生きる喜びを伝えたい〜「将校たちの部屋」フランソワ・デュペロン監督インタビュー
第一次世界大戦で、砲撃で顎を吹き飛ばされ、顔に醜い傷を負ったアドリアン。彼が運びこまれた病室は、彼と同じように顔に傷を受けた男達ばかりの部屋。容貌を気に病み、自殺する者もいる中で、アドリアンは仲間達や献身的な看護婦アナイスの協力で絶望を克服していきます。原作の小説では、彼と仲間達が傷痍軍人を助ける団体を作り上げるまでの話になっていますが、映画ではアドリアンが退院して社会へ復帰するまでを描いています。
その過程を情感あふれる美しい映像で創り上げたフランソワ・デュペロン監督に話を聞く事が出来ました。
−−昨日、上映後になかなか拍手が鳴り止まなかったのが印象的でした。この映画はアドリアンが顔の傷と一緒に心の傷を癒していく過程を描いたものだと思うのですが。
この映画のテーマというのは、戦争の事でもないし、一人の人間がいかに立ち直っていくかという話です。私は幸いに身体的な傷を負う事はなかったのですが、しかしあらゆる傷、身体の傷だけではなく、心の傷を持っている人が立ち直っていくという事、その立ち直り方を見せたかったのです。その過程の中には一時は絶望して自殺をしようという事もあるわけです。そしてだんだんと周囲の暖かい視線と気持によって、立ち直って来る、その過程を見せたかったのです。
−−その過程でアナイスが重要な役割を持っていると思います。仲間の一人が聖母マリアの像を木で彫りますが、ある意味、象徴的な存在になっていると思うのですが。
アナイスは母親的で、母性以上のものを持っていると思います。傷ついた人はちょうど生まれた時の赤ん坊の状態に戻ると思います。そして生まれてからしばらくの間は、本望であろうとなかろうと、母親の愛情が必要になるわけです。特に母親の献身を必要とするのです。傷ついた人も母親の代わりになるような献身的な人が必要なのです。そこから聖母マリアとの近づきというのが出て来る訳です。イギリスの精神分析医が「子供の生まれたばかり母親は子供の事しか目に入らない」と言っているのですが、そういう状態が傷ついた人には日強いだと思うのです。そういう状態が少しづつ薄れていって子供と母親が別れるように、傷ついた人と介護人が別れていく訳ですが、それがだんだんとゆっくりと行われなければなりません。突然引き裂かれてしまうと、それが心の傷となって残ってしまうからです。
−−アドリアン役のエリック・カラヴァカについてお尋ねします。彼をアドリアン役に選んだ理由を教えて下さい。
彼が優れた俳優である事も理由ですが、彼に初めて会った時に、私に凄く近い人だと思ったのです。あまりにも近いので当惑する位でした。私はセリフやシナリオを書く時に、自分では口に出して言ったりしないのですが、頭の中で響きとして浮かんで来るのです。彼がセリフを読むとそれがそのままの響きに一致するのです。
−−そうするとアドリアン役を創り上げるのに、彼とのディスカッションはスムーズにいったのでしょうか。
言葉に出して話し合う必要はありませんでした。一緒に色々な体験をして用意をしました。たとえば外科医に会いに行ったり、本当に傷ついた人に会いに行ったり、言語障害に人のリハビリを行う人に会いに行ったり。これは見ておいた方がいいという映像を見てもらったり、という形で準備しました。
−−顔を特殊メイクで隠したり、声もうなり声だったりと言う事に、エリックは抵抗を示しませんでしたか。
いいえ、問題は全然なかったですね。彼の俳優としての仕事の仕方というのが、ある役柄があると自分を消してその役になるというアプローチの仕方をします。彼はまさにこの役に適していました。彼は舞台で芝居を沢山やっている人です。日本で能面があるのと同じようにヨーロッパでも仮面劇かあります。映画だけをやっている役者さんだとしたら、顔が出ない事を気にするかも知れませんが、舞台をやっている役者さんというのは、むしろ表面的なものがない事に寄って、もっと深いものが演じられるというきっかけになるので、喜んでくれるのです。
−−大変映像が美しい映画ですね。撮影がテツオ・ナガタさんという日本人の方だと聞いたのですが。監督の表現したいものが彼に助けられた部分というのはあるのでしょうか。
ナガタさんとは仕事をするのは2回目ですが、彼は私の映画作りを非常に助けてくれました。彼も私と波長が合う人間で、文化の違いはありますが、人間性は近いと感じます。私が彼に提案して彼が提案内容を感じてくれるかどうか、すぐ解るのです。彼がピンと来なかったらやめてまた違う提案をするという感じでした。彼の提案の仕方も同じで、私がピンと来ているかどうかで判断していました。
−−クレメンスの顔が象徴的に使われていますね。アドリアンが倒れたり意識を失ったりすると、覗き込む周囲の人達の顔のひとつがクレメンスになったりしていました。あのアイデアは監督のアイデアだったのでしょうか。
私のアイデアです。私はシネスコで撮っているので、フレームの中に沢山の顔が入るので、ああいう風にしたのです。
−−あれは大変印象的でした。クレメンスの面影が、アドリアンの生きる事への執着やポジティヴに生きようとするきっかけになっていたと思います。実際に彼が立ち直ってからクレメンスに再会しますが、クレメンスは彼を覚えていない。けれども彼は前向きに歩いて行く。彼はクレメンスそのものに執着していたのではなくて、彼女を通して生きる事への希望を感じていたのだという事に、自分で気が付いている、そう感じましたが。
その通りです。原作の小説の中では違う扱いになっています。小説の中ではクレメンスには子供がいて、彼は自分の子供だろうかと悩むのです。それでクレメンスとの関係でもう一度傷を受けて、傷が治っていくという過程を小説の中では延々と描いています。けれども私はその部分は省いて、クレメンスはあくまで過去の人生、クレメンスと出会う事で過去の人生と決別するというようにしています。
−−最後に日本の皆さんにメッセージをお願いします。
この映画の中でアドリアンが「私は病院で5年間過ごして来ましたが、やっぱり生きる事は素晴らしい、人生は生きるだけの価値があると思います」と言っています。私も日本の皆さんに同じ事を言いたいと思います。
(聞き手・構成 NAMIKO SUZUKI)
執筆者
NAMIKO SUZUKI