映画美学校の脚本・演出担当の4人の講師がそれぞれメガフォンを取り、第2期高等科生とのコラボレーションにより制作された4短編作品からなる“シネマGOラウンド”が、現在アテネ・フランセ文化センターにて好評上映中、週末にはそれぞれの作品の監督の代表作の特別上映やトークショー等のイベントも開催されている。
6月30日(土)には、現在新作『完全なる飼育/愛の40日』も好評上映中でRound3『桶屋』を監督した西山洋一さんの代表作2本を上映する特別上映とトークショーが開催された。この日のトークゲストは西山監督と『リング』シリーズ等の脚本で知られる高橋洋さん。お二人は、映画美学校の講師陣の中でもお互い特に付き合いが長く、西山監督は高橋さんが自主映画を撮っていた頃の一つ先輩にあたり、高橋さんの作品に西山監督が出演したり、西山監督の作品の脚本を高橋さんが書いたりと、お互いに気心もよく知れている間柄だそうだ。「西山さんは、あまり話さない方だから、今日はしっかり進行を書き出してきました。この内容に、西山さんが相槌をうつだけで終わっちゃうかもしれないけれど(笑)」(高橋さん)と始まったトークショーだが、ヒッチコックや山田洋次、黒澤明、スピルバーグなどの例を交えながら、映画美学校の講義さながらしっかりと密度の濃い90分間となった。そのほんの一部を紹介しよう。






 “シネマGOラウンド”という今回の試みに関し高橋洋さんは、“『サイコ』のシャワー・カーテンが開けられた後の映画”といった内容のコメントを寄せている。60年公開の『サイコ』は、それまで描かれたことがなかった裸の女がナイフで切り裂かれる場面を、ヒッチコックは参照にすべきものが無い中で、いつか起こるであろうと思わせる殺人への予感を高めてから、シャワー・カーテンの場面が組み立てられたと。だから、開ける前のカーテンの描写が滅茶苦茶に怖く、その後のモンタージュはバーナード・ハーマンの音楽が無ければハチャメチャだろうと。そして現代の映画“シネマGOラウンド”は、既にカーテンが開いてしまった後から始めるしかない。それぞれの作品に基盤があっても、その上にあぐらをかくことなく、放棄したところから始まっているのではないかと。
 これに対し西山監督は、「カーテンが開けられてしまうことは何年かごとに起こり、その都度何かが変わっていき、開いてしまった後で何をするか考えざるをえません。また、そうしていくつかのカーテンが開いた状態で次に何処に穴を開けるかを探しているんですかね。自分に関してはよく判りませんが、他の3人の監督さんたちはそうだと思いますよ。各作品とも一度観ただけではよく判らず、二度観て判ってくるような違和感がありますね。」と語る。
 西山監督が今回撮った『桶屋』という作品は、「風が吹けば桶屋が儲かる」という諺の完全映像化に挑んだ不条理コメディ。「今回の作品は4本とも壊れてると思うんだけど、西山さんだけ壊し方が違いますよね。カット割とか技術は完成されているのに、それで物語を語るんじゃなくて諺…馬鹿じゃないの?(笑)…って飲み屋の馬鹿話ですよね、でもその言葉暴走というか異物感が落語に近いと思うのだけど」という高橋さんの言葉に、西山監督はそのスタートに関して「落語と言うより漫才ですか…“ボケと空耳”。ある言葉が別の言葉に聞こえておかしくなっていくという、外国人には通じないギャグですよね。マルクス・ブラザースのグルーチョが大好きで、彼らはどたばたしているけれど言葉の人たちだという感じなんです。そんな彼らの作品の笑いが、日本語字幕ではなかなか伝わりづらいので、自分で日本語で作ってみようと思ったんです。」と語った。







 穴をあける、カーテンを破るところから作品を撮っていく。現在高橋さん御自身も、現在ホラーの表現は『回路』で終わったかな…という思いを持っているとのこと。しかし観客の「まだまだ怖い映像を」という期待とのギャップの中で、それでは既存のものを壊し別のことを考えよう、でも無いよ…ということを繰り返し、壁を破る困難さを当事者として痛感しながら作品に取り組んでいるそうだ。そうした現状を打破するためにも、有効かもしれない一つの方法論が西山監督の“ワン・カット、ワン・シーン”という考え方だ。
 西山監督によれば、長回しの撮影を日本では“ワン・シーン、ワン・ショット”という言い方をするが、アメリカでは“ワン・ショット、ワン・シークエンス”と逆の表現になる。日本語ではシナリオのシーンが先行して、それをいかに撮るかという中で長回しが使われたりするニュアンスだ。これが英語の場合の逆表現で考えると、シーンの繋がりやそれが上手くできているかではなく、ワン・カットの力だけにかけて撮れば、シナリオで想定されているシーンから解放され撮れるのではないかというもの。この考え自体は、それこそ自主映画時代から考えられていたそうだが、商業監督として作品を撮っていくにつれ、より実際的に感じられるようになってきたそうだ。ブレヒトの叙事演劇とも共通するこの考え方は、アメリカ映画が持つ自在性であり、1カットに1シーン分くらいのエネルギーをそのカットにぶち込んだ独立性を持っているのが西山監督の作品だと、高橋さん。そして、マンガの例をとりその究極的な形は紙芝居だと。確かに、上映時間中、一瞬たりとも眼が離せないというような、密度の濃さを感じさせる作品が少なくなりつつあるのも事実だ。今回の作品は、そんな状況に一石を投じてくれるものになってくれるに違いないことを予感させてくれる。
 この他にも、“ヴィジュアルとイメージ”のこと、“監視者の視線”のことなど興味深い話題が次々と展開された90分だった。トークの締めとなった「伝えることにどれだけ決死でいられるか」という言葉どおり、4人の監督がそれぞれの作品世界を描いた“シネマGOラウンド”は7月7日までアテネ・フランセ文化センターにて上映中だ。また、7月6日・7日には特別上映とトークショーも開催される。詳細は、下記のリンクを参照のこと。

執筆者

宮田晴夫

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