去る1月16日に東京會舘において、この作品の製作発表記者会見が開催され、山田洋次監督をはじめ、主役の清兵衛を演じる真田広之さん、宮沢りえさん、小林稔侍さん、丹波哲郎さんらが出席し、作品にかける思いや抱負についてを語ってくれた。









Q.まずご挨拶をお願いします
山田洋次監督——1年間という異例に長い準備を経て今日を迎えました。僕は特別に時代劇を撮りたいという思いがあったわけではないですが、藤沢さんの小説が好きで、読むにつけ癒されこの世界が映画にならないかと思ったわけです。十数年前、藤沢さんにお会いした際に何故映画化を承諾しないのか尋ねたところ、なかなか納得できる話しがなく私の作品は映画化に不向きなんでしょうかということを話されてました。藤沢さんが生きていたら、満足ですよと言ってもらえる作品を作らなければならないと思います。物語は家族を愛してやまない平侍のお話しです。キャスティングも随分入念に考え、ここにいらっしゃる方々を含めいいキャスティングができました。今までにはなかった緊張感と意気込みで、この映画の製作に入りたいと思っています。
真田広之さん——タイトルも非常に好きで、内容も藤沢先生独特の時代、風土、人情、剣、命の奪い合い、命の尊さ、色々なものが含まれているこの作品、参加できて本当に嬉しく思います。山田組としては一年坊主なので新人になったつもりで頑張りたいと思います。今日、こうして扮装をしてみると、非常にワクワクと楽しみになってきました。豪華で濃い共演の方々に囲まれて、楽しい撮影になるのではないかと楽しみにしております。自分も精一杯、楽しくたそがれてみたいと思います。
宮沢りえさん——私も山田監督との仕事は初めてで、楽しみにしている部分が沢山あって、今回監督が描かれるリアルな幕末でどのくらい本当の呼吸が出来るかそれだけを考えて撮影に挑みたいと思います。
小林稔侍さん——皆さん素敵な役だとかおっしゃってますが、私はここに座ってもひたすら「大変だなぁ撮影は、監督の追いまわされ僕は持つかなぁ…」とそういうことばかりを心配してます。でも、映画がアップした時に、僕も主人公のように素敵なたそがれ稔侍になっていることを信じて、監督についていこうと思います。ついていくと、またついて来るなと怒るんですよ(笑)。早くアップの日がきて欲しいです。
丹波哲郎さん——今回は監督の了承を得て、アクション監督もやります。台詞はもう全部覚えました。世間では台詞を覚えないとかいろんなことを言ってるが、それも部分的にはあることもあるが、ケース・バイ・ケースです。アクション監督としては自信があります。私のやり方は本身を使います。だから、最初に俳優・監督と挨拶する時には「怪我するな、喧嘩するな」これだけです。今まで致命的な怪我を負った者は1名もおりません。10cm程度はざらですけど、これは仕方ない。竹光は絶対に使いません。重みが全然違いますし、竹光だとわかった瞬間にいい芝居であってもそれが壊れてしまう。ですから、今回も可能な所まで本身を使って行きたいと思います。殺陣は映画の命ですから、私と監督の要望とは、もう既にあってないところもあります(笑)。そうした部分の工夫を楽しみながら、芝居も脚本が実に上手く書かれているのでアドリブも遠慮しなければならないような名作です。長い名台詞もあり、それはワン・カットで行き、世間が言ってるのとはちょっと違うことを見せたいとも思います。

Q.山田監督に、初めての時代劇で一番見せたい、描きたいことはなんでしょうか。
山田監督——僕の考える時代劇は、剣を抜いてのクライマックスを迎えねばならない。この作品もそうですが、その闘いに迫力を持たせるためにはそれまでの描写が大事で、手で触れるような時代のリアリティを感じるだけの重みを画面が持たなければならないし、それでこそクライマックスが怖い程の迫力を生み、御家制の時代に藩主に仕えた侍の悲しみが浮かび上がって来ると思います。そんなことです。








Q.丹波さん、小林さんに、宮沢さんと真田さんが今回初の山田組参加ということで、心構えなどアドバイスがありましたらお願いします
丹波さん——監督の言うとおりにやればいい。これは冗談じゃなくて、私ですらそれなんだから、これだけ後輩の者が自由にやる余裕は持って欲しいけれども無理。
小林さん——アドバイスするほどの私じゃございませんので、この頼りない格好を見てください(笑)。私は、初めてお世話になったのは『学校Ⅲ』という素晴らしい作品でしたけど、私は自分の俳優としてのことは色々判っておりましたので、監督に色々教えていただき、叱られ、そして気絶してやろうと思ったんです。でも、気絶寸前までは行きましたが、何とか持ちこたえました。そんな気持ちです。

Q.お二人の心構えを聞き、真田さん、宮沢さんはどのように思われましたか?
真田さん——今、ちょっと後悔してます。凄い所に飛び込んでしまったなと。いえ、それは望むところでございまして、胸を借りるつもりで気絶するまで、死ぬまでついていきたいと思います。
宮沢さん——気絶だけはしないように、真田さんも初めてだと窺ったので、二人で力を合わせて頑張れたらいいなと思いますけど、私は気負うと体が動かなくなってしまう方なので、あまり気負わずに、今のところはとても優しい監督なので、不安も全くありませんし、生き生きとリアルな呼吸が出来る現場であればいいなと思います。

Q.それぞれの役柄についてお聞かせください。
真田さん——清兵衛は身分の低く貧乏な平侍で、子供二人と呆けた母を抱えて、内職をしながら貧しい生活をしている。言ってみれば、アフター5を重要視し、家族の為に働き、同時に武士としての魂を売ってしまったというか、剣の時代はもう終わりだと先を見越した精神を持っている現代人に近いキャラだと思います。それが時代の狭間で、命のやり取りをしなくてはならない逡巡の仕方に、現代にも通じるヒロイズムを感じて惚れ込んだ役です。
宮沢さん——朋江は出戻りの武家の女で、清兵衛とその子供達を影ながら支えていく芯は強くて、道端にふと咲く花のように咲けたらいいなと思っています。
山田監督——清兵衛の初恋の人です。少年・少女の頃からずっと好きだったという娘さんです。彼女があまり幸せではないことを、彼は非常に気遣っています。
小林さん——私は、草加という役名ですが、今で言う窓際族でどうということのない課長でございます。清兵衛の何人かいる上役の一人なんですが、とても頼りなげで自分本位、何を考えているかわからないようなそういう課長ですが、台本をじっと見てますと、心温まる人間くさい人物なんです。それを監督に叱られながら、なんとかそこに到達したいなと思っております。一見何気ない人物が、何気なく素敵な心根の持ち主、それを成就させたいと思っています。
山田監督——とても人間的で、それ故に全然出世できない中間管理職という奴でしょうかね。








丹波さん——私の場合は定年間近のごく用心深く、平和に暮らせたらと思っている親爺でね。ハラハラするのは隣におる真田君で、非常に私のほうから見ると危ない、いつ、どういう風に領主のほうから怒られる、怒られるということだけならいいけども切腹を仰せつけられるかも知れないというような危険なことも、私の目から見ると犯しかねない。だから女房がいないし、風呂に入るのが嫌いだ、体から異臭を放つ、そういうような状態では駄目だから、まず嫁をもらえ、ということで嫁探しをします。ところが嫁を探すにあたっても、まず女というのは学はいらない、言葉としてはひらがなで読めるようなもので沢山だ、で、再婚するにあたっては別嬪でなくちゃいけないなどという希望は捨てろ、と。健康であればいいんだ、お尻がでかければいいんだ、安産だから。まあ、こういうふうにごく平凡に、と言ってもそれが常識で、生きていく上では大変利口な方法だと、そういうような人情味ありながらも一般的な定年間近の今で言うサラリーマンの代表ということですね。
山田監督——丹波さん、もうそれとっくに定年してるご隠居さん。封建爺の役です。

Q.真田さん、宮沢さんに、かなり久しぶりの共演になられると思うんですけど、昔と比べてお互いの印象はいかがでしょうか?
真田さん——十年ぶりぐらいでしょうか。映画では2作目なんですけれども、最近では国際的にも活躍され、ますます大人っぽくなって、初めてご一緒したときとは大分印象が違いますね。もう「りえちゃん」とは呼べなくなってきてしまいましたから。宮沢さん…りえさんって感じですが、そういう意味では十代前半の頃から見ているので、今回の幼なじみという設定は非常にしっくりくるので楽しみにしております。
宮沢さん——いい意味で私の真田さんの第一印象からは、変わってなくて、役に対する情熱の注ぎ方が普通ではないなってところは変わっていませんし、優しくて、お仕事でお会いするのは十年ぶりなんですけど、たびたび、たまにお酒を飲んだりとか食事に行ったりとかしているので、そんなにガラッと変わったというイメージはないです。情熱だけは本当にある方だっていうのはずーっとそうです。

Q.山田監督に、この映画は『たそがれ清兵衛』『竹光始末』『祝い人助八』3つの作品がベースになっているということですが、特にどんなところに魅力を感じたのでしょうか?
山田監督——3つの話を組み合わせたというと、とてもご都合よく作った印象を受けるんで、あまり僕は強調したくはないんです。しかし、3つの作品はどれもが全部藤沢周平の世界なんだけれども、特に3作品は同じ音色というか、共通した香り、色合いを持っているわけです。『たそがれ清兵衛』はお城勤めの平侍、『竹光始末』浪人で一生懸命に就職したいがためにいろんな努力をしている、といった違いはある。ですから、この作品は、平侍にしようと、平サラリーマンをイメージした。就職するという話よりも就職して安月給でしこしこ働いているという、しかし決闘しなければいけないんだけども、その決闘のあり方のほうは『竹光始末』の形のほうが面白いから、そちらを使ってみたとか、主軸は『たそがれ清兵衛』で部分的なアイデアは『竹光始末』とか『祝い人助八』からもらったということじゃないでしょうか。








Q.山田監督に、平侍の悲劇以外で描き込みたいのはどんなことでしょうか?
山田監督——藤沢さんの小説は、非常にバセティックな悲しい終わり方をしている作品は少ないんですね。最後に必ず、あるちょっとしたホッとする救いが残されている。それが藤沢さんの小説を見ている喜びなんですけどね。この作品もそういう終わり方をしているわけです。最後に残酷な死に方を与えて血を吹いて死んじゃうなんていう話ではないわけです。現代にも通じるテーマであるということがひとつと、もう一つはかつて人の世は貧しく、朝から晩まで平侍は内職をしたり、女たちはみんな畑をしたり、自給自足の暮らしを経験した時代があって、その時代にそれなりのつつましくて、貧しいけれどもそれなりのユートピアっていうのが、鶴岡という庄内地方にあったんだなっていう、それも作品のテーマになっております。つらい暮らしだが、家族が皆一生懸命に働いてたってことですね。小さな子供も歩く頃から仕事を与えられてた、つまりこの家族は消費者じゃない、お金を使うことはあまりない、みんな生きていくためにいろんな物を作ったり、何かしなきゃいけない生産者で、そこに自ずと一つの秩序、モラルが作られていくわけで、それは侍が伝統的に持ってる儒教的なモラルとはまた別のものだと僕は思うんですよね。だから日本人が抱いている、今消えつつある家族の原型が実はここにあるのではないか、そういう意味では家族の映画であるとも思っています。

Q.真田さんに、『助太刀屋助六』に続く時代劇出演ですが、時代劇には時代劇なりの魅力があるのでしょうか?
真田さん——そうですね、時代と環境の違い、それから現代ではなかなか真っ向から描くと照れてしまうようなことを描きやすい額縁というか、そういう気もしますし、ロマンを感じるところですかね。今回は監督がおっしゃいましたように、今までにないことでいえば、いろんな意味でそうだと思うんですけれども自分的な解釈としては型にとらわれない、型に逃げない、本当にその時代、環境に生きた人間を忠実に再現することが、もしかしたら新しいという言葉につながるんではないかなと、いう気がしているので非常に大冒険だと思っておりますので、私も数少ない時代劇の経験はありますが、そういう意味では初めての試みが非常に多く、芝居の意味でも殺陣の意味でも新しい試みをしたいと思っているので非常に新鮮にワクワクドキドキしています。

執筆者

宮田晴夫

関連記事&リンク

作品紹介