『迷い猫』(98)『今宵かぎりは・・・』(99)と、日常の裏に潜むイノセンスと狂気をクールに独特のタッチで撮りつづける、ピンク界の俊英・サトウトシキが殺人者の孤独な心情をモノローグ形式で綴った『青空』。
激しい愛情の果てに殺人をおかしてしまう男の心情をモノローグ形式で撮った、サトウトシキ監督に作品について語ってもらった。




−−麻薬の売買をしている主人公の順一。警察に踏み込まれてアパートを飛び出してから、延々どこまでも走りますよね。そのあと、いつの間にかマラソンが彼の習慣になる。彼はなぜ走るのでしょう?
「走るのが、ひとつの快楽になっている部分がありますよね。それはセックスに関してもそうなんだけれど…。“逃げた”という行為が、その後の彼を形成してしまっている。それを彼は否定できるかっていうと、できないんだよね。生理的に。だから走る」
−−この映画はセックスのシーンも多いですね。順一と久美子という少女。順一と工場の奥さん。工場の社長と従業員…。走ることとセックスとが、不思議に呼応し合っているようにも思えるんですが。
「たぶん“生”ということなんです。“生”を極端に置き換えてしまったんだと思いますよ。走る一方でセックスしてる。その二つはウェイトとしては全く一緒なんです。
 セックスやマラソンの向こうに見えそうなのは青空。“青空”=“幻想”なんじゃないかと僕は思うけれど。この映画はそれを探してる男の話なんだよね。
 彼に“不安”みたいなものがあるとする。不安を取り除くひとつの方法として、何か夢中になれるものがあれば、ホッとする時間を持てるんじゃないだろうか。それが彼の場合は、女の子だったりセックスだったり」
−−順一は、セックスと走ることの他に、いつも武者小路実篤の詩の一節を愛唱しています。それもユニークですね。
「それも、さっき言ったことと一緒なんです、多分。人間はバランスを取ろうとするじゃないですか。行き過ぎたら、戻らなくてはと。立て直そうという意識がどこかで働いている。実篤の詩は、そんな中で見付けたものだとは思うんですけれどね」
−−セックスシーンは、普通のポルノ映画の欲情をそそるようなセックスとは一味違いますよね。描写における監督のこだわりは何ですか?
「映画の中で“じゃあ、ここからセックスシーンだ。ここから芝居ね”っていうのはないと思うんですよ。だから、セックスだけが特別なシーンというわけじゃない。芝居の流れの中で撮っています」



−−カメラの角度などは、すごくストレートな感じがしました、セックスシーンに関して。ボカすというのではなく、ある意味自然。ある意味、そのまんまという…。
「規制がいろいろあるので、その中で撮ってはいるんですけれど。ヘアの問題とか。全部見えれば、それに越したことはない。一番、いいところにカメラが入るのが普通じゃないですか。その“芝居”が一番よく見える角度に。規制はあるけれど、でも自由に撮りたいですよね」
−−“人間の肉体の美しさ”みたいなものも尊重してらっしゃるんですか。
「そうですね。人の“生理”にこだわって行かなくてはいけない。それが、実際映像に映っているのかどうかは、僕にもわからないんだけれど。でも、現場にいる時は確かに感じることができるんです」
−−その“生理”は、さっき言った“生”にもつながっていますよね。
「そうですね。それがこだわらなくちゃいけないところ。探るというか、見つけるというか…。見つかんないんだろうけれど」
−−順一と久美子のシーンで、特に気に入っていらっしゃるところはありますか?
「後半全体です。頭の方から組み立てていって“じゃあ後半にこの二人はどうなるんだ?”というところが見たい。僕自身も見たいんです。二人が再会して、順一がアパートに誘って…というところからが特に、ですね」
−−あのくだりは、独特な空気が支配していましたよね。アパートから何日間も外に出ずセックスだけをする…。阿部定事件を彷彿とさせますが、意識はなさいましたか?
「いや、全然していない。それどころじゃなかったですね。僕は撮影の最初の頃は、だいたいキゲンが悪くて。すべてが間違いだったんじゃないかと思ったりするわけですよ。だから、そんなゆとりはなかった」



−−−サトウ監督は“絶対零度のエロスを描く監督”と言われていますが。セックスやエロティシズムについて、どういう興味をお持ちになっていらっしゃるんですか?
「“絶対零度のエロス”? それは宣伝の人が言っているだけなんです(笑)。僕は、特別変わった趣味があるとは思っていませんよ。でもセックスには、快楽以外にも何かあるだろうなとは思います。裸になる、自分をさらすということは、相手が好きな人であれ、なんであれ、やっぱり何かあるだろうなあと…」
−−なぜ、今のようなお仕事を始めたんですか?
「いやあ、ピンク映画が好きで好きで。ここしかないだろう。ここならもしかして…と思ったんです。ピンク映画が僕にとっての“青空”だったわけです。ピンク映画が好きな理由? 裸が見られるというのがうれしかったですね。若ければ若いほどに“興奮”は、気持ちと関係なく、していたわけです」
−−今、監督としてお作りになっていても、興奮なさいますか?
「肉体的な興奮はしないですよ。高揚感はありますけれどね。その高揚感は、芝居でも何でも一緒。社会との一体感みたいなのが(もしかしたら錯覚でしょうけれど)感じられる瞬間があったりするんです。それがいいですね」
−−ありがとうございました。
(撮影/中野昭次)

執筆者

かきあげこ

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