日本国内でも様々な映画祭が続々と開催に向け動いている秋たけなわ、9月27日浜離宮朝日ホールでは、第2回「東京フィルメックス」ラインナップ記者発表に続き、映画祭プレイベントとして、トークショーが開催された。
この日はパネラーとして『豚の報い』などの崔洋一監督、『月光の囁き』などの塩田明彦監督、そして『菊次郎の夏』など北野武監督作品のプロデューサーの森昌行さんが参加し、「世界の映画祭は作家たちに何をもたらしたのか」をテーマに、それぞれの体験に基づき映画祭が持つ様々な側面に関してのトークが繰り広げられたほか、99年に『菊次郎の夏』がカンヌ映画祭に参加した際の秘蔵ビデオ『不肖・伊従淳一の監督日誌・カンヌ篇』も上映された。ここでは、そのトークの一部をレポートしよう。











 カンヌの模様を綴ったビデオの上映後、当時の様子を振返るプロデューサーの森昌行さん。スクリーニング・チェックの際に、会場の椅子を動かしてみて緊張感が高まったそうだ。そう、カンヌ映画祭の観客は、映画がつまらないと遠慮無く席を立つということ、またその音が実に大きいことを知ったからである。実際、盛況のうちに上映されたカンヌであったが、それはいきなりの話しではないと。「『その男凶暴につき』の頃から、監督のうかがい知らないところで作品の情報は、映画祭関係者の間で回っていました。映画祭では規模の大小に関わらず、登場した作品は映画祭を回る人々の目に触れていき、インディーズ系であっても、大きくなってくるのです」。プロデューサーとして参加する場合は、「映画祭で楽しんだことは無いです」と苦笑を浮かべながら話す森さんだったが、やはりそこには規模ではなく映画祭の性格自体を見極めて出品することが、重要なようだ。
 デビュー作の『10階のモスキート』が84年のヴェネチア映画祭で上映されて以来、『月はどっちにでている』『豚の報い』など多くの作品で映画祭に参加している崔洋一監督は、「戦いの場であり、未知との出遭いの場であり、勿論コンペティションの場でもあるわけだが、最初の時はそういったことは意識していなかったが、何よりも面白かった」と84年当時の思い出のエピソードの数々を披露。勿論、思い出話しばかりではなく、審査やそこでの映画の観られ方など様々な話題を交えながら、「今、日本には映画祭が多々ある中で、映画祭一つ一つの思想をはっきりさせることになっている。そうした中で、生まれてから間も無いが最小最強の映画祭東京フィルメックスには期待しているし、世界の映画祭がそれぞれ作る側、観る側から問われているのではないか」と提言した。
 最初に参加した映画祭がゆうばり国際ファンタスティック映画祭で、その時に審査員の一人だったのが崔監督だったというのが、塩田明彦監督だ。当時からの因縁を引きずって、楽しく牽制しあう二人だったが、やはり様々な映画祭に参加してきた塩田監督はフランスで行われている、小規模だが全国94地域を巡回して貧困所得層の子供たちのために映画を上映するエピソードを披露した。教育の一環として、週に一度の映画の授業を受けた子供たちとの上映後のディスカッションの場は、実に真剣であり貴重な体験であったそうだ。
 様々な、映画祭の話しが語られたあと、東京フィルメックスのディレクターの林加奈子さんが、「様々な話しの中で、プレッシャーも受けましたが(笑)、第2回と今日フィルメックスは小規模でも気持ちのいい映画祭として、1本たりとも妥協の無い24作品を選べ、5年・10年と経ってから「あの作品がこの時に」と思ってもらえるような、未来への希望の道を開く映画祭にしたいと思います」と、今回の、そしてこれからの東京フィルメックスへの展望を述べ、1時間半に及んだ刺激的なトークショーは閉幕となった。その続きは、実際に第2回東京フィルメックスの会場で味わおう。

第2回東京フィルメックス映画祭は、11月18日から25日にかけて、東京有楽町地区を中心に開催される。

執筆者

宮田晴夫

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