三浦哲郎版<女の一生>と評価された「夜の哀しみ」(新潮社刊)が、このほど映画化された。7年7ヶ月の紆余曲折を経て、本篇を完成させたのはこれが劇場映画デビューになる岡泰叡監督。舞台出身の実力派・平淑恵をヒロインに据え、日本映画ではほとんど語られることのなかった“女の情念”をスクリーンに残した。「愚かな女が菩薩になっていく、罪と罰と再生の物語を撮りたかった」(岡監督)という。青森の小さな港町を舞台に純粋な女性の性衝動とそれがもたらす悲劇を描いた本篇は今月26日から、新宿東映パラス2を皮切りに全国で順次ロードショーされる。海外市場をも視野に入れると言う岡監督に単独インタビューをお願いした。
(撮影/中野昭次)





——映画化まで7年7ヶ月。紆余曲折があったと聞きますが。
三浦哲郎さんの原作を読んで、探していたのはこの小説だと思いました。けれど、その時点で新潮社には8社からの申し出が来ていたんです。私には映画の実績はなかったですし、後ろに大手が控えているわけでもない。“個人は相手にしない”とはっきり言われましたよ。だけど、どうしてもあきらめきれなくて担当者を説得し、三浦さんには何度も何度も手紙を出しました。承諾が降りたのは半年後でしたね。
その後は製作に向けて動いていたわけですがプロデューサーと揉めたりで遅々として進まず、4年目には別の会社に取られてしまったんですよ。大監督、大物女優で話が進んでいたらしいのですが、幸いなことにその企画も風化してしまった(笑)。そこで作者に再度連絡を取りました。”今度こそ、進めるからお願いします”と。そうしたら、三浦さんは“僕は最初からあなたにお願いしたかった”と言ってくれたんです。

——三浦哲郎さんに宛てた手紙には何を書いたんですか。
 どういう風に撮りたいか、どんなイメージを描いているかを書きました。この話を別の監督が撮って、別の役者さんが演じたら全然違う映画になっていたと思うんですよ。私の中にあった大まかなテーマは罪と罰と再生。“バカな女が苦労しながら、最後には自分のバカさ加減に気づき、菩薩になっていく”、そういうイメージを描いていました。

——数ある小説の中から、『夜の哀しみ』にそこまで惚れこんだのは何故なのでしょう。
29歳でテレビの監督を始めて、アクションものを中心に撮って来たんですが、人間を描きたいという欲求が常にあったんですね。実際、そういうシーンを取り入れてよく怒られてましたし(笑)。まぁ、それでも人間を描くには40歳を過ぎなきゃダメだろう、と思ってたんです。それにこれ、と思う原作にはなかなか巡り合えなかった。30代はいろんな作品を読んで探っていった時期でした。
仏教には“常楽我清(じょうらくがしょう)”という言葉があります。人間は生まれながらにして罪を背負って生きていて、だからこそ生活の中で苦しむ。その苦しみの中で一生懸命生き、最後に人間になる。「夜の哀しみ」にはこれがありました。女性の性衝動というだけの話だったら私が撮る必要性は感じなかったと思うんです。






——「女の一生」などで知られる舞台女優、平淑恵さんを登世役に起用した理由は。
登世は35歳という設定なんですけど、この世代の日本の女優さんは少ないんですね。平さんはこれより上になってしまいますが、演技力でもって彼女なら、35歳に見せてくれるだろうと思ったんです。それに、この作品は日本市場よりも外国を狙った方向で考えていましたからね。ネームバリューよりも役者としての力のほうが大切でした。

——海外市場に向けた、というのは。
女の情念を描いた作品って日本映画では殆どないんですよ。日本流の女の情念は、海外で受けるんじゃないかと踏んでるんですね。各国の映画祭に出品し、何年か掛けて世界を回れたらいいなと思っています。

——登世の親友、栄子を涼風真世さんが好演しています。華やかな栄子と地味な登世、対照的に描かれていますが。
涼風さんとは一度仕事がしてみたいと思っていたんです。彼女も映画が初めてだと言うから、びっくりもしたんですけど…。
劇中では2人の衣裳にも注目していただきたいんです。栄子が着ている衣裳は「ジュン・アシダ」です。一見、女っぽく見えますが、彼女は不感症という性的な問題を抱えている。女っぽく着飾ってもそういう意味では女じゃないんですね。一方、登世は隠しても隠しても女が出てきてしまう。全然おしゃれじゃないけど、彼女のほうが女なんです。

——撮影は青森県深浦町周辺。スクリーンから寒々しさが伝わってきます。
 ほんとに寒かったですね(笑)。たよ婆を演じた加藤治子さんには“1分と立っていられない”と言われましたよ。でも、この映画で“寒さ”は非常に大切な要素ではあったんですね。原作は同じ青森でも八戸で太平洋側で暖かい感じがするんです。もっと寒々しくて寂れた町はないものかと日本海側で探してみて、辿りついたのがあの場所です。

——これが劇場長編デビューになるわけですが。
実は初めてという印象はないんですよ。40歳までやってきたことは全て映画のための序曲だと思っています。絵コンテにイメージを当て込んでいくように、この10何年間かで会得した人生観や哲学を当て込んでいただけですから。でも、これ一本で日本の映画業界の受難を全て経験しましたね(笑)。
(撮影/中野昭次)

執筆者

寺島まりこ

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