その貯水池で、女は釣り舟を管理しながら食料品や釣り餌、そして自分をも売る孤独な日々を送っていた。男は、浮気した恋人を殺して逃げてきた。女は一言もしゃべらず、男も寡黙。そんな男と女が出会い、哀しみを抱えたまま奇妙に結びついていく……
 キム・キドク監督の『魚と寝る女』は、昨年のヴェネチア映画祭で観客を打ちのめした。幽玄な絵のようなロケーションの中で、人間の悲哀と不条理な男女の愛を描くキム監督のタッチは、あまりにも鋭く衝撃的であったからだ。
 日本での公開を前に来日したキム監督は、その作風からは想像し得なかったほど饒舌。写真撮影でも、思わず笑ってしまうようなヒロインとの絡み(ただしポスターの彼女との!)を見せるなど、なかなか愉快なキャラクターの持ち主だ。





●ひじょうに美しく、テーマもわかりやすい映画だと思いました。かなり作為的に組み立てた映画のように見受けられたのですが?
キム・キドク 私は映画を作る時に、まず、空間・場所を決め、次に、その場所に合う人物を考えます。それから、その人の職業など具体的な肉付けをします。
主人公を決めた後、さらに、どんな人たちと出会うのかというように、だんだん膨らませていくんです。
 その後に、もうひとつ大切なこと、つまりエピソード作りにとりかかります。観客が飽きてしまってはいけないので、断続的に繋げていくのですが、私の映画は、ある人から“ダイナマイト式映画”と評されました。ひとつのダイナマイトが爆発すると隣に置かれたダイナマイトが次に爆発する、そんな映画だと。できるだけ面白いもの、必ずテーマと合ったエピソードを繋げて、なるべくショッキングになるようにしています。
 エピソードに関してもうひとつ大切なのは、起承転結があること。さまざまな葛藤とその結末からなるエピソードを、起承転結の承とか転の部分にもひとつひとつ入れて、なおかつうまくまとまるように気を配ります。霧雨に濡れているような映画だと思ってもらえればいいでしょう。濡れているときはあまり感じないが、ずっと浴びていたら、結局はたくさん濡れます。そういうふうに、ひとつひとつのテーマが最終的にはひとつの大きなうねりになるように心がけています。
●今回、この貯水池から発想したのには、何かヒントになることがあったのでしょうか?
キム・キドク シナリオ作家たちの合宿に付いて行った時、その帰り道に、偶然この背景になる場所を見つけたんです。見たときにパッと浮かんでくるものがありました。こういった空間に孤独を抱えた寂しい女性、20代後半から30代の世の中に疲れた女性が住んでいたらどうだろうかと。その女性が、水の霊というか幽霊のような形でこの空間にいて、しかもしゃべらないという設定にしたらどうだろうかということが、イメージとして頭に浮かんだんです。そこから様々なことがスタートしていきました。





●釣りをしますよね。人間までも釣ってしまいますね。たとえば、逃げてきた男が自殺しようとして釣り針を飲んで、それを彼女が救うところとか、後半でも彼女自身が故意に釣られようとしますね。釣りということがとても寓意的に出てきたと思うのですが。
キム・キドク これは貯水池で起こる物語なのですが、都会に舞台を置き換えても重なる部分があります。都会における複雑な人間関係を表していると言えます。そして、また、複雑な男女の愛といったものを暗示している側面もあります。誰かを愛すると、その相手を逃したくないという気持ちは誰にでもあるものですが、繋ぎ留めておくためにその人を釣りたいと思ってしまう、そういった人たちは多いでしょう。釣られるほうも、その愛から逃げたいのだけれど、結局逃げられない。釣りという行為を通してそういった人間の執着というものも描きたいと思ったのです。
●それにしても、見ていて痛い——精神的にも肉体的な痛みを感じました。目を覆うようなかなりショッキングなシーンもありました。もっとソフトに表現することもできたと思いますが。
キム・キドク 確かにとても辛い場面があるのですけど、もし、あの場面で痛みを感じてくれたとしたら、あの女性の持っている心の傷をわかっていただけたのかもしれませんね。彼女は、これまでの人生ずっと男性から侮辱され続けて、心に本当に深い傷を負ってしまったので、自分を傷つけるといった残酷な行為をせざるを得なくなっているのです。
 私としては、見ている人に衝撃を与える目的よりも、それほどまでに彼女が心を病んでいて傷が深いのだということをわかって欲しかったのです。本当に観客に衝撃を与えたかったら、(韓国では上映可能かどうかを審議にかけるが)審議に引っかかっても、実際に肉に食い込んだ釣り針を抜くとかクローズアップでもっと見せたと思うのですが、そこまではしませんでした。その直前で留めておいて、彼女が持っている心の衝撃、痛みというものを、見ている人の心で理解して欲しいと思い、ニュアンスだけを伝えるという方法を選んだわけです。
●ソ・ジョンさんをヒロインに起用された理由をお聞かせください。
キム・キドク 韓国では、彼女はあまり有名ではない新人です。最初はトップクラスの有名女優を使おうと思っていました。日本の清水美砂さんにも話を持っていったのですが、断られてしまいまして、チョン・ドヨン(『ザ・コンタクト』主演女優)に持っていったんです。彼女にやる気はありましたが、スケジュールの都合でダメ。製作会社のほうから製作費4億3千万ウォン(日本円で約4300万円)を越えてはいけないと言われ、いずれにしてもトップスターは使えないということになって、新人で誰かということで最終的にソ・ジョンになるんです。最初に彼女に会った時のイメージがすごくよかったので、そのイメージをこの映画にうまく生かせないかという気持ちになりました。





●彼女のイメーじがよかった、というのは?
キム・キドク もちろん作品のイメージにも合っていたということ。それから、話しているうちに彼女がこの映画の主人公の苦痛をよく理解していることがわかったからです。ですから、彼女にまかせようと思いました。
●監督は、画家を目指してらしたそうですが、あなたのキャリアと映画作品との関連性についてはどう感じてらっしゃいますか?
キム・キドク 絵はだいぶ長くやっていたんですが、絵では成功しませんでした。
 映画作りに関しては、絵をやっていたことが、何らかの形で作用したり影響していると思います。特に、映画の中に見られる絵画的イメージは、私が絵をやっていたから出てくるものでしょう。構図もクローズアップも、あとから絵画的だと感じることがあります。絵を描くときにはさまざまな色を作り出していましたので、映画のなかで使う色にも意味を持たせています。そういった事柄を考えると、やはり絵をやっていたことが影響しているし、かなり役に立っていると思います。
 それとは別の話になりますが、私の作品は「妙な作品。アイロニーに満ちている」と評されることがあります。たぶん、作中に悪いことをしている人が出て来ても、見終わった後、悪い人には見えないからではないかと思います。私は、ある人が悪いことをしたとしても、どうしてそういうことをしたのか、その心を理解したいという気持ちが強い。だから、そうなるのではないでしょうか。
 今回の『魚と寝る女』だけではなく、他の作品にも悪人がたくさん出てくるんですが、私は基本的には悪人はいないと思っています。それがアイロニーという形で映画の中に散りばめられているのかもしれませんね。
●今日はお忙しいところ、ありがとうございました。監督の(写真撮影の)ポーズの取り方は作品からはとても想像できないコミカルさを感じさせるんですけれど、コメディを撮ろうというお気持ちはいかがですか?
キム・キドク この映画にも密かにコメディも入れていたんですけど、笑うシーンはなかったですか?
●笑うシーンよりも痛いシーンのほうが……。
キム・キドク 笑わせるシーンもあったはずなんだけどな……例えば、主人公の女性がトイレの穴から好きな男がセックスしているのを覗くというのが、設定的には可笑しいんですけど、可笑しさの中にもちょっと哀しいという。
●恐かったです、ストーカーみたいで。

2000年8月25日よりテアトル池袋にてロードショー

執筆者

みくに杏子

関連記事&リンク

作品紹介