$LIME アフガニスタンの状況を救うのは
爆弾の投下などでは決してない。
文化である。教育である。本である。$

1月11日、千代田放送会館で
映画『カンダハール』の
監督モフセン・マフマルバフ氏の
記者会見が行われた。
9月11日のテロ事件以来、世界の関心の的となっている
アフガニスタンを描いた映画であること、
出演者のひとりが、約20年前にアメリカで起きた
イラン亡命者暗殺事件の容疑者であると報道されたことなどから、
今、話題の映画『カンダハール』。
マフマルバフ氏は、真剣な深いまなざしで、
その思いをとうとうと語った。

かなり長い記事になったが
マフマルバフ氏の言葉をなるべくそのまま伝えたいので
ここに掲載する。


【スピーチ】

同時多発テロ以前のことですが、20年間、忘れられていたアフガニスタンの苦しみを
世界に知って欲しくて映画を撮りました

 この『カンダハール』は約1年前に製作を終了。約15年前、私は『サイクリスト』というアフガニスタンを問題にした別の映画を作りました。そして約2年前、もう一度アフガニスタンに関する映画を作ろうと思い、約1年半前に、秘密裡にアフガニスタンに入りました。その時はタリバンが実質支配をしておりました。
 そこで私がショックを受けたのは、野原(草は生えていませんが)でも、町のまわりの通りでも、人が死なんばかりに飢えていたという事です。アフガニスタンは、基本的に放牧や牧畜が重要な国家なのですが、日照
り、干ばつによって大変な被害を受けています。また政治によっても大変傷つけられました。過去7年間、アフガニスタンは大変な苦しみを負ったわけなのですが、それに関しては様々なメディアから聞くことができると思います。
 私は、映画を作ろうと思ってアフガンに行ったのですが、その状況を見ているうちに、私がすべきことはもっとたくさんあることに気がつきました。過去20年の間に、250万人がアフガニスタンで死んでいます。計算すると5分に1人、人が死んでいる事になります。しかしこういったことに関して、メディアはずっと沈黙したままでした。そして過去20年の間に、700万人が国内で難民状態になったわけです。つまり毎分1人が難民になった計算になります。そしてこの難民に関してもメディアは沈黙を守って、何も言ってくれませんでした。私はこの映画を作ることによって、世界が忘れてしまったこの社会について情報を与え、そして注目してもらいたいと思ったのです。
 しかし9.11がすべてを変えました。20年間忘れられていたアフガニスタンが、第一の注目事、メディアにとって一番重要な注目点になったわけです。しかしメディアは、まず“アフガンはテロリストの巣である”ということばかりを言って、そこにある飢えについては語ってくれませんでした。そしてアフガニスタンの文化の難しさについても語ってくれませんでした。ひげを剃ってネクタイをすれば、それで文化的な問題は解決だと考えていたようです。
 私は2週間前、アフガニスタンで、ブルカをかぶった女性のインタビューをしました。ヘラートの女性たちの98%は、まだブルカをかぶっています。“もうタリバンは去ってしまったのに、なぜブルカを取らないのか”と聞いたところ“私たちはこうしていたいのだ、これが私たちの風習なのだ”と言いました。“もし私がブルカを取ってしまったら、神が私たちを地獄に突き落とすだろう”と言いました。
 それで私は『アフガン・アルファベット』という映画を作って、別のポイントも示したいと思いました。女性の意識を変えるためにすべきことは本を贈ることであって、爆弾を落とすことではありません。実はアフガンの女性の95%は、タリバンが出てくる前も、学校へ行ったことはなかったのです。そして男性に関しても、80%はタリバン政権と関係なく文盲だったのです。7年間のタリバンの支配時には誰も学校には行けませんでした。 
 300万人のアフガニスタン人は、必ずしも合法ではない形でイランに難民としてやってきました。どうぞ想像してみてください。もし過去7年間、日本人がまったく学校に行かなかったら日本はどうなったでしょうか。そしてその状態を変えるためには爆弾を落とす事がいいことなんでしょうか?


【質疑応答】
●“アフガニスタンの状況を変えるために爆弾を落とすのは正しいのか”ということをおっしゃいましたが、実際に米軍が10月から爆弾を落としてきました。これについてどのような意見をお持ちですか。

<モフセン・マフマルバフ>
 もちろん私は、報復に関しては反対です。私たちはモダン=近代に生きているわけですから、別の方法があるはず。例えば、アフガニスタンには1000万個の地雷が敷設されています。これらの地雷は、アフガニスタン人同士の抗争でも敷設されたし、先進諸国、あるいは強い国のためにも敷設されました。
 もし地雷の代わりにそこに麦を埋めていたならば、アフガニスタンの状況はまったく違っていたでしょう。もし爆弾の代わりに本を降らせていたならば、状況は全然違っていたでしょう。
 タリバンは無知と貧困の責任を負っていると思います。タリバンは単なる政治的集団であっただけでなく、文化的な影響も大きく与えたのです。文化を変えるためには、本を印刷しなければならないし、テレビやビデオも作らなくてはいけない。けれどもアフガニスタンの大半の人は文盲なのです。アフガニスタンの平均死亡年齢は38歳なのです。そして38年のうち20年間勉強というものをしていないのです。
 イランには300万人のアフガン難民がいます。しかしイラン政府は、過去20年の間、残念なことに、その難民の子どもたちがイランで勉強する機会をあまり与えてきませんでした。というのも、彼らは不法滞在としてイランにいるので学校に行けなかったのです。
 私は仲間と「アフガン・チルドレン・エデュケーション・ムーブメント(ACEM)」というNGO団体を作りました。そして3カ月にわたってイランの重要人物と話をして、やっとイランの法律を変えることができました。それでアフガンの子どもたちは、今後、法的な地位にかかわらず、勉強をしていいということになりました。彼らがここで学校に行って学べば、彼ら自身で自分たちの国を再建する道が開けます。

●『パンと植木鉢』拝見しました。ラストシーンがすばらしく、本当に涙しました。監督は若い頃、政治に非常に関心をお持ちになって、なおかつ参加していらしたとのこと。今回のテロについてどうお考えですか? テロをせざるを得ない理由に、私は一番注目しているのですが、監督はどう思われますか。

<モフセン・マフマルバフ>
 イラン・イスラム革命が起きたのは、私が17歳になった後でした。以前の体制、つまり国王体制の時は、表面は近代的だったのですが、農村部では大変貧しかったのです。国の富は、ごく一部の人の所に集中していて、ほかの人は手がつけられませんでした。私が住んでいた所では、病気になっても医者を呼ぶのに1週間かかるという状態。そして当時は言論統制も非常に厳しかったので、政治について語るどんなグループの人でも監獄に入れられました。
 そして、あるグループが現れて“この国王体制に対して闘争しなくてはいけない、この体制を変えなくてはいけない”と言いました。そして“この体制を倒すためには、武装闘争以外の方法はない”と言っていました。どうぞ、バティスタ政権と戦ったチェ・ゲバラ、あるいは、タリバンと戦ったマスードのことを思い起こしてください。
 私は17歳の時、この種の運動に加わって捕まりました。非常に重い刑が下ったのですが、まだ17歳だったので、5年入獄することになりました。その時に私は鉄砲で撃たれて大けがをして、14日間入院。その後、今度は拷問を受けて、100日間入院しました。私の体には、その拷問の時についた20cm×20cmの傷跡が、いまだに残っています。
 革命が起こって体制は変わりました。そして私を拷問した人はアメリカに逃げました。おそらく1万人を超す当時の体制側、拷問を加えた側、あるいはコントロールした側の人が、いわゆる西欧諸国、欧米諸国に逃げたわけです。
 革命が起こったからといって、イランの状況が非常に変わったというわけではありません。私はまだ若かったのですが、変えるべきものは文化であると考えました。人間の考え方を変えなくてはいけないと考えたのです。人の考え方が変わらない限り、社会は変わらないと思い、私は政治活動をやめて映画作りに入りました。  
 私の考えでは“テロは反動である、それも貧しい者が、力を持つ者、あるいは富める者に対する反動である”と考えています。テロというのは“拷問を受けた人が起こす反動である”とも考えています。しかし、もちろん、これはある種の病気だと考えたいです。拷問をするという体制も病んでいると思いますし、言葉を戦わせて、つまり言葉で話し合うことによって事を解決できない人たちも病んでいると思います。
 力のある者は、人々がおのれの道を開くための手伝いをすべきではないかと思います。私はアフガニスタンで、お互いに殺し合いをしている若い人たちに言いました。“なぜ殺し合いをするのか、なぜお互いに許し合わないのか”。すると彼らは言いました。“もし私たちが許してしまうと、私たちは忘れられてしまう。見て
ください。9月11日に大きなビルが2つ壊されたことで、どんなに成果が上がったか”。
 私はこれは大変危険な発想だと思います。もしニューヨークの2つの大きな建物を崩すということで何かが守られるならば、今度は別の国が自分たちを守るために、別のビルを2つ壊して、注目を浴びるということなんでしょうか。
 富裕な人たちは、貧困な人たちが反動を起こす前に状況を変えることを考えなくてはいけません。


●約1年半前に、タリバン政権下で撮影を行ったということですが、その時のいろいろな苦労や撮影の状況について、教えてください。

<モフセン・マフマルバフ>
 ご存じのように、タリバンは過去7年間テレビを許しませんでした。そしてすべての新聞社も発行禁止になって、残ったのは3種の週刊誌だけでした。それもたった2ページの週刊誌でした。写真もそこへ印刷してはいけませんでした。写真もイスラム法的に禁忌である、つまりイスラムに反していると彼らは言ったのです。そしてラジオも2時間しかプログラムがありませんでした。そのたった2時間のプログラムでも、大半は神への祈願文を読み上げるか、あるいは、悪い事をした人の手を処刑したというようなニュースを伝えていたわけです。
 そしてブルカを身につけた女性は家にいて、外に出ることすら許されませんでした。こういった状況に置かれると、人はイメージを作るということすら忘れかけてしまいます。
 私はアフガンに秘密裡に入りました。そして国境近くの場所で撮影をしました。もちろんタリバンの方針に反する──映画を作ること自体も反しますし、内容も反するものだったので、タリバンの許可を得て作ったわけではありません。国境地帯で2〜3カ月撮りました。
 イランとアフガニスタンの国境は約800kmに及びます。そしてその国境線の辺りに難民300万人がいます。その地域で私は映画撮影をしました。タリバン側の人たちは、国境を越えてイラン側に来てまでもテロを起こしていました。私たちはそのテロの被害にあわないように、毎日毎日撮影場所を変えるのが大変でした。
 私もひげを生やしてアフガニスタン風の服を着て、アフガン人に見えるようにしたのです。ある武装した集団が私を探しにやってきたけれど、私を見つけることができませんでした。私は正直言うと大変怖かったので、「マフマルバフはあっちの方に行っちゃったよ」とあらぬ方を指さして言ったんです。
 女性たちはカメラの前に立つということを嫌がりました。また彼女たちの家族である男性も“もし自分の一族の女がカメラで写されると、自分にとって男がすたることになる”と言いました。
 難民の状況はというと、彼らは国で飢えて必死になって国境まで来る、それで今度は乾いた荒野に来る、そしてそこで倒れて死んでいったわけです。私たちは昼は映画を作って、夜は死にそうになっている人の所にパンを届けたり毛布を届けたりしていました。
 もう1つの別の問題は、イラン政府がアフガン難民を追い出そうとしていたことです。イラン国内にも失業者が300万人いるわけで、それに加えてアフガン難民が入ってくると、失業問題がさらに深刻になる。彼らは帰った方がいいということでした。映画を作っている最中にイラン側に“もうこういう映画は作らないでくれ”とも言われました。“もし『サイクリスト』みたいな映画を作って、さらにイラン人がアフガンに関心を高めると、政府としては非常に不都合である”と言うのです。
 そこで私は1人の国会議員に、この自分の立場を訴えて、それで映画を作ることができました。イランの大統領にも手紙を書いて、アフガン難民を追い出すことに対して反対する旨を述べました


●2つ質問があります。
 1つ目は、先ほどお話しになったNGO組織のアフガン子ども運動の具体的な活動と目標はなんですか?
 もう1つは、21日から東京でアフガン復興支援会合という国際会議が開かれます。おそらく数十億ドル、百億ドル近いお金がアフガンの復興にはかかると言われていますが、監督の目から見て、短期的にアフガンにとって何が必要か、中長期的には何が必要か、お聞かせください。

<モフセン・マフマルバフ>
 まずNGOであるACEMについてお話しします。これはもちろんNGOなのですが、私はこれを1つの運動と考えています。この運動は、アフガン人を追い出すのではなく、イランで知識を与えようというものです。そしてそれについてたくさん記事が載ったたことによって、周囲の人々の考えも変わりました。私たちの運動が政府に認められて、法律が変えられ、難民の子どもも学校に行けるようになりました。
 今度はその教育のためのプログラムも用意しています。それは1年を見込んだプログラムです。アフガン人はイランのいろんな地方に散らばっているので、その地方での運動をしようということです。様々な村に部屋を1つ借りる。その部屋、1部屋に対して1人の先生を置く。その先生の所で、20〜25人の生徒が学べるようにするというものです。そのための予算としては、アフガン人の子ども1人に対して30ドルを見込んでいます。
 マフマルバフ・フィルムハウスで1万人分の費用を負担することにしました。『カンダハール』と『アフガン・アルファベット』から上がる収入はこの運動のために使われます。イラン大統領のハタミ氏もこの運動に賛同してくださり、5万人分のお金がもらえることになりました。またユニセフの協力によっても1万6000人分確保しました。
 なぜイランでこの運動を起こしたかというと、今アフガニスタンに彼らが帰っても、教える先生や組織がないからです。イランの言葉とアフガニスタンの一部の言葉はほとんど同じなので、まず教育体制のあるイランで1年間読み書きを習って、それから自分の国に帰れば活動ができる、というような期待をしているのです。
 私は2週間前にヘラートに行って、そこの近くのマスラフ難民キャンプに行きました。そしてそこに、読み書きのための1000個の教室を用意することにしました。私は、アフガンの女性が、6万5000人に1人という率でしか読み書きができないということを知っています。それに比して、イランには様々な大学や教育機関があります。ですから、ご質問のACEMは、イランにおけるアフガン難民を教育する運動とご理解ください。

 イランにいる難民の子どもで、教育を必要といる子どもは50万人いると考えています。彼らを教育するためにはお金が必要です。その10%は、マフマルバフ・フィルムハウスと大統領とユニセフが集めています。そして世界のほかの人たち、あるいはほかの機関から残りの分の協力を得て、この運動を続けたいと思います。
 イランに文盲撲滅教師団というのがあるのですが、そこから4000人の先生に参加してもらっています。というのは、そういった先生たちは、テヘランから地方に行くわけではなく、元々地方にいる人たちなので、費用があまりかからないのです。
 それからACEMのもう1つのプロジェクトは、アフガン国内で学校を作るというものです。ヘラートに32の教室を持つ学校を作るために土地を買いました。ザランジでも学校を作っているところです。
 また、世界的な規模で別な計画もあります。来月ユネスコで1つの会議が開かれます。アフガニスタンを地図上で複数の地区に分けて、協力したいという国が、各地区に援助を与えるという方法です。つまり地図上で分けた1つの地域を1つの国が援助するということを提唱したいと思います。それで援助をする国は、自分の国の名前を冠した学校をその地区に作るのです。それは象徴的な意味があると思います。そして文盲である人1人あたり30ドル、その国に払ってもらう。

 アフガニスタンにおいてはアイデンティティ・カードが発行されていません。というのは、アイデンティティ・カードを読んだり書いたりできないからです。そういった人たちが選挙に参加する、ということはどうやって可能なんでしょうか。新聞を発行したとしても、その人たちは新聞をどうやって読んだらいいんでしょう。そしてそういう人たちが新聞や本を読まずに社会が変わるという事は、どういう風に可能なんでしょう。アフガンの失われた鍵は“識字”、字を知ることだと信じています。
 第2の質問の答えですが、短期的に解決すべきことは2つあると思います。飢えと文盲です。
 そして中期的には、道路を修復しなければいけないと思います。というのはアフガニスタンには高い山がたくさんあって、いろいろなグループがお互いのことを連絡できないという問題があるからです。また道路が無ければ経済も発展しません。
 アフガンには、外国がアフガンに行って何か採ってきたいと思うほどの資源はなかったのです。アフガニスタンとイランを比べてみてください。イランには石油があったので、石油を売って近代化政策をしました。アフガニスタンには石油がなかったので、近代化の費用もありませんでした。残念ながら、世界には、まだ文明が高くなくて何も持っていない人の所に行って何かしてあげようという人はいないのです。


●映画『カンダハール』に出演しているハッサン・タンタイ氏が、21年前に米メリーランド州で起きたイラン亡命者暗殺事件の容疑者であるという報道について.

<モフセン・マフマルバフ>
 私がカンヌ映画祭でこの映画をお見せしたときに、9月11日以降ほどには話題になりませんでした。9.11以降、この映画が有名になったおかげで、ブッシュ大統領までこれを見ることになりました。そして40カ国でこの映画は上映されています。イタリアでは、これまでのアジア映画のすべての記録を破って、一番大勢の人が見てくれました。1週間に限って言えば、ハリウッド映画をしのぐこともありました。
 しかし時が経つにつれて、だんだん話題として取り上げられなくなって、話題がなくなったかなと思ったら、今度はタンタイ問題が出てきました。それで映画はまた有名になりました。
 この問題は映画の配給会社の戦いだと私は思います。この問題の基にあるのは、アメリカの2つの映画配給会社です。その配給会社の片方は、フランスの配給会社を通してこの映画の上映権を大変安く買いました。9.11が起きたところで、別の配給会社はその会社に“この映画の上映権を売ってくれ”と言ったわけです。もともと上映権を安く買っていた会社は、それほど力のある会社ではなかったので“売りません、これは今大変儲かっているので決して売りません”と言ったわけです。そして2社の間でさんざん言い合いがあって、私にも何度も電話をかけてきました。
 そしてさんざん言い合いをした挙げ句、大きい方の会社が小さい方の会社に、最後通牒を突きつけたのは、“もし売ってくれなければ、映画の中に1人の殺人者が現れることになるよ”ということでした。この映画をどの国に持っていっても、その2つの会社の争いも一緒にやってきて、話題を盛り上げてくれるわけです。
 250万の人がアフガニスタンで過去死んだわけですが、彼らは誰に殺されたというのでしょう。彼ら自身が殺したんでしょうか。彼らを殺した人間は、当然生きている人間です。アフガニスタンに行けば、その250万人を殺した誰かに必ず会うわけです。
 私は映画監督としてここに来ていて、ここにいらっしゃる皆さんの1人1人の過去に、政治的に何があったのかはお聞きしません。映画を作る時は普通の人を使うわけで、普通の人にいちいち過去を聞いたりしないのです。アフガンの映画を撮っているだけでも問題がたくさんあるわけですから、過去に何があったかまで知りたいとは思いませんでした。そして、もしそれを見つけたならば、その人自身について映画を撮りたいと思います。しかしそれはFBIのために映画を作るというわけではありません。
 この人はあの人を殺したから、この人を殺す。そうすると、この人を殺したから今度はこっちを殺す。そういうことでは、世界中が殺し合いになってしまいます。私は憎しみが嫌で映画を作っているのです。ハッサン・タンタイは、アハマド・シャー・マスードと同じタイプの人間だったと思います。1人の兵士を連れてきて、20年後に、なぜタリバンの味方を殺したのか、というようなものです。
 私は個人的にはカンジーの側につきたいと思います。そして、非暴力の人間でありたいと思います。しかし今日の世界で、憎しみの連鎖を完全に断ち切ることはとても難しいです。
 20何年か前にイランで革命が起き、その前に拷問で人を殺していた人たちがアメリカに大勢逃げた。そのうちの1人が彼に殺されたと考えています。

イラン・イスラム革命の事に話を戻しましょう。私は最初それがなんだか知らなかったのですが、どういうことか調べてみることにしました。私が調べたところでは、実は6年前にアメリカのテレビ局が、トルコでハッサン・タンタイにインタビューをしているのです。アメリカのABCテレビで、「トゥェンティ・トゥェンティ」という番組があって、そこでインタビューしています。そこのキャスターは、バーバラ・ウォルターです。その番組に出演したFBIの人も“もうそれは大した問題ではない、イラン革命に関連して起こった出来事である”と。ですから、彼について知らなかったのは私とイラン人であって、アメリカ人の方は知っていたわけです。それなのに、なぜ今頃になってこれが話題になるのでしょう。大騒ぎになるのでしょう。
 これは要するに、配給会社の言い合いで、お金の問題がからんでいるのですね。ビンラディンが捕まらないので別の人を捕まえたいと思っているのではないでしょうか。
 私が映画の中で見出したタンタイは、1人の偉大なる人物です。アメリカでマルコムXを崇拝していた人でした。彼はテロリストであったわけでもないし、報酬をもらって人を殺したわけでもありません。彼は闘士だったのです。もし皆さんがアフガニスタンで写真を撮る。その中に10人写っていれば、そのうち2人は誰かを殺した人でしょう。
 私たちは許すことを学ぶべきです。私は1人のアフリカ人の指導者のことを思い出します。人種主義によって彼は23年間、監獄につながれていました。彼は監獄から出て自由になって政治的な力をつけた時に、彼の元の敵を政治的な地位につけました。彼の名をネルソン・マンデラと言います。彼は言いました。私はその監獄にいた20年間の苦しみを決して忘れることはないだろう。しかし私は自分の人間性から彼らを許したいと思う。

# 【メッセージ】

 この映画を見る人は、心で見てほしいと思います。これは9.11以降に作られた映画ではありません。これはハッサン・タンタイのごたごたのために作られた映画でもありません。これは忘れられたアフガニスタンの人々について描いた映画です。彼らは、私たちが彼らのことを思わない、という悲劇の中にいたのです。
 私は、皆さんが映画を見て“あれはアフガンのことだから私たちは別に…”と言わないことを望みます。私たちは日本にいるんだから、別に何もしなくていい、なんて言ってほしくありません。
 イランには「暗がりを呪うよりも、1つのろうそくを灯しなさい」ということわざがあります。もしここにいる1人1人が、日本のNGOに、子ども1人30ドル分のお金を送れば、1人の人生を変えることができるのです。ヒロシマに大きな出来事が起きた時、世界中の人々が注目しました。その時“あれは日本のことだから”と放置したでしょうか。今日のアフガンはヒロシマと同じだと思います。
 どうもありがとうございました。

                            構成/かきあげこ(書上久美)

執筆者

かきあげこ(書上久美)