血肉が飛び散るデビュー作『鬼畜大宴会』、そして今回の爽やかな風を感じさせる恋愛映画『空の穴』。その監督・脚本を担当した熊切和嘉監督とは、いかなる人物なのだろうか? 映画界の新鋭・熊切監督の素顔に迫る!




高校の放送室をジャックし、「今から視聴覚室で僕の映画を上映します」とアナウンスしたことも

−−熊切監督が映画を撮り始めたきっかけは?
「小学校の時から映画が好きだったんです。僕はもろにジャッキー・チェン世代でして。テレビの月曜ロードショーなどで、カンフーものの香港映画をやっていたんですよ。そのうち幼な心に映画監督の名前とか覚えだすと、やっぱり作るほうに興味を持つんですね。たまたま中学を卒業した頃、実家でホームビデオを買ったので、それをきっかけに遊びで撮り始めました」

−−ホームビデオで撮ったのは、やっぱりジャッキー・チェンの影響で“カンフーもの”ですか?
「カンフーものも撮りました。監督・主演で撮ったことがあります。ジャッキーにハマっていた頃、カンフーごっこみたいな遊びをよくやって、それがだんだんエスカレート。ストーリーを考えたり、衣装を繋ぎにしてキャラクター設定を作ったりするようになって…。それが自分の映画における原点のような気がします」

−−その頃の作品は、誰かに見せていました?
「心を許せる二、三人の友達に見せたくらいですね。田舎で映画を撮っていると、当時は“オタクだ”とか思われそうで。僕、表向きは体育会系で、わりと剽軽にふるまっていたんです。
 それが高校になると、映画もだんだん市民権を得て、映画を撮っていても“ヘンな人”と思われないようになりました。だから、放送室をジャックして“何時から視聴覚室で映画を上映します”と校内放送して、人を集めて見せたりしていましたね。とても学校で見せられないような下品でおバカな映画でしたが。要は、ヤロ−の友達が裸で踊っているような(笑)」

−−そのあと大阪芸術大学に進学、映画を専攻なさったんですよね。
「はい。大阪芸大には、変わったヤツが周りにたくさんいたんですよ。生きざまそのものを“表現”としているような…。たとえば首の後にバーコードの刺青をして、自分を商品にしながらコンビニでバイトしている人。
 服装がヘンな人もいっぱいいました。髪の毛の色もスゴい。最初、北海道から大阪芸大にいった時に“ああ、都会の人はスゴいなあ”と思ったんですね。そしたら、それは都会の人じゃなくて、単なる大阪芸大の人たちだったんです(笑)。そのあと東京に出てきたら、思っていたよりも普通の人たちばかりでびっくりです。
 そういう妙な人たちに囲まれているうちに、それまでの“映画ごっこ”みたいな感じから“自分で表現したいもの”を見つけた気がしますね」



『鬼畜大宴会』では徹底的に見せる映画を作りたかった。精神とともに肉体が崩壊していく過程を…

−−そして卒業制作が『鬼畜大宴会』。70年代の学生運動をベースに、血肉が飛び散るバイオレンスな映画。なぜああいう映画をお作りになったんですか?
「いろんな要素から自然にできた感じなんですけれど。まず、ああいう年代、学生運動を背景に持ってきたかったんです。若松監督の“全共闘”などのアバンギャルドな感じに憧れていて。あと、連合赤軍の事件のニュース映像が、時々テレビで映ったりする。ああいうのに、とても惹かれていたんです。
 その憧れとともに、上の世代をちゃかしたいっていう気持ちもあったんですよ。僕はまだ精神的に子供なんで、大人が“子供は入るな”と言っている所に土足で踏み入りたい、みたいな感じでしょうか。大人の美学、ロマンをイジくってみたいんです」

−−70年代の服装やヘアスタイルなどの時代考証、ばっちりでしたね。
「その方面の雑誌で調べたりしたんですけれど。やっぱり金が無いから、調べたって、探そうったってツテもない。ゴミあさりばかりしました。ちょうどご近所に高級住宅街があって。そこのゴミをあされば、何か古っぽい服でも出てくるかなあと(笑)。それがまた偶然に出てきたんです。映画の神に助けられたかなあ…」

−−それにしても『鬼畜大宴会』では、なぜあそこまで血や肉が飛び散るんですか?
「まあ、若気の至りともいえますが。徹底的に露骨に見せる映画をやりたかったんです。今までの映画って“隠す表現”が多かったじゃないですか。それを徹底的に嫌というほど見せる映画…そういうコンセプトだったんです。人間関係が崩壊する過程、精神が崩壊する過程と同時に、肉体もどんどん崩壊していく様子を徹底的に見せてもいいんじゃないかと…」

−−直視できないようなシーンもありましたね。
「ええ。途中で映画館を出ていく人とか、けっこういましたからね(苦笑)」

−−でも、ある種の突き抜ける感じがありました。バイオレンスが快感に変わっていくような…。
「そう感じてもらえたら、うれしいです」


辛い恋をしてきたスタッフ数名が『空の穴』の某シーンの撮影中に男泣きに泣いた…

−−そして今回の作品が『空の穴』。がらりと変わって恋愛の映画なんですが、何か心境の変化でも?
「いろんな国の映画祭で上映しましたが、必ずそう聞かれるんです。“前作は言ってみればスプラッター映画。なのに今回はなぜこういう映画なのか”と。だけど自分としては心境の変化も感じないし、戦略的に方向転換したわけでもないんです。『鬼畜』を撮って自然に“次、何を撮ろう? 恋愛映画を撮りたいなあ”と。
『鬼畜』でさんざんああいうことをやったから、その部分では発散できた。だからもっと別の部分の欲求不満があったんですね。それに『鬼畜』は事件ばかりで続いていく映画で、自分の友達に出演してもらったせいか、感情面での表現がいま一つもどかしくて。“次は役者よりの映画を撮りたいなあ”と思ったんです。
 主人公の市夫役の寺島進さんは、前からとても気になる役者さんだったんですね。
北野武監督の『ソナチネ』が大好きで、それに出演していた寺島さんが気になって。
“いつかこの人で、情けない男の映画を撮ってみたい”と強く思ったんです。紹介してくださる方があって寺島さんにお会いした時、酒を飲みながら『情けない男の映画を撮りたいんです』といったら『いいじゃないの。情けない男!』みたいな感じで盛り上がりまして。
 シナリオを何稿も書き直したんですが、書き直すたびに寺島さんに送って読んでもらいました。3年くらい、ストーカーのようにシナリオを送り続けましたね」

−−他のキャスティングもユニークですね。
「市夫が恋をする妙子役は菊地百合子さん。彼女が最初オーディションに現れた時、笑ってしまったんですよ。普通オーディションにくる人って、ハキハキしていて営業的じゃないですか。どうもみんな仮面をかぶっているような中で、菊地さんだけは寝起きみたいな感じで現れたんです。髪もボサボサで(笑)。それがとても魅力的でした。
“面接で本読みはしない”といっていたんだけれど、それは意地悪で。面接に来た人に突然“この芝居やってみて”と台本を渡して、慌てて読む顔を観察したいと…。
その時は一瞬“素”になるんじゃないかなって。その素顔が見たかったんです。菊地さんの場合、渡された台本を読む集中力がものすごかった。“寝てるの?”というくらいピタっと止まって本を読んでいる。後日、いろいろと演技をやってもらったら、役をとらえるカンも、ものすごくいいなと思いましたね」




−−舞台は北海道のドライブイン。熊切監督は“北海道に住んでいた子供の頃、地球の丸さが実感できなかった”とあるインタビューで語っていらっしゃいましたが。
「僕の育ったところはすごい田舎で、世の中のメインはテレビの中でのできごとのように思えたんです。たとえばメインは東京とか。自分のいる場所はその外、メインじゃないって、昔から思っていたんですよ。なんか“僕は地球のココにいる”っていう実感をするのがむずかしかった。そういう感覚をこの映画でもやりたかったんです。中年にさしかかった独身男で、殻にこもった感じの市夫。彼を描くにあたって、そういうのがリンクしたのかなと…」

−−『空の穴』は熊切監督の”女性不信”の面もかなり出ているそうですね。
「はい。やっぱりそれが出ちゃったかなと。女性不信というか女性畏怖の面があるんでしょうね。好きなんだけれど、どこか据え置いてしまうみたいな…。僕はマザコン的な面もあるし、女性のことで辛い目にあった経験が多いからだと思うんです。単純に恋人に手ひどくフラれたとか。
 前は人を信じきっちゃったんです、田舎モノなので。それが信じられない出来事にいくつか遭遇し、『鬼畜』はその怨念をブツけたようなところがあります。
 でも『空の穴で』は『鬼畜』の原動力となったその経験を、もう少し冷静に描きたかったんですよ」

−−市夫と妙子のドラマの始まりは、市夫がキャベツの中の青虫にビックリ。そのあと、妙子がまるで青虫のように寝袋で這って登場する…面白いですよね。
「あれ、やりたかったシーンなんです。シンプルな恋愛ものなので、出会いのシーンは一番悩んだんですよね。“朝方、巨大な青虫がいて、良く見たら女の子の入った寝袋だった”という設定。思いついて“これは面白いなあ”と思いまして。ニヤニヤしながらすぐ友達に電話しました。”どう思う?”って(笑)」

−−そしてあのエンディング。切ないけれど、市夫は生きるエネルギーを得ることができたんですよね。
「ええ。それまでは疾走した母親のことが心の傷になっていて。その傷の痛みを抑え込んで生きてたんですね。それが妙子と出会って、もう一度心の傷をほじくり返し、目をそらさずに傷を認めた。傷との付き合い方を覚えたところがあるかなあと…。
 ラストシーンに関しては、彼がこれからどこへいくのか、見る人に委ねているんです。どっちにしろ人生は続く。そういうもんじゃないかな。ただ前よりはちょっと市夫も成長した…という風にしたかったんです」

−−“自分の傷の痛みを認めることにより、次の段階に進める”というのは、心理学でもありますよね。
「じつは字幕翻訳をしてくれたインター・フォーグランドさんに、開口一番“この映画はセラピーだ”って言われたんです。でも僕は”セラピーって何ですか?”って何も知らなくてですね。そのへん意識はしていなかったんだけれど、偶然にかぶったのかな。
 思えば、僕にとっては『鬼畜』がセラピーだったんです。僕は自分の嫌な部分、陰の部分をエネルギーにして映画を撮っているところがある。自分が思い出したくないことに対して“なんとか凝視してやる”みたいに映画を撮るんです。それで一本映画を撮ると、スッキリと心が軽くなる。その感じを『空の穴』でもやりたかったんですね」

−−妙子との切ないシーンでは、監督もほかのスタッフも、みんな男泣きに泣いたとか。
「そうなんです。今回、なんだか共感してくれるスタッフが多くて(笑)。特に僕とカメラマンと音楽の松本章っていうヤツが、同じような経験をしているんですよ。特に松本章は、音楽を頼む時にラッシュビデオを送ったら、それを見て一日寝こんだらしい(笑)。自分の経験を思い出して辛くなって。ただ“見なれると笑えるようになった”と言っていましたが」

−−皆さん、純粋に恋をなさったんですね。
「自然とそういう人が集まっていたんですね」




腐った納豆に古いシャケ…『空の穴』撮影合宿(?)はじつにサバイバルなものだった

−−『空の穴』の撮影は、北海道で、合宿のような雰囲気の中で行われたということですが。
「舞台になっているドライブインの二階と、ドライブインの横にある納屋でスタッフは寝泊りしたんです。役者は近くの民宿だったんですけれど。いろんなエピソードがあるけれど、まず飯がマズかったなあ。
 あのドライブインは、おばあちゃんがひとりで経営しているところで、実際に営業中なんですよね。オープニングでカップル二人が道を尋ねるじゃないですか。あの相手が実はそのおばあちゃんで、特別出演。戦後の闇市を生き抜いてきたようなものすごい人です。
 寝泊りと撮影をさせてもらって、飯もおばあちゃんが作ってくれる契約だったんですよ。で、スタッフが肉とか仕入れてくるじゃないですか。その肉は食事になかなか出してくれないんですよね。冷凍庫そうじというか、古い奴から出して来る。だから古いシャケばっかりでしたね(笑)。あとは腐った納豆とか」

−−サバイバルな撮影だったんですね。
「はい。みなさん、よくやってくれました。人数が多いので、風呂も一個じゃ足りない。僕の実家が配管屋なので、親父に頼んで簡易シャワーを作ってもらったんですよ、海水浴場にあるような。それが途中で灯油が無くなって、水しか出なくなったりして。すごく寒いですね、北海道の夜は。たいへんでした」

−−やっぱりサバイバル。では、できあがった『空の穴』を改めてご覧になった時はいかがでしたか?
「いや、作った本人がこういうのもヘンな話ですが。僕は好きな映画だなあと…。細かいことを言ったらいろいろあるんです。うまくいった部分とうまくいかなかった部分と、恥ずかしい部分もあったりする。でも、僕は好きな映画だなあという気がします」

−−最後に、これから撮りたいと思っていらっしゃる作品は、どんな作品ですか?。
「いろんなジャンルの映画を撮りたいと思っています。今考えているのも五個くらいあるんですが…。たとえば少年犯罪もの、実録犯罪もの、復讐劇…あれ? 犯罪ものが多いですね。全然、いろんなジャンルじゃないということに今、気がつきました(笑)。まあ設定は違えど、どこか骨太な感じのものがやりたいんです」

−−今は監督の中で“犯罪ものの季節”なんですね。
「そうなんです。『空の穴』でああいうのを撮ったから、今はきっと犯罪の匂いのするものを撮りたくてしょうがないんだな。それを撮ったあと、またガラリと変わるかもしれません」

−−ありがとうございました。

インタビュー・構成/かきあげこ

『空の穴』は9月中旬より渋谷・ユーロスペースにてロードショー!

執筆者

書上久美

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