画家レンブラントの魅力を語る『レンブラントの夜警』ピーター・グリーナウェイ監督インタビュー
ピーター・グリーナウェイ監督最新作『レンブラントの夜警』について語っていただきました。まずは、レンブラントの夜警を作ったきっかけから・・・
レンブラントは1606年生まれなので、2006年に生誕400年を迎えました。そのときにオランダの国立美術館にある国有コレクションの一つで門外不出の絵画「夜警」に大掛かりな光と音による演出をしました。それが、最初に私がこの大きなレンブラントのプロジェクトに関わることになったきっかけです。西洋暦の1300年以降、フランス、オランダ、イタリアで多くの画家が誕生しましたが、レンブラントはその中でも最も成功した人物です。1642年に「夜警」を描きましたが、2007年現在存在する絵画に置き換えても、絵画と映画の関係としてこの「夜警」と画家レンブラントを題材に選ぼうと思いました。オランダは北ヨーロッパ初の共和国です。当時のイギリスは王制、ドイツも帝政でしたが、オランダは共和国でレンブラントも共和国人でした。つまりは、選択する自由をもたされた国民であるということです。選択するということは、パワーがシェアされているということ。レンブラントもこの国にいる、とても普通の人でした。だから栄光の座に着く、スーパーな、ゴッドである人として描きたくなかったのです。オランダ人は現実的でもありますし、この映画では、彼の普通の人となりを描こうと思ったんです。この映画を作るにあたり、レンブラントについての書籍を300冊くらい入手しました。脚本は私の考えたものなので、どこかにあったものを引っ張ってきたものではありません。
<レンブラントを演じた、主演のマーティン・フリーマンについて>
マーティン・フリーマンもこの映画で描いたときのレンブラントと同じ36歳です。フリーマンは賢い人ですがインテリではありません。けれども憎めず、皆に受け容れられる人だから、普通の人としてのレンブラントを演じるには、ぴったりだと思いました。今まで、レンブラントは年寄りとして描かれていることが多かったのですが、今60歳前後でアムステルダムに住んでいる私にとって、彼はオランダでは研究され尽くしている人物で、子供のことや愛人のことなども含めて、そういう人間へのオマージュを作るならば、半端なものではいけない。敬意を込めて描かなければいけないと思いました。「夜警」がある美術館はアムステルダムの中心にあり、私の家の近所なのですが、我々は彼が働いていた場所も、彼が行っていた食堂も、彼がコーヒーを飲みに行っていたであろうコーヒーショップも、彼の子供たちが躾けられた教会も知っています。だからこの映画は、レンブラントという画家のとても有名な「夜警」という絵画が中心になってはいますが、結果的にはある意味オランダの社会についての映画であるとも言えると思います。
<画家レンブラントの魅力>
レンブラントは必然を持たせ、その人物の必要性を描き出します。大事なのはその時周囲の皆に認められるようなファッションがなくてはいけないということです。何かをするときには、注目されるものがないといけないですし、時代と関係をもたせることが大切です。ポストモダニズム、ファッショネイト、リタッチメントですね。レンブラントは、ややこしい絵を描いているのではなく、町内のおじさんや周りにあるものを描いてきました。あの時代には印刷技術も発達し、複製ができるようになったために、レンブラントは多くの人々の知るところとなり、そして人気を博した画家となったのです。
<まるで映画監督のような画家レンブラント>
私の映画では見るとか見つめる、見ることを中心にしています。また、映画は人工的な光をいかに操るかということが重要なのですが、レンブラントは光のマジシャンです。あの時代に全て新しい方向性を描いた画家です。17世紀にはパラフィンが出現し、安くろうそくが買えるようになり、普通の家庭でもろうそくが使えるようになりました。弱い光ではありましたが、それは絵描きにとって大変重要なことでした。視覚的な革命とさえ言えると思います。何と言ってもレンブラントは光の魔術師。だからこそ彼を映画で描きたかったのです。ルーベンス、カラヴァッチオ、ベラスケス、レンブラントが全く新しい光の当て方をして絵画を描くようになりましたが、私はレンブラントが最初の映画監督だと思っています。現代に生きていたら、彼は絶対映画を撮り、しかもハイビジョンで撮る人だと思います。レンブラントが絵を描くときには、人々に立つ位置や光のことなど指示をしていて、あれはまさに映画監督の姿なんです。
<レンブラントとオランダ絵画黄金の時代>
『レンブラントの夜警』は、1642年にレンブラントによって描かれた絵画「夜警」をベースにしています。この時期は、オランダ絵画の長い伝統の一部です。後に歴史学者が「オランダ文化の黄金時代」と呼ぶ時代になるのですが、恐らく1590年代後期から1674年のフェルメールの死まで続いたものです。この時代はとてもすばらしい絵画が溢れた時代でした。
<絵画「夜警」の謎を解く映画『レンブラントの夜警』>
しかし、この映画の中心となるストーリーは皆さんがご存知の「CSI:科学捜査班」のようなもので、レンブラントに、探偵のシャーロック・ホームズのように、裕福な中産階級の市民グループによる陰謀と殺人を告発させています。もちろんレンブラントは画家なので絵で語ります。文章にするわけでも、法廷で証言するわけでもありません。自分が一番良く知っているやり方を使いました。絵画で告発したのです。絵画で動機、原因、犯罪性、そして余波を説明しました。だから本質的にはこの絵は17世紀初期のスリラーだと言えるんです。
<オランダで最も有名な人物のひとり、レンブラントの素顔>
絵画の巨匠たちには本質的に、多大な技能、献身、そして情熱もあると思います。たぶん野心は少ないでしょうね。でも、画家として成功すれば、結果的に金、女、地位、良い生活を手に入れることに繋がります。これらのことをオランダという国に当てはめて考えてみましょう。オランダは非英雄的な社会でした。オランダ人たちは、レンブラントにはもちろん類稀な才能があるが、本質的には隣人と何ら変わらないと思っていたと想像できます。私は映画の中でもこの点を示そうとしました。彼らには民主主義の長い歴史があります。レンブラントはとても家庭的な男で、自分が良く知っているものを描く傾向がありました。それは彼の妻たち、子供たち、犬たち、召使いたちなどです。彼は本質的に、自分の家の戸口での出来事を描いていました。彼は宗教的な絵画、旧約聖書のイラストや、少ない例ですが、ギリシャ、ローマからのクラシカルな絵画を依頼された場合でも常に身近なキャラクターを描き入れていました。例えば、近所に住むヒゲにスープをつけた老人や商店街に卵を買いに行く若い召使いです。だから彼の絵画、そして実際、彼自身にも、家庭的な親しみやすさが大いにあります。でも同時に、彼が西洋社会で最も成功した画家だとも言えると思います。それは彼が、我々が今も重要だと思う様々な重要なものを追求したからです。彼は共和主義者であり、民主主義者であり、人道主義者でした。彼は女性を大いに尊重するフェミニストでした。彼は女の醜い絵を決して描きませんでした。もちろん醜い女の絵は描いたかもしれませんが、それは同じことではありません。それに彼は人間の内なる存在を信じていました。だから彼の感情表現はとても真に迫っていて、人間の内なる精神状態をよくとらえていました。現代的な表現を使うなら、とてもポストモダニスト的であったとも言えます。すばらしい皮肉のセンスがあり、決めつけがなく、人を指差し「この男は悪だ、この男は善だ」と言うようなことをしませんでした。彼はとても賢いやり方で、流れる時代をカプセルに封じ込め、400年後の世界に生きる我々にも難なく理解できるようにしたのだと思います。それはとてもすごいことです。
<後期印象派に多大な影響を与えたレンブラント>
西洋の絵画史においてレンブラントを無視することはできないと思います。彼には、とても現代的に思える特別な何かがあります。単に画法の観点から見ても、近代画法の開始点であったように思えます。印象派の画家たち、例えばゴッホは彼を見て興奮し、「夜警」の絵の前にサンドイッチを持ち込んで三日三晩凝視していたそうです。筆使いなどを見ても、レンブラントから多くのアイデアを得ていたことが分かります。だからレンブラントが最初の重要な近代画家の一人であったと言えます。この頃、勢力と文化の中心がイタリアと地中海から離れ、大西洋沿岸に移っていったためアムステルダムは、ある時期世界の中心だと思われていて、その勢力と影響力はとても大きかったのです。黄金時代に描かれた絵画は百万点以上あると言われています。それらを描いた画家たちのほとんどが恐らくアムステルダムに住んでいたでしょうね。「夜警」が描かれた頃にはきっと2000人の画家たちが絵を描いていたのでしょう。しかし私の好きなフェルメールとレンブラントは、他と比べて群を抜いているとても重要なイメージメーカーだと思います。
<『レンブラントの夜警』の原題をNightwatchingと名づけた理由>
自明のことですが、世界的な注目の中心はもちろん「夜警」という一つの特別の絵画にあります。それでこの映画の題名は”Nightwatching”というタイトルにしました。この題名が画家レンブラントに関連したすべての出来事にマッチするからです。でも文字通り、夜を見る、闇を見る、光と対照をなす闇に関係しているだけではありません。これは見ることそのものにも関係しています。この映画は盲目の行為で始まり、盲目の行為で終わります。その間のすべてはある一つの意味での盲目から、もう一つの意味での盲目へ至るまでの旅です。 “Nightwatching”はもちろん英語ですが、夜を見る者という意味です。それは物理的な空の星を見る行為などのことではなく、例えば自分の心の闇を見つめることを指します。レンブラントの人生にはもちろんいくつかの悲劇がありました。例えば人生の中で彼の全ての子供たち、全ての女たち、妻たち、伴侶たちは彼より先に死んでしまいました。だからそのような言わば闇(夜)の状態は彼の全体験に関わっています。でもこういった不幸、良くない事、悲しみがあっても、結局、彼は西洋世界で最も重要な画家の一人になったのです。でも、思えば、これは多くの場合アーティストが覚悟しなければならない要素と言えるのかもしれませんね。アーティストは、私生活での失望から得られるものがあるのかもしれません。でもアーティストの人生と普通の人の人生を区別すべきなのかということは問題です。我々は皆、同じような問題から影響を受けたり、触発されたり、共感を得られたりします。ただ、アーティストのほうが、後の世に多くの証拠を残すのです。我々は自分、父母、祖父母、子供、孫の5世代の記憶にしか残らないと言われます。その後は、我々のほとんど、世界中の人々の大半が完全に忘れられてしまいます。だから忘れられないためには世界で何かとても特別なことをしなければなりません。レンブラントはそれを成し遂げた人物なんです。
<映画と絵画について>
映画の定義は「人工的な光の操作」だったと思います。それがすべてです。400年前にレンブラントがその評価を得ていたのなら、レンブラントが昔の映画監督だったと考えることもできますね。ただしその功績は彼だけでなく、カラヴァッジオ、ルーベンスとベラスケスという同時代のすばらしいバロック様式のアーティストたちと分け合うべきでしょう。この4人が実質的に表現形式を作り上げ、その後の映画全てがそれに倣って作られたと思います。だから映画は1895年にパリでルミエール兄弟によって生み出されたものではなく、もっとずっと昔の17世紀初頭に生まれたものだという主張も成り立つと思います。それに当時のテクノロジー、例えばパラフィンろうそくの製造は、明るい時間が延長されることに繋がりましたが、これはある意味、現在の24時間明かりがある街の始まりだったと言えます。当時の画家たちは皆、人工的な光の中で描くという状況に大変な興味を持っていました。だから我々が光を使ってやっていることと、彼らが光を使ってやっていたことは同じだと思います。これまでの10年間、私はビジュアル、映画の言語と絵画の言語についての研究をしてきました。私は、映画は絵画が8000年近くやってきた研究を引き継ぐべきだと思っているんです。
<映画について思うことその1>
私は90年代初頭から映画の可能性に大きな幻滅を感じていました。なぜなら、我々が達成されて当然だろうと思う望みに応えられていないからです。テレビは現在形のメディアなので、ありのままのものを自然に映し出すことができますが、映画では本当に満足のいくような現実性や自然性を持たせることはできないと思います。私の考えではそれは時間の無駄です。そんな必要もないと思います。我々は夢を見るために映画を利用する必要があるのです。だから私が作りたいのは多分、もちろん誰もが理解できるようにはしますが、人工的な作品です。私がいつも興味を持っているのはとてもバロック的な、極端な映画です。そして私はありとあらゆるテクノロジーと可能性を使い、リッチで良く書かれた脚本によって作られる映画を心がけています。この映画『レンブラントの夜警』で私がレンブラントに敬意を表すためには、自分が彼の表現方法と関われるようになる必要がありました。彼は光で遊びました。映画もまた光で遊ぶものです。この映画を観れば、映画制作は絵画の制作とあまり離れたものではないことが分かるのです。私は、このような結びつきを繰り返してコンスタントに映画を作り続けています。
<映画について思うことその2>
言語を視覚化するものだ、ということで映画が作られているのが問題だと思っています。私はイメージを作る者なので、レンブラントがその時何を考えたのか、例えば絵はこういうもの映画はこういうものという固定観念があるとするならば、私はそういうものを引き出して、新たに別のものを作り出したい。「映画はこうだ絵画はこうだ」という思い込みは見ている者の制約だけであって、それは視覚的なものを豊かにはしないので、私はそういうことを打破したいと常々考えています。テキストと映像をいかに融合させるか、映画はそれが可能な媒体なのでそこが一番重要だと思っています。
<これからの映画について思うこと>
世界中で文字が中心の世界から、だんだん映像が中心の世界へ移行していっていると思います。文書は教養のある人による、ある種の情報の支配に繋がります。しかし今、我々は情報化時代に生きていて、多くの情報がより視覚的に入ってくるようになってきています。だから我々は皆、巨大でエキサイティングな革命のプロセスの中にいるのです。今度は情報化時代と、インターネットで伝えられるものの絶対的なパワーによる支配の時代になるでしょう。映画産業はこういうアイデアに心から携わりたいと思っています。だから、ポジティブな面を言うと、私はもちろんそれを押し進めたいと思っています。いろんなことがありましたが、今私の一番興味があるのは、新しい技術、新しいメディアです。映画的な感心が少なくなってきて、「もう映画はいいんじゃないか?」とも思えてきました(笑)。気になるのは、我々が今どうやってビジュアルを伝えるかということですね。私にとっては1983年8月31日、テレビのリモコンが出て、勝手に好きな番組を選べるようになったことはとても大きなことでした。インタラクティブなものが30年後に出てくるとずっと思っていましたが、映画人口は明らかに減ってきているし、映画は死に絶えてきているとさえ思っています。だからといって我々はそれを気にしすぎるべきではないでしょう。次に出てくるものはその千倍も興味深いものになるはずですからね。これからは、新しいボキャブラリー、いろいろなもので映画的なことにチャレンジしていきたいと考えています。映画の黄金時代は終わり、皆で見るものの時代は終わりました。むしろこれからは携帯の小さなスクリーンがメディアとして一番大事なものになるではないでしょうか。インタラクティブでマルチなものにしかビジュアルな価値が生まれないと思います。いつも技術的革新によって物事が生まれてきましたよね。最初のオーディオビジュアルがオペラで、その後映画に取って代わられました。そろそろ次のものが出てきても良いのではないかと思います。メディアに対して新しいツールが出てきたとき、新しいオーディオビジュアルが生まれるんです。今は、映画を作っても皆観てくれないですよ(笑)。自分も映画館に観に行かないので皆に観てくれというのもどうかと思うんです(笑)。それから、私はセックスと死しか自分が描くものはないと思っています。ふたつとも人間が交渉してできるものではないでしょう。120年の映画の歴史ではセックスと死が延々と描き続けられているとも思っているんですよ。だから私もそれをずっと描いていきたいと思っています。今度はブラジルでポルノ映画を撮る予定です。
執筆者
Yasuhiro Togawa