吹越満さんが惚れ込んだ世代間闘争狂想曲映画『なんのちゃんの第二次世界大戦』河合健監督インタビュー
先日、京都・出町座にて上映中の『香港インディペンデント映画祭』に行った。その日観たのは、2019年の香港民主化デモ以後に作られた香港の若手監督たちの作品『「香港、アイラブユー」短編集』。上映後に行われたリモートトークショーでは、作品解説や民主化デモ後の現在の香港の状況、デモにおける破壊をどう考えるか、今後の創作活動についてなど率直に語られ、厳しい状況の中でも映画を作り続けようとする彼らのしなやかでタフな決意に胸が熱くなった。
さて、日本に目を移すと、若手監督たちは現在の日本はどのように映り、映画作りをどのように捉えているのか。そういった観点で注目したい作品のひとつが河合健監督の『なんのちゃんの第二次世界大戦』だ。太平洋戦争と現在の日本を題材にブラックユーモアを貫いて描いた完全オリジナル作品。東京・ユーロスペースを皮切りに全国順次公開中、関西では7/10(土)、シネ・ヌーヴォと元町映画館にて上映スタートとなる。(※シネ・ヌーヴォでは、7/18・25・8/1の各日曜日は日本語字幕付き上映)続いて7/16(金)から京都みなみ会館の公開がひかえている。
平和記念館設立を目指す市長と、反発する戦犯遺族一家の攻防劇を描いたこの作品。
主演は事態に翻弄されまくる市長役で捧腹絶倒の演技を見せる吹越満さん。戦犯遺族として丁々発止のやり取りをするのはベテラン大方斐紗子さん。一筋縄ではいかない孫たちにドラマ『隕石家族』の北香那さん、『れいこいるか』の西山真来さん。淡路島で行われたオーディションにて見出された小学生で堂々たる怪演にて観客を驚かせるのは、ひ孫役の西めぐみちゃん。オール淡路島ロケを慣行し、キャストの8割は現地住人というチャレンジも功を奏している。
主演の吹越満さんがその役者人生の中で初めて編集に参加したほど惚れ込み、地域おこし映画ではなかったにも関わらず、ロケ地の淡路島でこの映画をきっかけにして、淡路島唯一の映画館・洲本オリオンで月1回の定期上映を行う淡路島映画館再生プロジェクト「シネマキャロット」がスタートしたのは偶然か?それとも……?
脚本・プロデューサーも務めたのは新鋭・河合健監督。助監督として、瀧本智行監督、熊切和嘉監督、入江悠監督などの作品に携わりながら、これまで製作した自主映画は2本。 1作目『極私的ランナウェイ』がぴあフィルムフェスティバル2012、 ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2013のコンペティションに入選。 2作目『ひつじものがたり』は、ドイツの第16回Nippon ConnectionのNIPPON VISIONS部門、 オランダのCAMERA JAPAN2016で上映された。
平成元年生まれの河合監督。なぜ今この作品を撮らなければならなかったのか、お話を伺った。
わからないものの上に自分が立っている奇妙な感覚
――こういった映画を作ろうと思ったきっかけは何だったんでしょうか?
河合:10年前の20歳ぐらいの時、助監督として太平洋戦争の取材をしたんですが、文献や取材対象者によって証言が全然違う、ということに驚いたんです。追求することが大人だという意識もあって真剣に調べたんですけど、本当に分からなくて。戦争は誰もが歴史として教科書で習いますが、100人いたら100通りの答えが返ってくる恐ろしさを感じて。客観的な事がもう分からないんだっていう。その分からないものの上に今自分が立っていると奇妙な感覚に襲われました。
今の戦争映画は、実在の人や出来事を元にして真実を伝えるといった大義名分で作られることが多いですよね。反戦の訴えや戦争の悲惨さを訴える作品はいわゆる巨匠の方が撮ればいいとして。僕たちの世代、20代30代で戦争にアプローチした作品は少ない。やるなら真実というものが埋もれている気持ち悪さ、混沌を映画にすることが、今の映画の多様性の一つになり得るんじゃないかと思って作りました
――思い立って制作に入るまで、順調に進みましたか?
河合:いいえ、実際に動き始めてからは5年かかりました。まずシナリオにも時間がかかりましたし、こういう作品なので出資集めも。
「僕は割と運がいいと思う」と語る河合監督。ある映画に助監督として参加した際に、ロケハンで映画業界とは関りがなく映画を作りたいと考えている方に出会った。その後も1年ほど交流を続け、企画を持ち込んで出資が得られた。当初はロケ地に河合監督の地元の大阪か、現在の活動拠点の東京と考えていたが、メインとなる石材店が見つからず、どんどん対象エリアが広がった。偶然淡路島で石材店が見つかり、そこで思いついた「知らない土地で知らない人たちと映画を作る」というアイディアが、島民オーディション、オールロケに発展した。
――その広がりがものすごく面白いですね。
河合:勝手に出資者を見つけて勝手に作った映画なので、求められる映画では出来ない作品にしようと。その1つには、誰も見たことない出演者がいる映画にしたいということがありました。日本映画って有名で若くてかっこいい子が出るのが前提のようになっているので。結果的に西めぐみちゃんに出会うことができました。彼女がいなかったらここまで大人数の素人を使うことにならなかったと思いますね。
――オーディションでのめぐみちゃんの印象、どういうところに惹かれましたか?
河合:大人も子供も含めた中で、目を見た時に表面的なものと奥にあるものの二面性を感じました。奥行き加減が圧倒的で。一目惚れに近い。これは是非やってほしい!となりました。
ただ、一番の懸念は演技についてでした。今回子ども達がたくさん出ましたけど、他の子ども達は脚本の役柄を本人に近づけたんですね。悪ガキは普段の悪ガキのままで、脚本に書かれている台詞を自分の言葉で言ってもらったんです。彼女はそうはいかないので、しかも二面性のある演技が必要になる。それはクランクインするまでずっと不安でした。撮影初日は彼女の顔のアップからでしたが、本当に素晴らしくて。撮影中彼女はほとんど一発OK。何よりスタッフが安心しましたね(笑)。1カット目を見てこの子はすごいってなって、現場の勢いを産んでくれました。その流れで、キービジュアルも彼女になりました。
真面目な題材だからこそシニカルに描きたい
――ブラックユーモア満載の脚本ですが、こういった資質は元々お持ちだったんでしょうか。
河合:性格的にはひねくれていると言うか、斜に構えてしまう部分があって。真面目な題材は割とシニカルに描いて、むしろふざけているものこそ真面目に捉えたいって思う体質です。それに、戦争に対する見方を軽くしたいという意図で、コミカルな方向に持っていく方が映画としては良いのかなと。予算が一桁違えばもうちょっと壮大な作品づくりで、シリアスな展開も考えられたんですけど、この予算なら、ブラックユーモアあふれる作品の方が向いている。予算とやりたいことのバランスの中で生まれた作品なのかなと思います。
――西山真来さんが演じた南野家の孫の「皆さんにとって平和って何ですか」という問いが強烈でした。
河合:そうですね。ダースダークホース的存在で、彼女の言っていることは間違っていない。脚本を書いた段階で、ギャグのためのキャラクターにしないということに一番気を使いました。
――世界に様々な問題があって、自分がそれを受け止めきれないことは日常的にあって、その矛盾を真面目に捉えながらも笑ってしまうシーンだったと思いました。
河合:あれは自分の本音も投影している部分があるので、台詞を書いている時は本当にあれが正しいって真剣に思いながら書きましたね。
――劇中で当時の写真が出てきますが、あれは本物写真ですか?
河合:本物の写真です。
――最初の吹越さんの合成写真のエピソードがあったせいか、実際の写真もその前後について私は何も知らないのだということが、とても際立って見えました。
河合:あれは吹越さんのアイディアでなんですよ!吹越さんが編集現場にも一度遊びに来てくれたんです。その時に「戦時中の写真入れるってどう?」ってアイディアが出て。竹槍の少女の写真と教科書を黒塗りにしている写真が見つかるならとやってみたんですが、結果的にははまって良かったって思います。
――そういった経緯があったんですね。吹越さんははまり役でしたが、どういう経緯でキャスティングされたんでしょうか。
河合:吹越さんは元々僕がファンだったこともあるんですけど、一番はこれだけ混沌を描こうとすると下品になりかねなくて、そのバランスがすごく難しいと思っていたんですね。吹越さんは演技に色気と品を持ち合わせている方で、出てもらえたら最低限の質が保証される確信がありました。
僕は助監督としていろいろな現場に付いて来ましたが、ここまで現場でストイックに取り組む方を初めて見ました。どうやったら面白くなるかをディスカッションしながら作っていけて、最終的には編集まで参加してくれて。その時も監督やスタッフを立てて、自分の意見を押しつけないようすごく気を使いながらもアイディアを出してくださって。本当に楽しかったです。
――何が吹越さんをそうさせたんでしょうか。
河合:おこがましいんですけど、僕も吹越さんもひねくれ具合が似ているんですよ。現場で誰よりも僕の言葉で微妙な匙加減をすぐに感じ取ってくれて、そこに吹越さんの笑いをプラスする。そうなると僕も現場で爆笑するだけなんですけど、そうやって波長が合ったから、編集に来てくださったんじゃないかなぁと。実は打ち上げも吹越さんが場所を設定してくださったんですよ。
――そういった熱意がスクリーンに表れていたんですね。吹越さん演じる市長と対立する戦犯遺族を演じた大方斐紗子さんは、切れ味鋭いセリフが混沌をけん引しておられました。
河合:自分のシナリオなんですけど、大方さんの語りは本当に「南野和子」の言葉に聞こえて、こんな経験は初めてでした。80年間の重みが感じられたことにとても感動しました。
――大方さんはこの脚本をどのように受け止めておられましたか?
河合:元々優しいおばあちゃんなんかやりたくないっていう方で(笑)。面白いって言ってくださって。実は映画も2回ぐらい観てめちゃくちゃ気に入ってくださっています。
『なんのちゃん』で淡路島に映画文化が復活!
淡路島唯一の映画館・洲本オリオンでは、この映画がきっかけとなり、月に1回の定期上映を行う淡路島映画館再生プロジェクト「シネマキャロット」が始まった。その経緯とは?
『なんのちゃんの第二次世界大戦』は2019年の夏に撮影。2020年の9月頃に緊急事態宣言も開けて島民の関係者向けに試写をした際に、洲本オリオンが休館中ではあったが「映画館で見たい」という意見が出なかったことに河合監督はショックを受けた。しかしそれで引き下がるのは寂しすぎるという思いが勝り、洲本オリオンでの公開にこぎつけた。
河合:洲本オリオンの方にお願いして2ヶ月間開けてもらって、その代わり僕も2か月間映画館に住み込みました。DIYで作ったカフェスペースで店長をやって、映画が終わったら僕がトークをやってパンフレットを売る、というのをずっとやりました。
約10年ぶりの長期上映だったが、公開期間終了と共にまた休館となるのはあまりにもったいない。自分の役目は次の作品へのバトンタッチと考えた河合監督は、『なんのちゃん』の宣伝に関わりなく、来た人達に映画の面白さを語り続けた。その熱意に『なんのちゃん』の関係者からも「今後も映画を上映して欲しい」という声が上がり始めた。そして出演者の一人だったにんじん農家のおおたしほさんが代表となり、「シネマキャロット」という団体が発足した。
河合:『なんのちゃん』の上映が終わった翌月から毎月ドキュメンタリーとフィクションを上映することになりました。島外の文化を淡路島に持ってくるっていう思いですね。
――とても大きなことだなと思いました。一回閉じてしまうと再開というのはなかなか難しいことだと思うんです。
河合:この映画を上映した時に、勧善懲悪のエンタメではないからみんな戸惑っていたんですよ。「この映画は何だ?」っていう初めての感覚のままで終わりにしちゃいけないって。数年後も洲本オリオンが続いていたら僕も嬉しいですし。全国的にも映画館やミニシアターが少なくなってきています。淡路島の映画人口を増やすことができるならやってみようと。ミニシアターを応援するような運動は、著名人であればSNSなどのネットで拡散できますが、僕らにできることは、身近な人たちに映画を好きになってもらうことだと思って、『なんのちゃん』は嫌いでも、スピルバーグ監督を観てください、北野武監督を観てくださいってお勧めしてましたね。
――上映にはどういった年齢層の方がいらっしゃったんでしょうか。
河合:半分シニア、半分は移住者さんですね。淡路島に映画の文化がないことを1番寂しく思っている方たちです。あとは関係者の方たちが頑張って口コミしてくれたおかげで来てくださいました。
――これからもこの流れが続いて、根付いて行ってくれたらすごく素晴らしいことですね。
予算感が分かってこそ映画を形にできる
――河合監督は助監督の経験もたくさんおありとのことですけど、今ご自身の映画製作への影響、役立った事などはありますか?
河合:予算感がわかることでしょうか。限られた予算で何ができるか計算ができないと、どれだけやりたいことが素晴らしくても実現できない。例えば武正晴さんの『百円の恋』。助監督が経験ない監督だったら1千万円でボクシング映画なんて不可能なんです。助監督をやり続けると凝り固まるという問題はありますが、それは本人次第なので。経験は確実に武器になると思います。
――今回はプロデューサーもされましたが、これは良いご経験でしたか。
河合:プロデューサーはやってくれる人がいるなら、それに越したことはない。微塵もやりたくないです(笑)。
――一番ご苦労されたのは資金集めでしょうか。
河合:現場は集団作業なのでみんなの意見を聞きながらできますが、その前後の企画の立ち上げ・開発や公開に向けた宣伝の時にプロデューサーが一人しかいないのは、いいものが生まれづらい状況だと思うんです。プロデューサーがいてぶつかりながら作ることで見えてくるものがあって。個人の想像でやるのは映画より文学の方が向いていると思います。この映画で次に繋げたいのはプロデューサーとの出会いです。切実にそう思います。
若い世代の混沌を確かめて欲しい
――河合監督が映画を作りたいと思われるのは、どういった感情が動いた時なんでしょうか。
河合:今いくつか企画を持っているんですけど、自分の切実な部分があるかどうかですね。人の企画や脚本の場合は、自分のやりたい事を入れるんじゃなくて、書かれたものからいかに自分の切実な部分を見つけられるかだと思うんですね。
オリジナルは一歩踏み込んで、自分の抱えている切実な部分が吐き出さなくては苦しすぎる、となった時に衝動的に作るものなのかなと思います。
――『なんのちゃん』はそういうふうにできた作品なんですね。それでは最後に観客の方に一言お願いします。
河合:タイトルやポスターから想像される展開とは確実にズレて行くと思いますし、東京上映時は全編クスクスと笑いが起きました。ブラックコメディとして楽しめる作品だと思っています。
20代、30代の人は今の世の中の混沌さがわかってもらえると思うので、それをぜひ共有してほしいです。
上の世代の方には、若い世代ってこんなにぐちゃぐちゃしているんだなって、バカにしてでもいいので劇場で確かめてもらえたら嬉しいです!
執筆者
デューイ松田