「これは眼力での決闘。目の力の強い俳優であること。そしてハンサムであること(笑)」。ジャン=ジャック・アノー監督の新作「スターリングラード」は第二次世界大戦時に実在したドイツ人スナイパー、ヴァシリ・ザイツェフの愛と生の物語。演じるのがジュード・ロウとくるから、「セブン・イヤーズ・イン・チベット」のブラピに続く、汗まみれの原色イイ男ムービーと見込んでハズレなし!!4月4日、帝国ホテルで行われた会見ではアノー自身がその意図を明らかにしてくれた。少年時代、日本映画と日本音楽で育ったと言うだけ、日本びいきはベテランの域の監督。満面の笑みで臨んだ会見模様をレポートする。
※「スターリングラード」は14日から日比谷スカラ座ほか全国東宝洋画系で公開






——実在の登山家を描いた「セブン・イヤーズ・イン・チベット」に続き、実在のスナイパーの物語を映画化。この題材に惹かれたのは。
私にとっての映画は“学ぶこと”。劇場を出た時に“新しいこと(世界)を学べた、知った”と思えると嬉しくなってしまう。観客の時もそうなら自分で撮る時も同じなんだよ。「スターリングラード」については、以前からロシアのものをやってみたかった。東欧世界の寛大さに興味があってね。そんな時に友人が実在した狙撃手の話を見つけてくれたんだ。

——ジュード・ロウにジョセフ・ファインズ、戦争映画なのに女性ファンが並びそうですね。起用の理由は。
英国で最もセクシーな2人を選んだんだよ(笑)。ハンサムであることは条件のひとつだった。美しさは人の心を捉えるからね。英雄になったスナイパー、ヴァシリの美貌は戦時中のプロバガンダに使われたくらいだった。それともうひとつ、重要だったのが目の力。この映画で眼力による決闘を描きたかった。
キャスティングは最初にファインズが浮かんだ。「恋に落ちたシェイクスピア」でインテリっぽいイメージがあって、ドイツ将校にびったりだと思った。実際の彼は本当に強い目をした男で、1分間くらい瞬きもせず私を見つめることもあった。
ヴァシリ役は150人以上の候補者に会った後、ジュード・ロウに決まった。彼は当時「リプリー」の撮影中でなかなか会えなかったんだけど、やっと会えたのがあるレストラン。彼はずっと奥に座っているのに入り口に立った途端、惹きこまれる感じがあった。それくらい光ってた。ブラッド・ピットと会った時と同じだったね。

——2人ともイギリスの俳優ですが仕事ぶりはいかがでしたか。
 アメリカの俳優なら台詞を1日分しか覚えてこないのが普通なんだけど、彼らはシナリオの最後まで台詞を覚えてくる。自分のだけでなく、他人のまでね。イギリスのプロフェッショナルでジェントルマンだと思う。






——ヴァシリ(ジュード・ロウ)と恋に落ちる女性兵士をレイチェル・ワイズが演じています。
撮影準備のために、ロシアの博物館を訪れたんだけど、女性スナイパーの写真を見ると何故か背の高いブロンドの女ばかりだった。でも、僕はモデルっぽい人を使いたくなかった。レイチェルのような生身の女を使いたかったんだ。
 オーディションにはチャーミングな若い女優さんがたくさん集まった(笑)。その中でもひときわチャーミングでダイナミックだったのがレイチェルだったんだ(笑)。“女性レジスタンスの役だけど大丈夫?状況がわかるかな?”と聞くと彼女はいとも簡単に“わかってる”って答えた。それもそのはずで、レイチェルの伯母は劇中のターニャと同じように女性兵士だった。

——ヴァシリ・ザイツェフって実際はどんな人だったんですか。
 戦争前のロシアではライフルを持ってはいけないという法律があった。法律違反した密猟者が戦争になって英雄になったという皮肉な話でもあるんだ。彼は若い兵士から“教えてくれ”と言われることが多く、スナイパー学校のようなものを開いていたらしい。訓練を受けにきた女兵士も多くて、そのうちの一人がターニャだった。
当時のロシアでは85万の女兵士が前線で戦ったと言われている。サバイバルした人は大抵、結婚して戻ってきた。戦争中に恋人ができてね。防空壕の中でヴァシリとターニャが結ばれるシーンがあるんだけど、ああいうことは良くあったらしい。この映画を観たロシア人のジャーナリストはこう言ったよ。“あれで私は生まれました”って(笑)。

——フランス生まれの監督が国外を舞台にした映画が多いのは何故でしょう。
その質問には納得の行く答えが返せると思うよ。私は少年時代をパリ郊外の小さな町で育った。いわゆる地域社会を痛感し、別の空気を吸いたいという気持ちが必要以上にあったんだよ。自分のことを囚人のように思ってた(笑)。
ちなみに囚人の心を開かせたのは日本映画と日本の音楽。13か14歳の頃、フランスで初めてステレオラジオが登場したんだけど、両親に“何か欲しいレコードはある?”と聞かれて“日本の伝統音楽!”と答えた。親はびっくりしてたんだけど(笑)、そのアルバムはいまでも持っているよ。同じように私の人生で腰を抜かすほどにぶっ飛んだのはアメリカ映画じゃない、日本の時代もの、黒澤や溝口、小津作品だった。

執筆者

寺島まりこ

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