ここ数年、イラン映画が世界各地の映画祭で一大旋風を起こしている。昨年は、カンヌやベネチアなどの映画祭で複数の作品が受賞。この『テヘラン悪ガキ日記』は、その前年の1999年、ベルリン国際映画祭の一部門であるキンダー・フィルムフェスト・ベルリンでグランプリを受賞した秀作だ。(前編)



●子役がとてもいいですね。どこで見つけてきたのですか?
★メヘディ役は、少年院の経験が絶対に必要だったので、実際に少年院にいる子から選びました。まず、演技ができそうな子を5、6人選んで、その中からホセイン・ソレイマニーに決めました。
●ホセインくんを選んだ決め手になったものはなんですか?
★ホセインは、詩集を書いていたのです。自分の気持ちを詩的に書く人は、もっと深いところに豊な感情を持っているんじゃないかと思いました。顔もよかったし。それと話し方です。少年院の子供たちはストレスが多く、家庭にも問題があって、大声で話すので声が枯れているんです。でも、ホセインは普通に話し、声もきれいでした。言葉をひとつひとつ気をつけてしゃべっていて、これは演技をするのにぴったりです。もちろんテストもしましたよ。あるシチュエーションでのリアクションを見るルーティンなテストですが、彼のリアクションがいちばんよかったです。


●少年院の服役期間が終ってから映画に出演したんですか?
★ホセインは6ヶ月間服役していて、あと6ヶ月間の服役期間が残っていました。彼を選んだとき、私は少年院の院長の前で「彼はこれから一切ミスを犯さない。彼は有名な俳優になるし、自分に責任を持ちます。そうでしょ?」と彼に念を入れたところ、彼も「はい」と答えました。彼に責任感を持たせようと思ったんです。そこで院長は、「ホセインが撮影現場でひとつもミスを犯さないで、監督の言うとおりいい演技をしたら、あとの6ヶ月間の服役は許そう」と約束してくれました。ホセインは、もともと良い子で、心底からの悪ガキではありませんでした。スタッフに彼を養子にしたいという人が出てくるくらい良い子だったんです。撮影が終って、院長は約束どおり残りの6ヶ月間を本当に許してくれて、それで、ホセインを普通の学校に入れました。(編注※ホセインは、監督と主演女優のファテメー・モタメド=アリアの援助で勉強を続けている)
●ホセインくん自身の少年院に入った理由と、役柄のメヘディとのリンクする部分はどの程度あったのでしょうか。
★ストーリーを書くために、少年院にいる子供たちのさまざまな話を聞きました。その作業の後で、ホセインを選んでいます。メヘディもホセインも窃盗という罪を犯して少年院に入っていることは一致しています。それから、ホセインは父親を亡くしてるんですよ。メヘディも父親が死んでいる。ホセインの場合は、母親が生きていますが、少年院に入れられて、母親とはずっと離れて暮していて、そのことをすごく悲しんでいました。つまり、メヘディの母親に対する感情は、ホセインも自分の母親に対する感情は一致していると言えます。私は、たくさんの子供たちの話をひとつのストーリーにしています。それがすべてホセインにあたるわけではないのですが、すべて現実のことなのです。


●事前のリサーチにはどのくらいの時間をかけられたのでしょうか?
★私は、以前から社会の問題、特に子供たちの問題に興味を持っていて、セミナーに参加したり勉強していました。いつかそういう子供たちの話を作りたいと思っていました。いざ実行に移したときは、細かくリサーチする必要がありましたが、まったく何も知らない人よりは時間が少なくて済んだはずです。2、3ヶ月ですね。
●なぜこの子たちが罪を犯して少年院に入らなければならなかったのでしょうか?
★多くの国には少年院があります。少年院がある国では、18歳以下の子供が何か環境や状況によって罪を犯しているわけです。子供というのは世の中でいちばん純粋なものですから、たとえ罪を犯しても大人とは違います。人間が悪くてそういうことをするのではありません。少年院にいる子たちは、みんな頭がいいんです。優秀じゃないと、悪いことも考えられないんですよ。環境とか家族の問題で悪い方向に走っていってしまうんです。ひとつの国の中に1人でもそういう子供がいれば、その国にとってはたいへんな問題だと思います。少年院があるところは、1人以上そういう子供がいるから少年院が出来るんです。誰かが彼らを助けてあげなくてはいけない。彼らを育て、守ってあげなくてはいけないんです。
 こういった問題についてのセミナーに参加すると、はっきり数字が出ているんですが、イランだから、ヨーロッパだからということではなく、だいたいの国で同じ数値なんですよ。

執筆者

みくに杏子

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