「フルコース食いながらの殺し合いってのをやってみたかったんです」。堤幸彦監督作品「チャイニーズ・ディナー」が3月16日から渋谷シネパレスにてレイトショー公開となる。登場人物はたったの3人。中華料理店のオーナーに柳葉俊郎、彼を狙う殺し屋にIZAM、ウェイトレスに翠玲。カメラは最初から最後まで中華料理店の一室を動かない。全員がセットに詰め、1日140カットを黙々と撮影し、5日半でクランクアップしたという本作。さぞや殺気だった現場だろうと思いきや「それでいいんです。そういうドライブ感が欲しかったんですから」と笑う。「ケイゾク/映画」、「溺れる魚」(現在公開中)と独特の映像観を繰り広げてきた堤幸彦監督、今度は何を観せてくれるのか。



——柳葉俊郎さん、IZAMさんのほぼ2人芝居です。こうした形式の作品を撮ろうと思ったきっかけを教えてください。
遡るとですね、随分前の話になります。ジャン=ユーグ・アングラード主演の『真夜中の恋愛論』って映画があったんですが、キャストは2人だけ、衣装はなし、つまり最初から最後までハダカ、セックスして、愛について語って、その後また、セックスするっていう話。きっとつまんないんだろうなと思って(笑)、観にいったんですがこれが良かった。音楽のように台詞が流れていくんですね。こういうの日本でもやりたいな、っていうのが最初。でも、そのままやってもゲテモノになるしな、って思ってて…。で、今回の「チャイニーズ・ディナー」に行きついたのは一昨年あたりでしょうか。

——中華料理店を舞台に選んだのは。
フルコース食いながらの殺し合いって面白そうかな、って。どうして、中華かと言いますと起承転結のない料理でしょう。フランス料理なんかだとその辺がはっきりしてしまうから、使えない。和食でもいいかなと一瞬思ったんだけど、イメージ的にさらっとし過ぎている(笑)。同じようなボリュームで次々出てくる中華って、エグいし、いかにも殺生って感じがするじゃないですか。

——料理がものすごくおいしそうですよね。
観てたらお腹空いてくるでしょう(笑)。僕らも食べられませんでしたけどね。こっそり食べてたスタッフもいたんじゃないかと思うんですけど…。




——柳葉俊郎さん、IZAMさんを起用した理由は。
まず、1人は絶対安心できる人が欲しくて。柳葉さんは演技も上手だし始めから頭にありました。OKしてもらうまでは脚本の詰めとか、色々あったんだけど。IZAMの方は柳葉さんより先に決まりましたね。殺し屋は意表をつく人に演ってもらいたくてね。その点、IZAMは存在そのものが不気味じゃないですか(笑)。役者ではないから、最初は不安もあったんだけど、撮影開始半日でこれはいけると確信しましたね。スタントなんかも自分でやっちゃうんですよ、彼は。

——IZAMさんは現在公開中の「溺れる魚」にも出てますよね。撮影は「チャイニーズディナー」の方が先だったと聞いてますが。
撮影は昨年の一月後半には終わってました。公開までね、結構時間がかかったんです(笑)。でも、この作品についてはいつか何処かに引っかかって来るだろうと楽観してたんですけどね。

——堤監督は早撮りでも有名。
気が短いので大体一発でオーケーにしてしまう。「チャイニーズ・ディナー」の場合は、1日140カットで5日半(笑)。テレビ的な機動力でやってみたかった。そして、1セットで順撮りですよ。撮影が進むに連れ、役者の表情も変わってくる。柳葉さんなんかは相当なストレスだったみたいだけど、おかげでドライブ感は出せたんじゃないかな。2人のやり取りは相撲の勝負みたいな感じっていうのか、殺気立つ瞬間があってさ。



——「チャイニーズ・ディナー」は監督のなかで、どのような位置づけにあるのでしょう。
「溺れる魚」や「ケイゾク」なんかはおフザケが強いよね。音楽ビデオの目くらませ的なやり方というか、投げたら投げっぱなしみたいな(笑)。そういう作品を作る一方で、しっかり人を見つめるとか、芝居って何だ!って考えて撮るようなものもやってみたかったんですよ。「チャイニーズ・ディナー」は後者ですよね。自分の中でバランスを取るというのか。おフザケときちんと撮るのと、同時にありだと思って。

——2人芝居ものはシリーズ化していきたいとか。
1セット、低予算で撮影期間5—6日間、このサイズの作品は続けていきたいね。老人ホームを舞台にしてみるとかね、アイディアは幾つかあります。

——映画監督であり、テレビの演出家でもあり、CMも作り、舞台もやる。共通するテーマってなんですか。
裏をかく、みたいなのがありますね。例えばテレビは映画っぽく。「金田一少年の事件簿」なんかもそうだったけど、わざわざ1カメで撮ってみたりとかね。映画においては逆に、カジュアルに撮っちゃう。1日に140カットなんてやっちゃいけない事でしょう、本当は(笑)。メディアの境みたいなものは越えていきたいんですね。



——北野武さんの批評が影響を及ぼしたとも。
91年に「!(ai−ou)」って映画を撮った時、武さんが観て『この監督っていうのは皆で宴会してても10時になると“じゃあ、この辺で”って言う奴に違いない』って。『枠から出られない人だ』って。ショックだったんですけど、当たってたんですよ。当時はプロデューサーシステムの全盛期で——まぁ、いい訳に過ぎないんですけど——期日をきっかり守るっていうことが最重要だったってこともあって。でも、たとえ198%まで妥協したとしても、残りの2%は枠を超えるようにしたいですよね。武さんとお話したことはないんですけど、以来、その言葉が座右の銘になっています。

——監督にとって映画を撮ることとは。
うーん…。なんてオリジンな質問だろうか…。初めて聞かれましたねぇ。……。『次回は最高傑作を撮る』、ということで。これは…えーと…チャップリンの言葉でしたっけ。

執筆者

寺島まりこ

関連記事&リンク

作品紹介