「主人公の頭の中に、いかに観客を持っていくか。脚本には、苦心したよ。」 『メメント』クリストファー・ノーラン監督来日記者会見
妻を殺されたショックで、記憶を10分間しか記憶を保てない“前向性健忘症”になった男が、自分にあてたメモやタトゥーから真相を掴もうとする…『メメント』は、そんな特異な状況に投げ込まれた男のミステリアスな物語だ。ある事件の結末から遡っていくその展開は、観客を主人公と同様に記憶の迷宮へと導き、その先に待つ結末…というか発端のやるせなさには心をふるわされることだろう。
アメリカではわずか11館で上映がスタートしたものがリピーターと口コミにより、上映館数を増やし続け、上映10週目には興行収入トップ10の8位にランキングされたこの作品を監督したのは、29歳のクリストファー・ノーラン。『メメント』が長編第2作目でこの作品の成功によって、現在スティーブン・ソダバーグのプロデュースで『インソムニア』を製作中の新鋭だ。
7月10日には、その新作を撮了しポスト・プロダクションに入る合間をぬってクリストファー・ノーラン監督が初来日を果たし、記者会見が行なわれた。黒のスーツ姿で会場に現れたノーラン監督は、フォト・セッションの最中に、自らもポラロイド・カメラを会場に向けるなど、リラックスした感じだったが、一つ一つの質問に丁寧に答え、ご自身の言葉どおり根っからの映画好きで、真面目な映画青年といった様子だった。
Q.10分前の記憶を忘れてしまう男という珍しい素材ですが、発想のきっかけは?
「この話の元は弟のジョナサンによるものなんだ。彼が書く短編小説について、ロスに移動中の車の中で話してもらったのがきっかけだ。すごくいいアイデアだったので、是非映画として脚本化したいと話すと幸運にも同意してくれたんだ。それで彼は小説として、僕は脚本として書き始めたわけだけど、二人とも主人公の物語がどのように紡がれていくかのアプローチとして一番面白いのは、主人公の一人称による彼の主観で語っていくのが効果的だということになったんだ。ジョナサンの短編小説の方は、アメリカでは今年の3月に出版された『エクスワイア』誌に掲載されたよ。兄弟のコラボレーションとして、大変有意義なものだった。けれど、アイデア自体は彼のものだよ。彼は、当時大学で心理学の授業を受けていた時に、この症例にあたりインスパイアされたそうだよ。」
Q.時間軸をばらして再構成する画期的な構成ですが、編集でご苦労されたのでは?
「この作品は一人称で語るのが望ましいというのは弟とも話したんだ。それは、主人公の頭の中にいかに観客を持ってこれるかにつきるんだ。主人公のレナードは、自分の頭の中に留めておける情報がいたって少ない。それと同じ経験を観客にしてもらうしかないと判断した時に、必然的にこういった構成になったんだ。そういう意味では、一番苦心したのは編集よりも脚本の執筆の方で書き上げるまで非常に時間がかかったんだ。撮影・編集という段階では、構成自体はきっちり書き込まれた脚本に沿えばよかったわけで、それほど大変ではなかったんだ。この構成で、フィルムノワールに見られたパラノイア・不安などを喚起させるものになったのではないかと、自負しているんだ。」
Q.レナード役のガイ・ピアースさんの演技や演技指導についてお聞かせください。また順撮りだったりシーンをバラバラに撮ったりと、撮影の進め方は色々ありますがこの作品ではどのような形だったのですか?
「ガイ・ピアースは素晴らしい役者で、才能もさることながら一つの役をつくるに際して綿密なアプローチをしていくんだ。台詞の一つ一つを吟味し、パーフェクトに演じてくれる。そして、役者であると同時に、物語に対してつじつまがあう、ああわないという論理的なフィルターの役も負ってくれたんだ。役者として自分が肌で理解できないものは演じてくれない。何か齟齬があった時は、話し合って詰めていかなければならない。そのフィルターによって、より論理的な作品になっていったわけだね。
この作品に限らず順撮りで撮影を行なうことは難しい。だけど、構成自体は脚本段階でかっちり書き込んでいたので、それを特に意識はしてないよ。ただ作品の中のストーリーが起きた順番、客観的な時間経過とスクリーンで編集され観てもらう時間が別であることは、常に頭におき撮影に臨んだんだ。」
Q.コーエン兄弟、ウォシャウスキー兄弟に続いてすごい御兄弟の登場だと思ったんですが、今後弟さんと仕事をする予定は?
「『メメント』でのジョナサンとのコラボレーションはいい経験だったし、客観的に見ても彼はライターとして優れている。現在は小説を執筆中で、僕も他の作品と今はちょっと離れている。いつかまた、一緒に作りたいね。」
Q.これまでに影響を受けた監督や、どのように映画を学んだのかなど、監督の映画についての歴史をお聞かせください。
「映画は子供の頃から大好きで、7歳の頃から撮っている。映画学校に行くとか特別な勉強はしていないけど、本当に多くの作品を観たのでそこから学んだことは大きいと思うよ。実験的な編集が記憶に残っているニコラス・ローグの『ジェラシー』や、スタンリー・キューブリック監督、リドリー・スコット監督は僕に影響を与えてくれたと意識しているし、『メメント』に関していえばジョン・フランケンハイマー監督の『セコンド』、アラン・パーカー監督の『エンジェル・ハート』『ピンク・フロイドのザ・ウォール』の物語の紡がれ方が参考になったと思う。
ただ、作品を撮っている時には自分の好きな作品とかは考えず、またあえてほかの作品を観ないようにしているんだ。そういったものを念頭においてしまうとコピーになったり、敢えて別のものにしようと意識しすぎることになってしまうので、距離を置き自分と作品のクリエイティブに参加しているスタッフの意見の中から新しいものを作るのが望ましいね。」
Q.箱のような部屋に光が差し込む描写が真実の光であるかのように見えたりしますが、そのあたりのセットやライティングなどの効果についてお聞かせください
「この作品は、レナードの経験を主観的に撮るというのがポイントだから、今回ロングやワイド・ショットはほとんど使っていない。彼は記憶を長く保てないわけだから、一つの部屋に入っても、何のために、どうやってそこに入ったか、外の世界に何があるかさっぱり覚えてない。つまり彼の主観では、1メートルくらいの世界しかないんだ。光も外から光が入ってくることによって、外には何かがあるけれどもそれが何かはわからないという、彼の主観を表現したものなんだ。
なお『メメント』は今秋、渋谷のシネ・クイントにて公開が予定されている。
執筆者
宮田晴夫