日付変更線の上で自殺することを夢見る彩。ありきたりな毎日のなかでただ時間をやり過ごすばかりのウィン。インターネットで彩を知ったウィンは、アラスカ行きの飛行機に乗り込む。東京とソウルでそれぞれに生きていたふたりは、いつの日か出会うのだろうか……。
『シュリ』そして『JSA』のヒットなどで、韓国映画界は、いま、アジアのなかでもっとも活況を呈する映画界になっている。その韓国の若い監督たちのフレッシュなパワーと日本の松竹がタッグを組んで送る日韓合作映画『純愛譜』。それは、国境も民族も超えて普遍的に存在する、ごく普通に揺れ動く少女の、そしてごく普通に冴えない男の姿を描いた佳作である。
 公開に先駆け来日したイ・ジェヨン監督は、36歳、現在の韓国映画界を支える世代のひとりだ。長編2作目になる本作で描きたかったものをは何なのか聞いてみた。

$navy 『純愛譜』は、10月6日(土)より渋谷シネパレスほかで全国順次ロードショー$




●「純愛譜」というタイトルを聞くと、主人公ふたりの純愛の軌跡のようなイメージがありますが、実際は若干違った作品ですね。このタイトルは、どういう意味合いを持ってつけられたのでしょうか?
「皆さんをびっくりさせるためにつけました(笑)。じつは、逆説的な意味でつけているんです。これは、ソウルと東京とアラスカがインターネットで繋がっている、そういうものを扱った21世紀的なモダンな話ですが、人物は20世紀的なようで、タイトルは19世紀的。そこからくるアンバランスな部分を表現したかったんですよ。タイトルを決めたのは、映画制作も後半になってからですが、21世紀にこういう純愛譜のような愛が存在するのか、そういう疑問を投げかけたいと思いました」
●それは、普遍的なものとして、愛というものが21世紀も存在するか、ということになりますか?
「そうですね。普遍的なものがあります。ラブストーリーとして紹介されてはいるのですが、自分ではラブストーリーとは思っていません。映画が終わった後に、彼らは本当に愛したのか、というような疑問をもたらせるようなものです。映画の中では、主人公ふたりだけではなく、むしろその周りにいる人たちが純愛譜的な愛を見せています。たとえば、彩の友人のリエが自分の母親の話をするときに。リエの母親がある男の人と恋をして、別れた後に自分ひとりで娘を育てたという話のほうが純愛譜的な愛かもしれません。それから、韓国のパートで、ミヤという女性はとても献身的に恋人を愛しています。彼女は、純愛譜的な恋をしているかもしれません。主役のふたりについては、観客が見たい本格的なストーリーは、もしかしたらラストから始まるのかもしれません。映画の中では、会えるまでの段階を平行線的に見せていますが、そういう構図を作り上げたのは僕個人の好みですね」






●日本のパートと韓国のパートをスタッフを変えて撮ってらっしゃるわけですが、まず、日本のパートのことを伺います。2年前に渋谷でウィークリーマンションに滞在して取材しながら書かれたそうですが、当時、日本の若者を見てどんな印象を持たれたのでしょうか?
「渋谷という所は、若者がたくさん集まる所で、表面的には韓国とは違いました。でも、同じようにミュージッククリップを見て、同じようにコーラを飲んで育った世代なので、そういうところでは似ているでしょう。若い世代は、既存の大人の世代との間に衝突があり、内面的に混沌としているということは、いつもどこの世界でも同じだと思います。この映画には、日本語を使う日本人が出てきます。それがどこの国だろうとどこの都市だろうと重要なことではありません。混沌としたものを持って少女から大人になる、ひとりの人間を見せたかったのです」
●渋谷のあたりは、かなり前衛的なファッションの少女たちもいる所ですが、そういったタイプの少女たちが登場しなかったことに逆に驚きました。そして、彼女の生活空間がある意味で普遍的というか、表面的な若者の生活ではなく実際の生活空間にかなり近いところで描かれていたと思います。あれは、井の頭公園とか深大寺の辺り(ともに東京都下の三鷹市)だと見受けましたが、実際にロケハンで歩かれたのですか?
「リサーチをしながら訪ね歩いたわけではありません。初めての印象といった驚きの部分だけを表現する映画は、表面的な映画になってしまうと思います。私は、平凡な中産レベルの家庭の少女というものを表現したかったのです。それは本やリサーチで得られた知識によるものではなくて、むしろ感性的に受け入れようとしたものです。そういう人物は、僕のなかのイメージから創造された人物ではありますが、普遍性を持っている人物にしようと心がけました。どこにでもいるような人物です。そういう自分の考えを日本のスタッフに説明したところ、『監督の考え方だったら、きっとこういう場所でしょう』と言って、そういう場所を紹介してくれたのです。
 付け加えると、日本の皆さんは、外国の映画で描かれた日本を見たときに、違和感を感じたことはありませんでしたか? 私は韓国を描いた外国の映画を見たときに、違和感を感じていました。だから、表面的なことは描きたくなかったんです。そういうことには気を遣いました。韓国人が見た先入観の日本は表現したくなかったのです」
●韓国のパートですが、ウィンの勤め先や家はソウルですか? ソウルに都会的なイメージを持っていたのですが、日本でもそういう都会的なところを避けたように、ソウルの描写でも避けたのでしょうか?
「あれは、ソウルのいちばんの繁華街から5分も離れていない所なんです。ウィンが囲まれた環境は退屈で古い。そういうものを表現しようと思って、あの場所を選びました」




●キャスティングについて伺います。ヒロインの橘実里さんは、どのへんが起用の決め手になったのですか?
「いちばん最初の彩のイメージは、まだ大人になっていない、平凡である、内向的であまり外向的ではないが、自分のなかにとてつもない思いや変わった部分を持っている、というものでした。彼女が来たのは2回目か3回目のオーディションのときだと思います。彼女が現れたとき、イメージにぴったりだという気がしました。彼女は十分にその役を消化してくれたと思いますし、もっとオーディションを続けても彼女以上の人はいなかったんじゃないでしょうか」
●それは、目がどうのとか、そういうポイントがあったのですか?
「僕は、人形のような可愛さは避けたかった。彼女くらいの年齢の少女が持っているものなのですが、そういうものは避けたかった。それとは別に、大人のような成熟したセクシーさも避けたかった。でも、軽く見えないような。彼女は、同じ年頃の少女たちに比べて軽々しく見えないし、自分の考えを話すときにとても論理的でした。それで彼女を選んだのです」
●それ以外の周囲の人々のキャスティングはどうやって決めていかれたのですか? 大杉漣さんをはじめ、なかなかのキャスティングだと思いましたが。
「映画制作でキャスティングとハンティングは大事です。場所は行けばいいんです。でも、キャスティングは、その俳優が日本の中でどんなイメージなのかわかっていなかったので、決めるのはたいへんでした。大杉漣さんとダンカンさん、柳ユーレイさんは、実際に出演した映画を見たことがあったので大丈夫だと思いました。大杉さんに関しては、男性的でマッチョなイメージがあるから、こういう力がない父親役には不安だという意見もありましたが、僕は、大杉さんはこういう役をこなせる部分も持っていると思いました。大杉さんもやってみたいということだったので、彼に決まりました。余貴美子さんは、僕のイメージを説明したところ彼女ではどうだろうか、という推薦があって決まりました。結果的に、いいキャスティングになったと思います」







●イ・ジョンジェさんは、監督の処女作「情事」(日本未公開)に引き続いての起用ですが、連続起用された理由は?
「どちらの理由が一番かは決められないんですけど、ひとつには『情事』で一緒に仕事をしたので、お互いにやりやすいのではないかということ。実際にやりやすかったし、仲も良くなりました。彼も演技に専念できたと思います。もうひとつは、彼の世代の若い俳優の中で、彼のようにいろいろな顔ができる、変身可能な役者はそれほどいないということですね。自然な流れで、彼に決めたというところです」
●この秋、どういうわけかイ・ジョンジェさんの映画が日本で次々と公開されているのですが、本作では本当に冴えない男をよく演じてらっしゃいました。演技指導はどうされたのですか?
「彼とは2作目だったので、僕がどうしたいか演技指導以前に彼にはわかっていたでしょう。それと、じつは、韓国の撮影の前にアラスカで撮影しているのですが、そのときにいろいろな話をしました。僕がやりたかったことは、そのときに理解してくれたと思います」
●イ・ジョンジェさんの演じるウィンは、好きな女性のIDカードをウソをついて渡さなかったり、ストーカーのようなことをしたり、そういうことをしますね。 かなり生々しいとは言えますが、どうしてそのようなことをする男に設定したのですか?
「ウィンを特別視はしてはいません。誰にもそういう部分はあるでしょう。小さいウソをついたり、あるものに執着したり、ひとりでいるときは違う自分になったり、そういうことがあると思います。イ・ジョンジェには『他の人の前にいるときの自分ではなく、ひとりでいるときの自分を表現してみよう』と言いました。ちょっと変わっている自分とか、そういうものを表現しようと。自分だけのときにある姿というのは、誰しもが持っているものです。それを変だとか特別だとか思えば、それはそうかもしれないのですけれど」
●ウィンは指に感覚がないという設定でしたが……?
「そこにはとても象徴的なものがあります。反復されて無気力になっているそういうものを象徴しているのが、指の感覚です。映画の後半になって、感覚が戻ってきて、新しい人に出会う。新しい次のステップに行けるようになっていきます」
●次回作はもう進めてらっしゃるのですか?
「現在、シナリオを書いています。来年の春に撮影に入ります。時代劇の予定です」

執筆者

みくに杏子

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