「こんな映画を撮る方も撮る方、でもこんな映画を撮ってみたい」 木原浩勝『血を吸う宇宙』を語る
あのカルト映画「発狂する唇」の”発狂シリーズ”第二弾として「血を吸う宇宙」が公開されます。今回は「新耳袋」の著者であり怪異蒐集家の木原浩勝さんに、この作品についてお話を伺いました。
前作と同じ佐々木浩久監督と高橋洋脚本のコンビは、今回も冒頭から摩訶不思議な世界に観る人間をいきなり連れ去ってしまいます。そう、この映画は「誘拐」から始まるのです。今回のヒロインは中村愛美さんですが、お馴染みの阿部寛さんと栗林知美さんのFBIコンビ、霊能者間宮悦子、下元史郎、諏訪太郎といった面々も健在です。三輪ひとみさんも可憐な姿をみせます。
鋭い切り口で映画を分析する木原さんだけに、この仕掛けだらけの作品に対しても”狙い”を次々と語ってくれています。また、この映画では木原さんの提供したエピソードも使用されているそうですが、そのエピソードとは・・。
–今回の映画の中で、「新耳袋」の為に集めた話が使われているそうですね。
2、3年前に一瀬隆重さんがプロデュースで、携帯電話NTTドコモで怪談を配信しようという企画があって、「呪怨」の清水崇君が脚本と演出を、監修を師匠の高橋洋さんがやった事があったんです。その時に話したのが最初だったと思います。テアトル新宿でトークショーをやった時に、高橋さんと佐々木浩久監督、清水君に一瀬さんも一緒になって、打ち上げをやって、その席で監督から「次は宇宙だ」と聞いて、こんな話はどうですか?と宇宙人ネタを話したかな。それを使わせてくださいと言われたのは、その時だったかも知れません。
–「発狂する唇」の連続イベントの時ですね。
そうです。あの頃、次回作をやりましょうという段階だったらしいです。その時話したネタというかエピソードというのは、女の子が道で男とすれ違った時に「よう、久しぶり」と言われて「あんた誰?」と言うと「僕だよ、僕」という風に言って、それが前の彼氏とは全然外見が違うのに彼しか知らない事を言うという話です。この話を男女を逆転して、阿部寛さんが心斎橋で・・・という風に映画ではなっていますが。それは高橋さんのアイデアで、あの時に「もし男女が逆転してこんなだったらバカバカしいね」と言った内容を、佐々木監督が「木原さんから聞いたイメージ通りにやりました」と撮ってくれたんです。いい映像でした(笑)本当に気色悪いぐらいに。
–「協力」という事で、テロップに中山市朗さんとお名前が載っていましたね。
話には聞いていたのですが、実際にそれを画面で観た時は、映画をこよなく愛している人間ですから、本当にうれしかったですね、情けない事に。「お前、ジブリにいた時に散々名前が載っていたじゃないか」と言われるかもしれないですが「それとこれは別だい」という感じで(笑)
–この映画は「発狂シリーズ」となっていますが。
きっともう一本やるんじゃないですか?ここまでだと”続”ですものね、もう一本撮ったら”シリーズ”成立という所ですから。
–前作とは、共通の役者さんはいても、全然違う話になっていますね。
阿部さんと栗林さんと由良さんが出ていればシリーズといってもいいでしょう。主役の問題じゃないんです、この映画は。主題とワキで決まるんです。主役には恐い映画ですね。
–FBIの「成本」と「ルーシー」ですね。
ルーシーは今回もうちょっと活躍して欲しかったですね。ルーシーさが少なかった。由良さんももっと活躍して欲しかったですね。
–「霊的逆探知」の間宮さんですね。
いきなり、部屋に霊媒師が入って来て「間宮です」と。登場に関する全てが”省略”ですからスゴイですね。ああいう入り方は前作を観ていないとわからない所と思いがちですが、こういう質の映画でもありますね。そういう点では、シリーズかと思う所があります。ルーシーと阿部寛に関しては、林の中から黒づくめのあんな恰好で「怪しい者じゃない」と言われても(笑)。あの二人は前回を見ていなくてもなんとなく良いような気がしますけれども。知っているに越した事はないですけれどもね。FBI色は前回の方は強かったですからね。本当は宇宙ものほどFBI色が強いと狂ってていいと思います。映画にはありませんが、人形をバンザイ風にして、ルーシーと成本に連行させたりするんです。
–キャラクターの説明が必要かどうかという部分ですね。
同じキャラクターを使ってパート2を作る時の気持として解るのは、フィルムの尺は限られているので、同じ説明を二度使いたくないという事ですね。映画原稿を書く時にあまりあらすじで埋めたくないのと同じです。そこでおさらいさせると、観た人をそこで失速させるという事と、フィルム的に新しい事をやりたいわけだから、そこで時間を消化したくない。「血を吸う宇宙」だけを観た人にはちょっと説明不足で気の毒かなと思うんですけれど、そこはシリーズ、寅さんシリーズを観た時に「さくらって誰?」と突っ込むのは野暮なのと同じようなもので。
–そこはもう、お客さんが知っているのが前提で。
それと前作で頑張った人達を、2作目で登場した新しい人達が全面的に活躍出来るように一歩引かせている。そこが高橋洋の脚本と佐々木監督のうまさですよね。たとえば、ルーシーを裸にしないし、二人の行動のおかしさは省略していましたからね。同じ見せ場を持ってこないようにしてる。今回は最後までFBIコンビはチェイサーで終っているんです。それ以上の活躍はさせなかったみたいですから。
–阿部寛さんは「発狂する唇」以来、芸風が広がりましたよね。TVでもそういう役が多くなったようで。
「ゴジラ2000」でもゴジラに踏み潰される役でした。あの怪演でゴジラを食ったと、僕は思っているんですがね。「阿部寛ミレニアム」でないかと。今回も嬉々として演じていましたね。
–三輪ひとみさんも、前作で体当たりの演技と言われましたね。今回は阿部寛さんの恋人役ですが。
あれだけ清純な汚れ役も他にないですね。事務所が良くOKしたなと(笑)色々な意味で立派な女優さんですね。今回はちょい役ですが、役柄としては重要ですからね。
–どう重要なのかは、見てのお楽しみで。
うん、そうですね。あれを観ていて思うんですが、今回も現場は楽しかったろうなという気がしてね。いいなあ(笑)それとあの70年代の雰囲気を無理やり作る所、「神田川」がぴったりな。
–昔の大映テレビのドラマみたいだったり、草刈正雄が着ていたようなセーターとか、ベッドに倒れこんで泣く演出とか。
四畳半で木のドアで、いかがわしいポスターを貼って、無理矢理阿部寛さんのイメージを作らせるように持ってくる、仕掛けみえみえの臭さ。どう見ても西新宿あたりにしか見えないのに、テロップは「心斎橋」というところや(笑)阿部寛さんがずっと同じ服の所にもプンプン臭っていいですね。
–映画の冒頭は、刑務所の独白から娘の誘拐というサスペンス的に始まりますが。
冒頭が死刑囚から始まるじゃないですか。意表をついて始まるというのは、”つかみ”脚本たる高橋洋さんのうまい所ですけれども。ところで、あれは監獄のように見えましたか?
–監獄というより精神病院みたいでしたね。
ですね、死刑囚なわけだから監獄のはずなのに、どう見ても精神病院の独房なんですよね。もちろん本物の病院で見て来たわけではないんですが。しかし精神病棟に死刑執行はないわけですから、あれは形としては監獄なわけですよね。どうみても精神病院にしか見えない見せ方をしている所に、脚本と監督の的をカンタンに絞らせないうまさがあります。
–的を絞らせないうまさというのは。
恐さが入っている所がキモですね。独房から始まるべき映画という状況を見せたいだけで、何も恐さは別に関係ないんですよ。あったとしても、あの状況では本来、死刑の宣告と今か今かと待っている本人しか恐くないわけですよ。そもそも冒頭は作品内の世界なり状況なりを観せるわけで、ここでいきなり観客に恐い心理状態になれと言っても、それは無理でしょう。同じ気持にはなれないわけですよ。主人公の独白もまだですから。ところが、そのバックに狂った女の絶叫とそれを取り押さえる音声が微妙に入っているんですよ。あれが恐くてね・・。
–確かに聞こえていましたね。
僕の恐いと思うものの中に「意味もわからずカン高く笑う」というのがあるんです。笑う所じゃないだろうという所に、遙からエコーがかかって聞えてくる笑い声に、ドライな恐さがある。ここは監獄なんだと思わせておいて、独房の中にカメラが入ったら、へんな笑い声が聞えてきて「ここ、刑務所なんだよね」「何、あの笑い声?」と隣の人に確認を求めたくなる所に、うまさがあると思います。当たり前に絵から独房=(イコール)刑務所と思わせておいて・・だよね?・・じゃないの?と絞らせない不安がある。
–「血を吸う宇宙」というタイトルから、宇宙人ものなのかとまずは思わせる作品ですよね。
物語が誘拐事件から始まる。もし宇宙人ものと解っているなら、宇宙人に娘がアブダクションされたという話に入るんじゃないかなという、予備知識から来る予想を持たせながら、娘はいないになって、いないから人形かもしれないという話に落とし込むわけですよね。しかし、そうなると壁に貼ってある子供の絵の存在が宙に一瞬浮くんです。「娘がさらわれた」と里美が警視庁に駆け込み、警察の人間が家にやって来て、旦那が帰って来た時に「娘?」と曇った顔をして「これは人形でしょ」と。何か二つ以上の要素があって的を絞らせてくれません。
–娘と撮ったと称する写真を見せるシーンもありますね。
タイトルから宇宙人ものと思っている人は、そこで宇宙人と繋がる所は、ばっさりと切られるわけですよ。観客の予想を許さないという。ある種のうまさではあるけれど、これは諸刃の剣で、同時に脆さであるのですが。そして人形の所に持って行った所で、更に観る側を勝手に宇宙から心霊に持っていく。
–間宮さんの登場ですね。
その通り。その時、刑事がカメラの方を向いて「霊的逆探知」と言う訳ですよ。
–これは「発狂する唇」のネタをそのままやっていますね。
そして、そのまま最後までどこに行くかわからないという風に、早くも観客の想像を越えているわけですよね。少なくとも僕は、一体何を始めるんだという気持で観てましたね。高橋さんだから、笑いなり恐怖なり、何か仕掛けはあると思いましたけれど。
–そうなると、壁に娘が描いたらしい絵が貼ってあるのが気になります。
最後まで、娘は人間なのか人形なのか、存在が不在なのか、母の多重人格なのか違うのか、謎は解かれないんですよ。壁に絵が貼ってあるのに、主人は壁の絵については一言も言及しない。
–どっちが本当の事を言っているのか判らない。
絵を見た時に、僕がひとつの予想を立てたのは、子供とお母さんの名前はミサトとサトミ、アナグラムになっているわけですから、多重人格ではないかと。自分が子供に逆行した時に描いた絵を、はっと我にかえった時に見ているのではないかと。そうすると、自分がいる時には形跡はあるのに子供はいないという事になります。里美のお母さんも自分の娘を見て、娘と認めている時とただの選挙演説の手伝いの女性と見ている時とありますよね。
–その時によって反応が違う。
今回の映画を観ていると、そこかしこに”ダブルスタンダード”を見るんですよ。二つの軸線があるように見えるんです。その二つが表に出たり引っ込んだりしているから、どっちの主軸も追いかけていかねばならない観客に、一種の混乱をきたさせるのを意図的に狙っているのでしょう。しかし、これは脚本が壊れているのと同義語です。非常に難しい所ですよね。面白かったんだけれど「面白かった以上は突っ込まないでくれ」と言われているような。
–小ネタも随所に見受けられますよね。娘を写した写真の構図が、稲川淳二さんの「生き人形」の中に出て来る、写した覚えのない写真と同じ構図だったり。
亀山パンチという代議士も「宇宙猿人ゴリ」ですよね。地球の征服とか支配というわりには代議士ですから支配を目指していないんです。本当に何にもやっていないんです、あの人達、うーー、たっ、たまらん(笑)。
–謎の代議士亀山パンチも、実に面白いキャラクターですよね。
娘に宇宙人との混血を産ませるというのも、あれは偶然の産物です。ところが後半を観ると、仕掛けられているようにも見えたりする。その証拠に、亀山パンチと主人公の里美の関係が、後半の里美のお母さんが出てきてから、まったく変わってしまう。知らないはずが旧知の仲のように。ここにも本筋が二つあるように、ダブルスタンダードに見えるわけですよね。
–“ダブルスタンダード”が今回のキーワードですか。
そんなに真剣に考えちゃ興を削ぐので良くないですがね、お仕事しなきゃ。そのキーワードに含まれるのが時間の逆行ですが、元の時間軸に戻っておらんのですよ、これが。併行して見せてはいるけれども、標準が二つあるような気がします。高橋さんが脚本を書くとどうしてもそう見えます。
–それについての説明はされないですよね。
家にいたっては、三つ出て来るんですよ。最初に行った家と逆行催眠で行った家と、後で行ってみたら空き地で、家が空を飛んでいくとか。何も家を飛ばさんでも(笑)そういう時間の壊し方に、面白さがありますね。脱線しますが、監督の狙いとは全く別に脚本が狙うものがあるんですね。監督にまかせっきりにしない主張に近いものを感じます。
–時間と事件の流れがひとつではない。
あの映画を観ていると、それが各所に見られるわけです。子供の痕跡の演出とか、西乙女町に至る演出とか。
–ウエストバージニアですね。宇宙人関連の場所として出て来ます。
このあたりまで来ると「そう来るか」という流れがあるわけです。最後になると、何でもありですね、オウム事件以来の毒ガス使用とか。
–黒沢清監督や中田秀夫監督の登場も、あれは映画ファンなら笑える所ですね。
脚本から計算されたキャスティングと読みました。あれはうまく下手に撮ってますよね。あの人相、あの風体を知っていて利用している所が(笑)見てのお楽しみですが。
–佐々木監督と脚本の高橋さんの連携も良かったようですね。
高橋さんも佐々木さんが撮るのがわかっていたからこそ、ああいう脚本に出来たし、佐々木監督も高橋さんだからこそ「こうやってくれ」と言えたと思うんですよね。それとこの脚本、監督に一瀬プロデューサーの連携もかなりあったはずです。でも本当に何を言ったんでしょうね。これを面白いと読み解くプロデューサーは、そうはいませんよ。勝負タイプのプロデューサーですね。本が読めるプロデューサーはいいですよね。
–一瀬さんご自身が、監督をされたり色々となさって来た方ですから。
あれだけ脚本が読めたり企画が読めたりする人が、これを通しているという事自体「わかってるね」という所ですよね。資質として重要です。何より1本目を撮らせた所が素晴らしかったです。その一瀬さんの事ですから、この”流れの読み”だと3作目を読み取るか狙うでしょうね。
–「発狂する唇」はカルト映画としては、かなり盛り上がりましたが、今回の作品はどうでしょうか。
1本目と2本目に差があるとしたら、面白さの興味がどっちにあるかという差かもしれません。1本目のお蔭で2本目は”お馴染み”というファミリーが出来ている気はしましたね。1本目に出ていた人達はかなり伸び伸びと演じていたと思いますね。作品を撮っている人も狙いもバレがありますから。1本目の時のように「何でこんな事やっているんだろう」と思っているのをスクリーンから微妙に感じていたのを、今回は感じる事は三輪ひとみさん以外にはなかったですね。だから僕には中村愛美が最後まで浮いて見えました。作品的にはそれが良かったです。「皆がそうなのに自分だけ違う」という。逆に回りは「お前がおかしい」という役柄でしたから。これもダブルスタンダードですよね。
–全体的な印象は如何でしたか。
面白かったです。どこが面白かったかというと、むずかしい馬鹿馬鹿しさだった所としか言いようがない。情報の多い部分的な面白さが集積されていたおかげで最後の最後までスクリーンから気が離れなかったでしょ?ショートショートオムニバスを積み上げて最後まで引きずりまわしていくようなものを、本として書く方も書く方だが、撮る方も撮る方だなと。だから正直言うとうらやましいです。少なくともああいう本は僕には書けないし、監督するとしたら「整合性を持たせていい?」と言いたくなる所ですから。整合性を大事にするとか時間軸がしっかりしているものに関する部分にうるさいのが、僕の得意な所なので。しかし、こんな映画が撮られているからこそ「映画っていいな」と思えるんですよね。
–そのあたりは確信犯的な映画でしょうか。
きっとそうだと思います。企画から確信的に狙われていた映画に間違いないと思います。映像をどう組み立てているかというロジックの問題からそう読み取れます。これはプロデューサーに監督、脚本家が知らない者同志や、仕事のみのつながりでは成立し辛い独特の完成度です。狙いだけを撮っているのに近いです。狙ったものの連携体は互い確信がなければ完成させづらいですから。初めからお互いの個性を知っていますね、きっと。つまる確信犯です。だからそれを面白いと思ってしまう自分が、どうしてもあるんですよ。とっても困る所を喜んでやっているという所に「参ったな、この人達」というね。
主観はともかく客観が難しくて、本当に評論に困る映画だな(笑)
–ありがとうございました。
$gray (シエラのひとりごと)
木原浩勝さんを取材させていただくのは、今回で何回目かになるのですが、何かしらいつも起きてしまうのです。今回もお話を伺っている時に、水の入った卓上のグラスが音もなく底が水平に割れて・・。怪異を蒐集する方には、怪異の方から寄って来るようになるのでしょうか。ちなみに私の周囲の人は、私が間宮悦子さんに似ていると言います。(「私もそう思います、いやマジで。(木原氏談)」)$
『血を吸う宇宙』12月22日よりテアトル新宿にてレイトショー。 12/22(土)の初日舞台挨拶から、12/29(土)までみっちり8日間『8日間耐久!イベントマラソン!!』開催。
執筆者
鈴木奈美子