4月21日、東中野BOXで、映画「青−chong−」の舞台挨拶が行われた。この映画は 、朝鮮学校に通う“在日”高校生の青春を描き、ぴあフィルムフェスティバルでグランプリを獲得した作品だ。
 舞台挨拶の出席者は、監督・李相日さん、主人公の青年テソン役の眞島秀和さん、テソンの友人ヒョンギ役の山本隆司さん、同じく友人チョンボ役の有山尚宏さん、テソンが恋心をいだく美少女ナミ役の竹本志帆さんである。司会は映画プロデューサーの安岡卓治さん。
(撮影/中野昭次)


−−今、日本映画は、カンヌ映画祭への参加作品も発表されて“活気がある”という印象を内外に呈しています。そんな中で「青−chong−」のような直球型の青春映画はとても 少ない。こういった作品は、どういうプロセスの中で生まれてきたのですか?
「最初に日本映画学校のロゴが出ていたように、学校の卒業作品なんです。卒業映画は、1クラス20人のうち、監督として撮れるのは1人か2人。“3年間学費を払ったのに、卒業作品を撮れなかったら、何のために学校にいったかよくわからない”と思いまして。それで“どうやったら卒業映画を撮れるか”と考えた時、ちょっとキワモノ…僕にとっては普通のことなんですが、ほかの日本人にとってキワモノであるようなことをやったらどうかと思ったんです。
 それがこういう形で賞をいただき、一般公開もされて…。ちょっと行きすぎたかなというのはありますが、まあ、素直に良かったなと思うことにしています」



−−「青−chong−」に出演した俳優のみな さんは“在日”ではありませんね。日本人として育ち、生活してきて、この映画に出演するにあたり戸惑いもあったと思いますが。
竹本 「高校生の時に“朝鮮学校の学生って恐いんだよ”という噂を聞いていて。そういうイメージしかなかったんです。だけど脚本を読んで“ああ、私たちが高校生の時に感じたり、悩んだりしたのと同じだなあ”と思いました。でも一方で“在日だから抱える悩み”も描かれている。そういう“私たちと同じだけれど決定的に違う所”をどう表現したらいいのか、という戸惑いがありました。それは、撮影している時も、今もあります。私の中では反省することばかり。乗り越えたとは、とても思えないですね」
眞島 「僕は出身が山形なんですが、山形にはあまり朝鮮の方はいなくて。僕はまったく知識がなかったんです。撮影現場で初めて、朝鮮人のおばさんの話とかいろいろ聞いて“ああ、そういうことがあるんだ”とびっくりしました。撮影には、エキストラで在日の方もたくさんいらしていたんですけれど。違いはあるんだろうけれど、別に違わない…すごく不思議な気持ちでした」
山本 「僕は大阪出身なんです。その点は眞島君と違って、通っていた高校のちょうど隣が朝鮮学校でした。小学校の時もクラスに10人くらい在日の子がいて、その子たちから“実家のおばあちゃんは朝鮮語でしゃべっている”とか、普通に耳にしていたので、わりあい素直にこの映画の世界に入れたんです。でもいざ入ってやってみて“奥が深いテーマだったんだなあ”と、改めて知りましたね」
有山 「僕はそういう題材に対して、奥を深く考えなきゃいけないのかなと最初は思ったんです。でも監督から“チョンボ役はそんなに深く考えないで、のびのびやってくれればいいから”というお言葉をいただいたので、そのままのびのびやってみました」





−−ここで、演出も含めた作品の中身の話を監督からお聞きしたいと思います。この映画は、監督ご自身の話なんですか?
「自分の話とそれ以外の話をミックスしました。最初にラストシーンが決まって、そこに向かって、自分の体験や人から聞いた話を脚色しつつ埋め込んでいったという感じです。高校時代、テソンと同じように僕も野球をやっていました。でも高校3年生の時に野球部をやめて、やめた途端に朝鮮学校の高校野球連盟加盟が決まったんです。そしてテレビがわあわあと取材に来た…。あと一週間ズレていたら、僕は野球をやめてなかったですね(笑)」
−−俳優さんたちには、監督の中にある登場人物のイメージをどう伝えたんですか。そして、どう演出したんですか?
「あまり演出した覚えが無いんです。僕の中では全部一発オーケーだったような…」
竹本 「意義あり(笑)。ナミが楽器のヘグムをいじめっ子に折られ、その折られたヘグムをずっと見ているシーン。そこは“これ以上どうしたらいいの?”というくらい“もう一回”“もう一回”と、何度も撮り直しました。最後には“ヘグムを折られて悔しい”というより、できない自分と“どうしたらいいんだよ”という監督に対する悔しい思いが、ちょっと出てしまったかなと思います」
「それで良かったんじゃないかなと思います。“折られて悔しいから、こういう顔をして”と言葉にして言うのが面倒だったから、“じゃあ、本当にムカついてもらえればいいか”と思って(笑)」
眞島 「テソンは、所作もなく、演出もなく、ただ立っているシーンが多かったんですけれど。一応、自分の中では、いろいろテソンの気持ちを考えていたんです。しかし、李監督は飄々とした方で、“OK”といっても浮かない顔をしている時もしばしば。“本当にOKなんですか? 何かあるんだったら言ってください”と思いましたね」
山本 「そう言われてみると、ヒョンギ役もNGはあまりありませんでした。“これはNGだろう”というシーンも、そのまま作品になっていて…あれで本当に良かったのかなあ」
有山 「チョンボは、よくしゃべっているシーンが多いんですよ。学生映画の場合、フィルムの関係で一回しか撮影ができないという事情がありますので。リハーサルを何度もやって本番を撮る。NGを出したくても出せないんですよね。そういう意味では、NGはなかったことになるんですが…監督のお気持ちはどうだったんでしょうね?」
「いや、全く問題ないです」


−−では客席の方。なにか質問があったら、どうぞ、お聞きになってください。観客「この映画のように青春や友情をストレートに語るのは、直球勝負で、ちょっとテレくさい感じがするんですが…。それをテレずにやる情熱はどこからくるのでしょうか」
「最初は自分なりの変化球のつもりだったんです。それが思い切りスッポぬけたみたいな…棒玉になってしまった感じなんですね。メインにあるのが在日の若者の話なので、それだけを見ると、どうもマイナスのイメージがつきまとう。それで、どんどんマイナスの部分を削ぎ取っていったら、すごい直球になってしまったんです」
観客 「監督の今後の活動を教えてください」
「もう一回映画学校に入り直して、ちゃんと勉強しようかなと思ったんですが、それもできないので。まあ、自分なりに本を書いて、撮らせてもらえるチャンスを待つという…プータロー的な発想しか今の僕にはありません。もし“映画を撮らせてあげよう”というお金持ちの方がいたら、いつでも携帯番号をお教えます(笑)」
−−かく語る李相日さんは、実は、ぴあにオーガナイズしてもらって新作映画を撮るというチャンスを獲得しています。
    *   *   *
 公開初日、朝の回の舞台挨拶だったが、客席はほぼ満員。予定の30分間を過ぎても質問はとどまることを知らず、映画製作側と観客側が大いに近づいた、価値あるひとときだった。
(撮影/中野昭次)

執筆者

かきあげこ

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作品紹介
「青−chong−」監督・李相日インタビュー